夫が発達障害?

再婚して13年、もしかして、夫が発達障害?
さてさて、これからどうしましょう?

事件です!

2017-04-19 09:37:13 | 日記


  夫が1ヶ月半の予定で出かけた。

  ホッと一息ついてさてさてと、家を出る準備をする事にした、

   白く残った畳のタンス跡も、畳替えで跡形も無く寂しく消え、

   そんな何も無くなった和室にダンボールを持ち込んだ、

  迷いは無くなり、1ヶ月以上ある準備期間、

  ダンボールもスーパーを回り

  車に積みやすいように同じ形を揃える余裕もある。

  姉に預かる荷物、娘の所に預けるもの、捨てるもの、

  友人達に貰ってもらう物。すべて区分けする。

  もちろん、そんな事とは知らない夫は

  いつものように気に入らない事があると、

  電話口で怒り出す事があるが、

私にはもう何も感じない。





夫が出かけて一週間のしないうちにの突然の電話だった、

  「行くところが無いのです。そちらに行っていいですか?」

  夫が出発前に、

  義理の娘が二人の子供を連れて家を出たらしい、

  中学の入学式が迫り、制服も置いたままで、

  お婿さんは、実家だと思っていたらしいが、

  入学式を控え電話をしてきた、

  この何年か、離婚の相談を受けるたびに、夫に反対され、

  私も相談を受けるが夫からは「受け入れるな」

  子供達を父親のいない家庭にはしたくない、

  

  そのたびに何とかなだめて来ていた。

  二年前には、そんなやり取りに誤解が生じ、

  私とのメールのやり取りも、疎遠になっていた。

行方がわからない状態を、夫は心配をしながら、

  後ろ髪を引かれる思いで出かけていった、

  

  家を出て二週間、入学式も過ぎていた、

  相当な覚悟を感じた。

  もちろん、すぐに来るように言うと、

  夕方、玄関先に小さなトランク一つ持った、

  疲れ果てた義娘と、”久しぶり!”と、

ホッとした!双子の女の子が元気に現れた。

   二人を交代で抱きしめた。

  

  

  

  

離婚の準備。

2017-04-16 15:59:18 | 日記

  夫を送り出した、

  静かになった、冷静に、

  決心した事を思い起こしてみた、

   今まで我慢してきたのに、

  何で今更?生活は成り立つ?母の事は?

  何処で暮らす?

  仕事は?食べて行ける?生活していける?

   出て行くときは全部持ってけ、

  何一つ残すな!!良くそんなことを言っていた。


     


  6畳の和室にタンスが2竿ある、

  和ダンスには着物が詰まっていた、

  洋ダンスにももちろん荷物が普通に入っている、

  その和室で私の母や夫そして私の葬儀をする為に始末する、
  
  そんなことを言い出した、

  いやだ!といってもだめだ、

  言い出したら聞かない事がわかっているので、

  逆らわなかった。


  前回夫留守の間にすべてカラにした。

  広い家を持つ田舎の従兄弟が大きなトラックで取りに来たが、

  洋ダンスは重くクレーンで吊り上げる騒ぎだった、

  トラックを送り出すと、悲しいよりも、

  そこだけ畳が白く残り、何の感情も湧かなかった。

  今にして思うとそれが返って良かったのかと思えた。
  

  

心が折れて離婚への気持。

2017-04-11 11:45:44 | 日記

  12年間色々と有った、

  私がブログを始めたのは夫の病状を一言では話せない、

  そんな状況をまとめておきたいと考えたからだった、

  納得いかず言い合った末何回も家出をした、

  「貴方の荷物は邪魔だ全部一つ残らず持っていけ」

  そういいながら話合おうもう許すから!

  何を許してくれるのか?

  そしていつもうやむやなまま終わる、

         



  そんな12年が何かつまらない事で背中を押された。

  本当につまらない事だった、

  一ヶ月半の留守をする前日、

  「ちょっとこい!!」洗面所に呼ばれた、

  「なんだ!この甘い歯磨き粉は!」怒っている、

  知覚過敏になり、それ用の歯磨きを買い置いておいた、

  間違えて使ったらしい、洗面化粧台に二つは邪魔だと言う、

  知覚過敏だからと言うと、

  「そんなつまらないテレビの宣伝に踊らされてこんなもの!」

  そう怒って目の前で捨てた、

  納得いかない物は、捨てられた来た、

  いままで、気が付いたら捨てられたも

  

