ブーゲンビリアのきちきち日記

神奈川の米軍基地のある街から毎日更新。猫と花と沖縄が好き。基地と原発はいらない。

母親たちの反核運動~3000万の署名、大国を揺るがす

2011年05月26日 13時18分47秒 | その他いろいろ(原発)
朝からこの時間まで、米軍機とヘリがうるさいです。
市役所に電話しようかと思いますが、感情的になりそうなのでやめます。
厚木基地からの戦闘機の訓練は、
F18?スーパーホーネットかと思いますが、2機で旋回しています。
いつもは東に見えるのに、ものすごい爆音はすれど、姿が見えない。
と思ったら、我が家の上空、および市役所方面にまで飛ぶのは協定違反ではありませんか。

この国の憲法も日米安保も無視した「日米同盟」?「米軍再編」??
在日米軍は、やりたい放題です。
フクシマ原発人災事故に集中している間に、


ここまで書いたら1時25分、海上自衛隊機?低空すぎませんか?ったく!

イライラしますが、こんなときオキナワを思い出します。

嘉手納ではこんなもんじゃない。
普天間の危険性は?辺野古は?高江は?地味だけど浦添はどうなっていますか。
日本はいま、これだけの経済崩壊状態のときに、
なにゆえに「思いやり予算」でしょうか?
自分の頭で考えようとしない日本人の、奴隷根性が続く限り
この「国」は崩壊します。自業自得かもしれません。


米軍基地問題も原発問題も、「核」で同根です。
反原発なら、反核兵器、反核となるのは必然です。


前置きが長くなりましたが、

以下のNHK「その時歴史が動いた」をどうぞ。

母親たちの反核運動~3000万の署名、大国を揺るがす 約42分

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=rdtAG64FbYI



「3000万の署名、大国を揺るがす ~第五福竜丸が伝えた核の恐怖~ 
【そのとき歴史が動いた】
昭和29年に起きた第五福竜丸の被ばくをきっかけに日本の女性たち、母親たちが立ち上がり、世界に広がった反核運動の軌跡。なぜ広島と長崎に原爆を投下された直後ではなく­、それから9年もかかったのか、それはどういう動きだったのか、そしてこの動きは1955年(昭和30年)8月6日に第一回原水爆禁止世界大会につながっていった ‥」 
原爆マグロという言葉が広がり他の魚までもが売れなくなった当時の状況は、野菜や魚の汚染が始まり売れなくなっている現在と似ています。また高い放射能を含んだ雨が観測さ­れたそうです。ところが‥
「原爆の灰がいつ何時降ってくるかわからない世の中だもの。なにが起きたって仕方ないよ」夫は新聞を読みながらそう言う。「原爆をつくることをやめれば」わたしがそう言う­と、夫はあきれかえったようにわたしをながめていた。‥そんな新聞への投書がきっかけで女性たちの思いがつながりはじめたのは、3000万もの署名が集まる1年4ヶ月前の­ことでした。
‥ということで、今こそこの時のことを思いだして学び、再現しなくてはと思ってアップします。

削除の可能性ありますので、いいと思った方は即DLしてください。


_____________________________



以上転載おわり



人気ブログランキングへ

最新の画像もっと見る