東日本大震災が起こってから4日。それにつれて鮮明に映し出される映像・報道・問題・二次災害・・・余震の恐怖におびえる生活。
そしてまだ未だに発見されていない方の凄すぎる人数・・・。あまりにもつらい現実。先が見えてこない。
試練としてはあまりにも過酷です。どうか地球の怒りよ治まってください。
地震当日は私は近所のサーフショップに居ました。三階建ての複合ビルの一階。目の前は海。
最初からかなり大きな揺れでただ事ではないとみんな思いました。
サーフボードが何本も倒れ、ショップのディスプレイは落下し停電。スタッフと急いで外へ。
そこには他の店のスタッフ、レストラン「Bills」で食事をしていたお客さんや美容院のスタッフ、
お客さん(中にはシャンプー中で髪が濡れたままの方も)みんながいて、揺れに耐えながら踏ん張って立っているだけ。
お洋服屋の「Cher」のボディはみんな倒れていました。
私は「絶対ヤバい!家の中が大変だ・・・。一人で留守番のムックが・・・。」と、ただそれだけを思っていました。
最初の大きな揺れが落ち着き、原チャを飛ばして家へ。急げば三分くらい。
あの家のドアを開ける時の心臓のバクバクといったら・・・!
今までの経験であんなにドキドキしたのは、ムックが噛まれた時くらい。
玄関を開けて「やっぱりヤバい!」そう思いました。もうすでに玄関で色んなものが落下して散乱。
リビングのドアを開けたら、ムックが弾丸のように飛び出してきて庭でブルブル震えていました。
その時は散乱している部屋の写真なんて撮る余裕もなかった。
ベッドがある和室では、ベッド横の天井まである高い本棚の本が半分くらい落ちて
CDも棚から落ち散乱、それ以外にも写真やら額やら、まー色んなものが落ちていました。
隣のリビングも和室ほどではないけれど、どの壁からも何かしら落下。
我が家は古くてボロいので揺れもひどかったのかもしれないけれど、
それゆえに借家でも何をしてもOKなので、何でもかんでも壁に色々取り付けてあるのです
キッチンではかなり重いドアの付いた食器棚(正確には病院の薬棚)の扉が開いて
グラスやカップが四個割れていました。
もっとたくさん落ちていたのに大丈夫だったのは、偶然その食器棚の前に、最近買った大量の生地を置いていたから。
でも、調味料やら缶詰め、BRITAの水入れ(ご丁寧に水入り)が落下し、ガラスの破片や水をぶちまけた感じでした。
とりあえず家はそのままにして、震えるムックをリュックに入れ原チャに乗って再びサーフショップに戻りました。
店の向かいにある真っ暗なコンビニ、点灯していない信号、異常なまでに潮が引いている海、
「津波警報が発令されたので高台に避難してください!」というアナウンスの消防車が往来しているR134は
あの観光地として賑わう鎌倉とは思えない位、とても不気味でした。
結局しばらくして家に戻ったのですが、ムックは家を怖がってなかなか入ろうとしない。
リビングの落下物は拾って、ムックをなだめて、やっと家に入れてずっと撫でていました。
ムックはかなり長い間震えていました。
鎌倉は場所によって結構揺れの大きさに差があったみたいで(家の造りや地盤にもよるのでしょうけど)
「割と大丈夫だった」というところもあれば、ウチやサーフショップのようにひどかった所もあります。
近所のスーパーも酒コーナーの瓶がたくさん落ちて割れ、酒臭くて大変だそう。
我が家もガスは「地震時停止装置」が作動して止まっていたので、私が経験した揺れより大きかったのかも?
斜め向かいの家のおじさんに後日どうだったか話を聞いたら「外に出ても立っていられなかった」と。
「ウチの犬の声はした?」と聞いたら、何も聞こえなかったそうです・・・。
狭い14畳くらいの部屋を、落下物から逃れながら声も出せずに逃げ回っていたのかと思うと
可哀想で胸が詰まります。
我が家は海からは平坦続きで、しかもすぐ側には海からつながっている川も流れています。
水位が上がっただけでも危険だろうと、ご厚意で地震の夜は高台のゴディバ君ちに泊めて頂きました。
まあ、ムックも家を怖がって嫌がっているのでね
ムックは翌日もゴディバ君ちで預かって頂き、私は家の片づけをして仕事をしました。
でも、いつ何があるかわからない。その間も原付バイクを家の前に置きヘルメットはすぐ被れるようにして
津波が来たら猛ダッシュでゴディバ家に行く覚悟でいました。(それで間に合うのかは不明だが)
津波警報が津波注意報に変わった夕方、やっとムックも家に戻ってきました。
これが本棚。本が落ち、その前の鏡台にある化粧品も散乱。音もすごかったでしょう。こんな配置はイケナイね。
本棚は翌日L字のパーツで壁に固定しました。
これが食器棚。安くて頑丈なコップは割れず、お気に入りの薄いワイングラスなどが犠牲に。
泊めてもらった日の夜。仲良く一つのお布団でゴディバ君と ムックはホッとした顔をしている。
地震以降、お腹がユルかったムックさん。やっと今日から調子のいいウンモが
今回改めて思った事は色々あるのですが。それにしてもご近所付き合いって本当に大切ですね。
色んな友達が「ウチにおいでよ~」って連絡をくれました。
優しい方々に囲まれて、本当にありがたい限りです。
暖かいお布団で寝れる幸せ。愛する家族やペットと一緒にいれる幸せ。色々かみしめて
もちろん一生忘れられない事だけど、何かに繋げていかなくては…と思います。
そして、どうしても暗くなってしまうんだけどマイナスの相乗効果は避けたい。
今自分の出来る事を最大限実行したいと思います。
そしてまだ未だに発見されていない方の凄すぎる人数・・・。あまりにもつらい現実。先が見えてこない。
試練としてはあまりにも過酷です。どうか地球の怒りよ治まってください。
地震当日は私は近所のサーフショップに居ました。三階建ての複合ビルの一階。目の前は海。
最初からかなり大きな揺れでただ事ではないとみんな思いました。
サーフボードが何本も倒れ、ショップのディスプレイは落下し停電。スタッフと急いで外へ。
そこには他の店のスタッフ、レストラン「Bills」で食事をしていたお客さんや美容院のスタッフ、
お客さん(中にはシャンプー中で髪が濡れたままの方も)みんながいて、揺れに耐えながら踏ん張って立っているだけ。
お洋服屋の「Cher」のボディはみんな倒れていました。
私は「絶対ヤバい!家の中が大変だ・・・。一人で留守番のムックが・・・。」と、ただそれだけを思っていました。
最初の大きな揺れが落ち着き、原チャを飛ばして家へ。急げば三分くらい。
あの家のドアを開ける時の心臓のバクバクといったら・・・!
