ブーゲンビリアのきちきち日記

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「新たな暴動 懸念」コザ騒動 

2010年12月17日 17時53分27秒 | 沖縄
沖縄タイムスより
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-12-17_12894/

「新たな暴動 懸念」 コザ騒動 騒乱罪見送り

群衆が米軍人らの車両約80台を焼き打ちにした1970年12月のコザ騒動事件で、当時、捜査の最高責任者だった琉球高等検察庁の元検事長・比嘉良仁氏(96)が16日、那覇市内で沖縄タイムスのインタビューに応じ、騒動に加わった多くの人が立件される「騒乱罪」の適用を見送ったことについて、「革新団体や住民に手を付ければ、(新たな)暴動に発展する可能性もあった。単なる酔っぱらい(が起こした)事件として処理した」と証言した。(新崎哲史)

 同事件は、旧コザ市の路上で米軍人が起こした人身事故をきっかけに発生。当時、米軍人の事件・事故が多発し、軍事裁判では「無罪」判決が続いたことから、怒った沖縄の群衆が米側車両を次々に放火した。

 琉球警察は騒乱罪の適用も視野に、82人を琉球検察に送検。比嘉氏らは罪状を細かく検証し、騒乱罪の適用を見送るとともに、10人を凶器準備集合罪や放火で起訴し、大半は罪に問わなかった。

 比嘉氏は「捜査中、活動家からは『騒乱罪適用なら殺す』との脅迫電話や、米兵らが『那覇を火の海にする』と怒っているとの報告を聞かされた。事件に加わった人々は革新陣営にとって『英雄』、米側には『暴徒』と正反対。検事人生で一番難しい事件だった」と振り返った。

 米軍上層部が車両の補償方針を打ち出したため、米兵らの怒りも沈静化した。比嘉氏は「琉球検察は米軍の傀儡(かいらい)と言う人もいたが、違う。軍トップの圧力はなく最後まで独自に判断していた。コザ事件も正しい判断だったと思う」と語った。

 コザ騒動に関する研究書の編集責任者の経験もある元沖縄市役所職員の今郁義氏(64)=北谷町生涯学習プラザ館長=は「騒乱罪の不適用は住民にとって望ましい判断である一方、日本復帰後の米軍基地の安定使用が課題だった日米両政府にとっても事件の沈静化は望むところだった。捜査当局が事件をどう見ていたのかを裏付ける当事者の証言は初めてで、40年前の政治事件を考える上で重要」と話した。
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偶然なのか、意図的なのか、40年前の12月のコザ騒動。
この記事の見出しに、どきりとしました。
40年前の事でしょうか。




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