菩提寺が半年毎に送ってくる寺報・○○寺だよりに住職の喉頭がん体験記が載っている。長くなるがその中の一文を紹介したい。
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(前略)
そこで一つだけ気にかかることがありますので、皆様も一緒に考えてご自分の問題として受け止めてほしいと思うことがあります。
2008年、ビハーラ全国集会が本願寺総御堂に於いて「悲しみによりそうビハーラ」を統一テーマにして開催されました。私は直感的にこの統一テーマに違和感を持ちました。
それは本願寺派のビハーラ活動にご参加くださる皆様が、末期がんの患者や終末期の病気の人、あるいは身体にさまざまな障がいを持つ人々を、気の毒な人、可哀相な人、哀れで不幸な人、総じて悲しみに満々な人と見て、その人たちによりそうのがビハーラ活動なのだとしたら、そのような視線の人に、癌患者、障がい者の一人として私に(私たちに)近づいてほしくないのです。
声を失うということは、確かに大変なことなのですが決して不幸ではないのです。ただ不自由なだけなのです。だからビハーラ活動にご参加される方にお願いです。「私に(私達に)お手伝いできることがありましたら、気軽に申しつけてください」とだけ言ってほしいのです。
患者や障がいを持つ身になると、接してくださる人々の目線の高さにとても敏感だからであります。私自身障がい者歴10年の経験と体験から申し上げることであります。どうかお許しください。
(後略)
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日蓮宗 ビハーラ・ネットワークサイトより
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ビハーラ活動とは、医療や福祉や地域社会との連携のもとに、寺院において、自宅において、あるいは病院や施設において、病気や障害、高齢化に悩む人たちと苦しみを共にし、精神的、身体的な苦痛を取り除き、安心が得られるよう支援する活動のことです。
日蓮宗のビハーラ活動は、法華経安楽行品に説かれる安楽の供養をはじめ、六波羅蜜、四無量心、四摂法の実践であり、すべての人々が仏の教えにふれて仏になることを願い導く、法華菩薩行であると位置付けられます。
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(前略)
そこで一つだけ気にかかることがありますので、皆様も一緒に考えてご自分の問題として受け止めてほしいと思うことがあります。
2008年、ビハーラ全国集会が本願寺総御堂に於いて「悲しみによりそうビハーラ」を統一テーマにして開催されました。私は直感的にこの統一テーマに違和感を持ちました。
それは本願寺派のビハーラ活動にご参加くださる皆様が、末期がんの患者や終末期の病気の人、あるいは身体にさまざまな障がいを持つ人々を、気の毒な人、可哀相な人、哀れで不幸な人、総じて悲しみに満々な人と見て、その人たちによりそうのがビハーラ活動なのだとしたら、そのような視線の人に、癌患者、障がい者の一人として私に(私たちに)近づいてほしくないのです。
声を失うということは、確かに大変なことなのですが決して不幸ではないのです。ただ不自由なだけなのです。だからビハーラ活動にご参加される方にお願いです。「私に(私達に)お手伝いできることがありましたら、気軽に申しつけてください」とだけ言ってほしいのです。
患者や障がいを持つ身になると、接してくださる人々の目線の高さにとても敏感だからであります。私自身障がい者歴10年の経験と体験から申し上げることであります。どうかお許しください。
(後略)
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日蓮宗 ビハーラ・ネットワークサイトより
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ビハーラ活動とは、医療や福祉や地域社会との連携のもとに、寺院において、自宅において、あるいは病院や施設において、病気や障害、高齢化に悩む人たちと苦しみを共にし、精神的、身体的な苦痛を取り除き、安心が得られるよう支援する活動のことです。
日蓮宗のビハーラ活動は、法華経安楽行品に説かれる安楽の供養をはじめ、六波羅蜜、四無量心、四摂法の実践であり、すべての人々が仏の教えにふれて仏になることを願い導く、法華菩薩行であると位置付けられます。
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