今までの経験であんなにドキドキしたのは、ムックが噛まれた時くらい。
玄関を開けて「やっぱりヤバい!」そう思いました。もうすでに玄関で色んなものが落下して散乱。
リビングのドアを開けたら、ムックが弾丸のように飛び出してきて庭でブルブル震えていました。
その時は散乱している部屋の写真なんて撮る余裕もなかった。
ベッドがある和室では、ベッド横の天井まである高い本棚の本が半分くらい落ちて
CDも棚から落ち散乱、それ以外にも写真やら額やら、まー色んなものが落ちていました。
隣のリビングも和室ほどではないけれど、どの壁からも何かしら落下。
我が家は古くてボロいので揺れもひどかったのかもしれないけれど、
それゆえに借家でも何をしてもOKなので、何でもかんでも壁に色々取り付けてあるのです
キッチンではかなり重いドアの付いた食器棚(正確には病院の薬棚)の扉が開いて
グラスやカップが四個割れていました。
もっとたくさん落ちていたのに大丈夫だったのは、偶然その食器棚の前に、最近買った大量の生地を置いていたから。
でも、調味料やら缶詰め、BRITAの水入れ(ご丁寧に水入り)が落下し、ガラスの破片や水をぶちまけた感じでした。
とりあえず家はそのままにして、震えるムックをリュックに入れ原チャに乗って再びサーフショップに戻りました。
店の向かいにある真っ暗なコンビニ、点灯していない信号、異常なまでに潮が引いている海、
「津波警報が発令されたので高台に避難してください!」というアナウンスの消防車が往来しているR134は
あの観光地として賑わう鎌倉とは思えない位、とても不気味でした。
結局しばらくして家に戻ったのですが、ムックは家を怖がってなかなか入ろうとしない。
リビングの落下物は拾って、ムックをなだめて、やっと家に入れてずっと撫でていました。
ムックはかなり長い間震えていました。
鎌倉は場所によって結構揺れの大きさに差があったみたいで(家の造りや地盤にもよるのでしょうけど)
「割と大丈夫だった」というところもあれば、ウチやサーフショップのようにひどかった所もあります。
近所のスーパーも酒コーナーの瓶がたくさん落ちて割れ、酒臭くて大変だそう。
我が家もガスは「地震時停止装置」が作動して止まっていたので、私が経験した揺れより大きかったのかも?
斜め向かいの家のおじさんに後日どうだったか話を聞いたら「外に出ても立っていられなかった」と。
「ウチの犬の声はした?」と聞いたら、何も聞こえなかったそうです・・・。
狭い14畳くらいの部屋を、落下物から逃れながら声も出せずに逃げ回っていたのかと思うと
可哀想で胸が詰まります。
我が家は海からは平坦続きで、しかもすぐ側には海からつながっている川も流れています。
水位が上がっただけでも危険だろうと、ご厚意で地震の夜は高台のゴディバ君ちに泊めて頂きました。
まあ、ムックも家を怖がって嫌がっているのでね
ムックは翌日もゴディバ君ちで預かって頂き、私は家の片づけをして仕事をしました。
でも、いつ何があるかわからない。その間も原付バイクを家の前に置きヘルメットはすぐ被れるようにして
津波が来たら猛ダッシュでゴディバ家に行く覚悟でいました。(それで間に合うのかは不明だが)
津波警報が津波注意報に変わった夕方、やっとムックも家に戻ってきました。
これが本棚。本が落ち、その前の鏡台にある化粧品も散乱。音もすごかったでしょう。こんな配置はイケナイね。
本棚は翌日L字のパーツで壁に固定しました。
これが食器棚。安くて頑丈なコップは割れず、お気に入りの薄いワイングラスなどが犠牲に。
泊めてもらった日の夜。仲良く一つのお布団でゴディバ君と ムックはホッとした顔をしている。
地震以降、お腹がユルかったムックさん。やっと今日から調子のいいウンモが
今回改めて思った事は色々あるのですが。それにしてもご近所付き合いって本当に大切ですね。
色んな友達が「ウチにおいでよ~」って連絡をくれました。
優しい方々に囲まれて、本当にありがたい限りです。
暖かいお布団で寝れる幸せ。愛する家族やペットと一緒にいれる幸せ。色々かみしめて
もちろん一生忘れられない事だけど、何かに繋げていかなくては…と思います。
そして、どうしても暗くなってしまうんだけどマイナスの相乗効果は避けたい。
今自分の出来る事を最大限実行したいと思います。