こんばんは、
ご訪問いただきありがとうございます
誤字や変換の誤りがあります、スイマセン⤵️
八幡山城主だった、悲運の
豊臣秀次の事を書こうと思っていて
たまたまですが、
「瑞龍寺」に男性の新住職が普山される事を車のラジオで、聴いて
ロープウェー🚠が新装された理由が
分かり、…………余計に考えすぎて❔
簡単には中々書けませんでした
ややこしいなら、スルーしてくださいスルー
下2枚は「日牟礼八幡宮」です、車を
その辺りで停めました、
八幡掘りが有名なんですが、
今回は、八幡山城跡をご紹介したいと思い
それと関係する「村雲御所」についても
分かりやすく説明するつもりだったのですが、しつこくなってしまいました、
豊臣秀次は、秀吉の甥で、秀吉の息子鶴松が亡くなった事で、豊臣家の2代目の跡継ぎりに決まり秀吉の関白を受け継ぎ、現在の近江八幡市の
八幡山に城を築き城主になりました、
所が、側室の茶々(淀殿)が懐妊し
男の子(秀頼)が産まれ、秀吉は喜び、
跡継ぎに決まっていた秀次は、謀反を起こしたとして、秀吉と確執が起こり、
高野山で自害したと言うことです……、
スイマセン私の記憶、曖昧かも知れないのでネットを貼り付けました!
↓↓↓↓↓↓↓
(1568~1595)
豊臣秀吉の姉・ともの子。秀吉の養子となり関白職を継ぎましたが、後に秀頼が産まれ、後継者を巡る争いにより自害させられました。八幡公園には開町の祖・秀次の銅像が建てられています。
1585年、18歳にして近江43万石の領主に任ぜられた豊臣秀次は、信長亡き後の安土城下の民を近江八幡に移し城下町を開きました。自由商業都市としての発展を目指して楽市楽座を施行、城の防御である八幡堀を琵琶湖とつなぎ、往来する船を寄港させるなど、秀次はわずか5年の八幡山城在城の間に、商いのまちとしての繁栄の基盤を築いたのでした。若くして悲運の最期を遂げた秀次ですが、近江八幡の開町の祖として市民に慕われており、彼のまちづくりにかけた情熱は、今日、八幡堀や町並み保存運動をはじめとする歴史を活かした近江八幡のまちづくりに受け継がれています。
https://www2.nhk.or.jp/archives/michi/sp/cgi/detail.cgi?dasID=D0004100033_00000
次に『村雲御所 瑞龍寺』なんですが
八幡山に御所があるわけが無いですね、
秀吉の姉ともは、自害した秀次の死を
悼み出家をし、京都嵯峨の村雲で、菩提を弔っていました、日秀尼となり
後陽成天皇より嵯峨の村雲(現・二尊院の北側)の寺地と「瑞龍寺」の寺号・寺領1000石・菊紋・紫衣を賜って創建され、これにより瑞龍寺は日蓮宗寺院で唯一の門跡寺院及び勅願所となり別名を村雲御所となりました。
日蓮宗唯一の門跡寺院である。 開山は関白豊臣秀次公の生母、瑞龍寺殿日秀尼公で、高野山で割腹、非業の最期を遂げた秀次公の菩提を弔うために文録5年創建されたものです。 昭和36年に京都から八幡山城跡に移築されました。
数年前に訪れた時より新しくなっていた
門扉(ちょっと驚きました!)です❗
その理由は、先月に初めて男性の
門跡(住職)が十何年かぶりに就かれ
普山式が行われました、
昭和何年?か忘れましたが
宝塚歌劇団の方が出家し、
この瑞龍寺の尼住職になられたのが話題になった事があり、新聞等に掲載されたのを覚えています、
俗に言う『尼寺』だったのです
ごめんなさい😅
全く関係ない人が映ってしまいました
びわ湖の向こうに見えるのは比良山ですね、
私がデイで仕事していた頃、
びわ湖の向こうに見えるのは比良山ですね、
私がデイで仕事していた頃、
県外から85才で移住された利用者さんが、
「滋賀県の田んぼはなんて、美しいの!」
と、感激に近い話し方をされて、
聞いた私のほうが、驚いたのですが、
何年も前の事ですが、今思うと、ほんとに
きれいに整備された田園だと思いました、
で、今年は、緑色に見えるのがお米、
黄色に見えるのが転作の麦です
山の上から見ると、
大阪のあべのハルカスのビルを思い出しました!、
城下町の方へ中心道路が通ってます、
大阪のハルカスは、真ん中の道路の向こうが大阪城でした、
どこでも同じ様になっているのでしょうね
で、その新しい住職をお迎えする意味で、
で、その新しい住職をお迎えする意味で、
八幡山ロープウェー🚠のイラストが
変わりました、
新しい門跡(住職)をお迎えする記念に
新装したという事です、
これはpdfですので拡大出来なかったので
申し訳ありませんが🔍️ズームしてご覧下さい。
瑞龍寺の中をを改装されたようです
私は何年か前、瑞龍寺の中を見学しています、その時の写真が下のものです
お庭に猫が泣いていたのを覚えています🐁
中は、めったに見学出来ないのに
300円で、見学出来たのは、
何か訳、記念、とかあったのでしょうか?
いつの間にか、こんな
「愛の聖地」のオブジェが出来ています
これは、ロープウェーより、西の方向に
八幡山公園がありそこに昔から
この銅像があります。
ほぉーー、やっとここまで書けました
ロープウェーをもっと簡単に書きたいと
思っていたのに、こんな何日も
かかりました⤵️、
私も何回も訪れているので、その時の
記憶と、ネット等に書かれているのを読むとブログとして、イライラするのではないかと思い、もっと簡潔に仕上げたかったのに、ダラダラ書いてしまい、
スミマセンでした。
ですが、戦国の世というのは、
今も昔も同じで民が犠牲になり、
又、国を納める最高責任者が守る物は
身内でも冷酷にすべての人間をこの世から
消してしまいたいのですね、
人の心の奥に住む悪魔は、いづれ滅びますが、そこまで犠牲を払わないと、
終わりは来ないのでしょうか?
長過ぎてどうも、すいませんでした