
写真はキャンプ座間デモの途中で見かけたゴーヤー。
琉球新報より
07年6月米掃海艦与那国寄港 外務省職員が支援
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-181789-storytopic-3.html
内部告発サイト「ウィキリークス」が公開した米公電で、2007年6月に在日米海軍の掃海艦が与那国町祖納港へ初寄港した際、外務省職員が「陰で熱心に活動した」と自ら発言し、舞台裏で積極的に寄港を支援していたことが示された。
同公電では同港寄港の際、米海軍が台湾有事を想定し港利用の情報収集をしていたことが14日までに明らかになっている。
ケビン・メア在沖米総領事(当時)の公電によると、掃海艦の寄港に合わせ、外務省日米地位協定室の伊沢修室長(当時)と沖縄事務所の倉光秀彰副所長(同)らが与那国入りし寄港を支援した。寄港に反対する人々が掃海艦への接近制限地点を自由に越えたことを問題視している。
伊沢氏がメア氏に「より良い接近制限を提供するために県港湾課や県警と連携し(自分たちが)陰で熱心に活動した」と報告し、さらに、接近制限や群衆整理を担当する組織や責任の所在が非常にあいまいだったと述べたと伝えている。
また、伊沢氏が東京に戻り寄港について麻生太郎首相(当時)に報告すると述べたとしている。
その後、外務省などでどのような対策が練られたか不明だが、09年4月に米海軍掃海艦が石垣港へ入港したとき、入港に抗議する市民らが港のゲートを封鎖し、外務省などから圧力を受けた警察官や市港湾課職員が、市民らにゲート封鎖の解除を要請。メア氏や掃海艦艦長らが八重山署員の護衛で市民の座り込みを強行突破した。
メア氏は与那国寄港についての公電で「米海軍の寄港前に外務省の担当者がいたのは初めてだった」「地元の人々との連携に大きな力添えになった」などと外務省の対応を評価した。
____________________
以上転載
琉球新報より
07年6月米掃海艦与那国寄港 外務省職員が支援
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-181789-storytopic-3.html
内部告発サイト「ウィキリークス」が公開した米公電で、2007年6月に在日米海軍の掃海艦が与那国町祖納港へ初寄港した際、外務省職員が「陰で熱心に活動した」と自ら発言し、舞台裏で積極的に寄港を支援していたことが示された。
同公電では同港寄港の際、米海軍が台湾有事を想定し港利用の情報収集をしていたことが14日までに明らかになっている。
ケビン・メア在沖米総領事(当時)の公電によると、掃海艦の寄港に合わせ、外務省日米地位協定室の伊沢修室長(当時)と沖縄事務所の倉光秀彰副所長(同)らが与那国入りし寄港を支援した。寄港に反対する人々が掃海艦への接近制限地点を自由に越えたことを問題視している。
伊沢氏がメア氏に「より良い接近制限を提供するために県港湾課や県警と連携し(自分たちが)陰で熱心に活動した」と報告し、さらに、接近制限や群衆整理を担当する組織や責任の所在が非常にあいまいだったと述べたと伝えている。
また、伊沢氏が東京に戻り寄港について麻生太郎首相(当時)に報告すると述べたとしている。
その後、外務省などでどのような対策が練られたか不明だが、09年4月に米海軍掃海艦が石垣港へ入港したとき、入港に抗議する市民らが港のゲートを封鎖し、外務省などから圧力を受けた警察官や市港湾課職員が、市民らにゲート封鎖の解除を要請。メア氏や掃海艦艦長らが八重山署員の護衛で市民の座り込みを強行突破した。
メア氏は与那国寄港についての公電で「米海軍の寄港前に外務省の担当者がいたのは初めてだった」「地元の人々との連携に大きな力添えになった」などと外務省の対応を評価した。
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以上転載
