師弟 1

2009年11月16日 01時12分16秒 | 日記
月曜日



幼稚園記念日

1876年(明治9年)に日本で最初の官立幼稚園である
東京女子師範学校付属幼稚園が東京・神田に開園
したことによる。



国際寛容デー

1996(平成8)年12月12日の国連総会で制定。国際デーの一つ。
1995(平成7)年、ユネスコ総会で「寛容原則宣言」と「国連
寛容年のためのフォローアップ計画」が採択されました。
International Day for Tolerance
―こよみのページ‐http://koyomi.vis.ne.jp/より―



聖教新聞 2009年(平成21年)11月14日(土曜日)

 創立日万歳叫ばむ

 一日一日 我らは新たな出発だ! 山本 伸一

 師弟こそ「創価」の魂」

 創立日
  万歳叫ばむ
      師弟かな


「一日一日、進歩する人が青年である」



これは初代会長・牧□常三郎先生の信念であった。
わが創価学会は、昭和五年(一九三〇年)の十一月
十八日―牧□先生の教育思想を集大成した『創価教
育学体系』第一巻の発刊日をもって創立とする。
民衆のため、青年のため人間教育の希望の光を贈る
―この新しき言論戦が学会の出発点であったこと
を、我ら末弟は忘れまい。

 

 一日一日、新たな出発だ。
 一日一日、新たな前進だ。
 一日一日、新たな言論戦を起こすのだ。
 一日一日、新たな出会いを結び、人を育てるのだ。
 一日一日が、新たな学会の創立なのだ。


 
これが、「月月・日日につよ(強)り給へ」(御書一一九〇 P)との
御金言のままに、勇猛精進する創価の師弟の息吹である。

 

 偉大なる
  師匠に仕えて
     悔いもなく
  創価の城をば
      厳と築けり



法華経は「師弟不二」の経典である。師匠と巡り合
えたことで、わが尊極の仏の生命に目覚めた弟子が、
大歓喜に踊躍する。そして深さ報恩の心で、いかなる
強敵も打ち倒して、一間浮提に広宣流布しゆくことを
断固として誓願するのだ。



-ざいざいしょぶつど じょうよしぐしょう-
「在在諸仏土常与師倶生」
―至るところの諸仏の国土に常に師とともに生まれ、妙法を弘通する、とは
-けじょうゆほん-
 化城喩品
 の一節である。



創価学会の誕生の根源も
深遠なる師弟にあった。



 不二の呼吸で誕生


牧□先生は、三十二歳の若さにして、大著『人生地
理学』を発刊した大学者であられた。それは中国から
の留学生たちも即座に翻訳に取り組む名著であった。
 だが、大正五年(一九一六年)に『地理教授の方法
及内容の研究』を出された
後は、牧口先生か十余年にわたって研究書を出版され
たことはなかった。


 
東盛、大正、西町、三笠、そして白金-と各小学校
の校長を歴任され、教育現場の最前線での激務が、本
を執筆する時間を奪っていたのであろう。
しかし、寸暇を借しんで先生が書きためた、珠玉の
思索のメモは、優に数巻の教育書を成す、膨大な量と
なっていたのである。



ある寒い冬の晩であった。師・牧□先生は愛弟子
・戸田先生の家で、火鉢を囲んで語り合われていた。
教育の混迷を憂う師は、「現場の小学校長として、
自らの教育学を世に問いたい」と願望を□にされた。
けれども、資金の当てはなかった。躊躇する師に、若
さ弟子は声を強めた。



「先生、やりましょう。お金のことは、私が全部、
 投げ出しますから、やりましょう!」

師匠の願いを実現するためなら、何も惜しくない。
いかなる労も厭わない。
弟子は真剣だった。



「牧□先生の教育学は、何が目的ですか」
「それは、価値を創造することだ」
「では先生、創価教育、と決めましょう」

「創価」とは、この師弟の不二の呼吸から、燦然と
誕生したのである。
このお話を、戸田先生は幾たびとなく、私に聞かせ
てくださった。

「俺とおまえも同じだな」との笑顔であった。







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