母の看病が良かったのか?父の生命力が強かったのか?その後順調に父は回復していきました。そんな中、大学病院では、
「当院での治療はこれ以上必要ないので、長期療養型病院への転院をしてほしいのですが・・・」
と、言ってきたのです。父の病気は治る病気ではないのです。年齢のせいもあって進行が遅いだけであって、けして治る病気ではなかった。私たちは、ただ父の死に場所を移されただけとしか思えなかった。
数日後私たちは、転院することになりました。確か五月の連休の頃だったと記憶しています。民間救急車での移動です。
その時叔父達が遥々面会を兼ねて手伝いに来てくれました。民族大移動ってかんじでした。一時間ほどして療養病院に到着し、転院届けをすませ、病室に入りました。
「まあ、とりあえず落ち着いてジックリ治療することにして、少しでも良くなるように頑張ろう。」
そう言って母は、看病の準備を始めたのです。ところが、
「すみません、お母さん。当病院は完全看護ですので、付き添いはできませんので、皆さんと一緒にご自宅へお帰りください。」と、看護士さんの一言が。
その時の母のガッカリした顔は誰の目にもハッキリわかりました。この時から、父と母の離ればなれの生活が始まりました。
「毎週土曜か日曜面会に来れば会えるじゃん。」
「みんなで来よう。」
そう言って私達は、母を車に乗せて自宅へと帰りました。
その頃から少しずつ母の体調に異変がおきていたのでしょう。私たちはまだ誰も気付いていませんでした。
「当院での治療はこれ以上必要ないので、長期療養型病院への転院をしてほしいのですが・・・」
と、言ってきたのです。父の病気は治る病気ではないのです。年齢のせいもあって進行が遅いだけであって、けして治る病気ではなかった。私たちは、ただ父の死に場所を移されただけとしか思えなかった。
数日後私たちは、転院することになりました。確か五月の連休の頃だったと記憶しています。民間救急車での移動です。
その時叔父達が遥々面会を兼ねて手伝いに来てくれました。民族大移動ってかんじでした。一時間ほどして療養病院に到着し、転院届けをすませ、病室に入りました。
「まあ、とりあえず落ち着いてジックリ治療することにして、少しでも良くなるように頑張ろう。」
そう言って母は、看病の準備を始めたのです。ところが、
「すみません、お母さん。当病院は完全看護ですので、付き添いはできませんので、皆さんと一緒にご自宅へお帰りください。」と、看護士さんの一言が。
その時の母のガッカリした顔は誰の目にもハッキリわかりました。この時から、父と母の離ればなれの生活が始まりました。
「毎週土曜か日曜面会に来れば会えるじゃん。」
「みんなで来よう。」
そう言って私達は、母を車に乗せて自宅へと帰りました。
その頃から少しずつ母の体調に異変がおきていたのでしょう。私たちはまだ誰も気付いていませんでした。