武蔵国大丸城 [オオマルジョウ] | ||
別称 | なし | |
城郭構造 | 円郭式山城 | |
築城年 | 14世紀年 | |
廃城年 | 16世紀年 | |
指定史跡 | 指定なし | |
住所 | 稲城市大丸 [MAP] | |
スタンプ設置場所 | ||
御城印販売場所 |
概要 大丸城は、多摩ニュータウンの造成に先立って、昭和55年から61年にかけて三次の発掘調査が行われた。この調査により、縄文時代から江戸時代にかけての大規模な複合遺跡であることが判明し、さらに中世の城郭跡と武蔵国分寺や国府とも関係の深い奈良時代の瓦窯跡が発見され、貴重な成果が得られた。 中世時代に築かれた大丸城は、山頂部に主郭を置く山城である。主郭の上には小建物跡と柵列跡があり、主郭のまわりには深さ2メートル~3メートルの空堀と土塁状の腰郭(第二郭)がめぐっていた。この結果、見張り台程度の規模の山城で、南北朝時代から戦国時代(14世紀~16世紀)頃に使われた事が明らかになった。市内に築かれた小沢城(矢野口)、長沼城(東長沼)とほぼ同時期の山城である。 |
案内看板
中世の時代に築かれた大丸城は、山頂部に主郭を置く山城である。
主郭上には小建物跡と柵列跡があり、主郭のまわりには深さ2m~3mの
空壕と土塁状の腰曲輪(第2郭)がめぐっていた。
この結果、見張り台程度の規模の山城で、南北朝時代から戦国時代
(14世紀~16世紀)頃に使われたことが明らかになった。
市内に築かれた小沢城(矢野口)、長沼城(東長沼)と
ほぼ同時期の山城である。
※現地案内板より
稲城市立中央図書館
市営の有料駐車場があるので、図書館を利用しながら散策するもよし。
城山公園、大丸谷山、大麻止乃豆乃天神社等周辺散策をしたのですが、主郭が
どこなのか特定できずに彷徨っていました。
この写真を手掛かりに場所の特定をした結果、城山公園はもちろんのこと
大丸谷山も城址ではないことが判明。
※「地理院地図」・「地理院タイル」は、国土地理院の登録商標です。
過去の発掘調査の写真等から、この案内板のある場所から南側の宅地がある
場所が大丸城があった場所で、城跡は完全に消滅していることが
わかりました。
宅地であるため写真を撮ることは出来ませんので、この案内板を背にして
立ち並ぶ家々の場所に、こんもりとした物見のような高まりがあったことを
妄想するしかありません。
2024/5/26最終訪問
※ 当サイトの地図は、主郭等の城の中心部にロケーションを置いておりますのでご注意ください。
※ 城址等は、私有地になっている場合もありますので、有権者の確認を行うなどをし他の人の迷惑になるような行為はやめましょう。
※ 自分で出したゴミは、家に持ち帰り処理を行うようにしましょう。
※ 城址等は、私有地になっている場合もありますので、有権者の確認を行うなどをし他の人の迷惑になるような行為はやめましょう。
※ 自分で出したゴミは、家に持ち帰り処理を行うようにしましょう。
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