  何も逆らう気持ちにならず、冷静だった、

  その代わりそんなことで、別れよう!と背中を押された。

  不思議に押された、この留守に荷物をまとめようと押された。

こんな事で、まったくこんな事で、

  私の心は完全に折れた。

  

悲しい人

2017-04-10 10:30:10 | 日記


  夫には亡くなった先妻に間に2人の子供がいる、

  再婚した当時、

  長男は一人で息子を育てていた、

  保育園に行っていた息子を預かる事もあり、

  よく食事をして帰っていったが、

  最後に夫と喧嘩をして

  「あんたはいつもいつも自分の考えを押しつけてきた、

   思う通りにならないといつもそうやって大声で怒鳴る

   もう沢山だ!」

  怒鳴り合う二人に驚きを隠せない小学生だった息子を

  台所の隅で抱き抱え「大丈夫だからね!」

  そういいながら、息子の言っている事は確かに!

  そんな風に思っていた。

  精神的にかなり病んでいるところがあり、

  安定剤を服用していると言う。

  その日から姿を見せなくなり、

  ずっと夫を避けてきて、先妻の法事にも現れない、

  用事があっても電話には出ない、

  長女は遠方に嫁いでいる。、

  もちろん私達の再婚に反対していた、

  最初に義娘から出た言葉は 母親が苦労の末、

  神経を病んで、30キロを切って亡くなった。

  すぐにわかる、再婚はしないほうがいい。

  そんな言葉だった。

  年に何回か遊びに来るくらいで、夫の電話にも出ない、

  長女夫婦仲が悪く、良くメールで相談を受けるが、
  
  内容からかなり精神的にダメージを受けている内容で、

  うつで、やはり安定剤が欠かせない、

  心配をするが夫には心を閉ざしている。

  二人とも母親は夫に殺されたようなもの

  そういう気持ちから抜けられない。

  年末年始、お正月や夏のお盆の時期、

  法事にも家族が集まる事はなく、

  お誕生日、父の日など電話もかかる事はなく、

  なんて寂しい家族なのだろうと悲しく思っていた。

       

  夫は家の前に住む実の妹とも喧嘩をして疎遠になっている、
  
  私はごく普通に話をするが

  彼女の口から出るのは主人の悪口ばかりだ、

  考えてみると夫は病気の為に悲しい人間になっている。

  
  一ヶ月半の予定で夫は仕事に出かける、

  私はその間に自分の身の振り方を真剣に考える気持ちになった。

  知人が亡くなった、苦労して、自分を殺しひっそりと生きてきた
  
  挙句の果て病気での悲しい最期、

  自分を殺して生きていくより、
 
  自分らしく生きる道を考える、70歳になる前に?

  そんな気持ちになってきた。

  

  

  

離婚を考える?

2017-04-02 08:42:08 | 日記

  私は後何年生きられるのかなぁ?
  
  この年になりなかなか仕事はないだろう、

  年老いた施設に母もいる、

  生活して行く事は難しい、いくところもない、

  何とかこの夫と上手く暮していくことを考える、

  考え直してみる、もう10年以上も考えている

  異常な綺麗好き、朝から晩までの掃除、

  思う通りに周りが回転していかないと怒り出す、

  そして激怒して言った事もケロリと忘れ、

  優しい?夫に戻る、
  
  少しは覚えているからか、謝る事があるが

  それすら忘れる、

  

  
          

   あまり儲からない海外の仕事も

   そろそろ引退を考えているようだった、

   これからの事、帰国した時に話さないと考えた、

   もう私達も年を取ってきた、

   24時間一緒に暮らすことになる、

   *支えあいながら生きて行きたい、

    お掃除も大切な事、もちろん協力する、

   (もちろんお掃除をしないわけではない)

   *月に一度は友人とのランチ会に行かせてほしい、

   (留守に行けばいいと言われ帰国時は行けない)

   *洋裁や手芸の注文が入る、

    使っていない部屋にミシンを置いて

    邪魔にならないように、仕事部屋にしたい、

   (糸くずが出る、汚れる、ミシンが邪魔、貧乏臭い)

   そんな私の意見も鼻で笑われた、

   そんなふらふら遊び歩いている主婦の家はごみ屋敷だ!

   ミシンの仕事、そんの物が幾らになる!

   そんな事して、掃除はどうするんだ?

   留守の間に外の室外機の裏に枯葉が落ちていた、

   外のガス給湯器の上が埃だらけだった!

   そろそろ、また仕事に出る夫のその言葉に

   スーッと迷いが覚めて行く感じがした。