今日の金曜ロードショー「魔女の宅急便」だね。
スタジオジブリの。宮崎駿監督の。
もう観るの何度目だろう。
でも録画しちゃうもんなんだよね。
魔女宅に限らず、ジブリ作品は名作が多い。
良作じゃねぇ。胸を張って名作って言えるよ。
俺の中での、あくまで俺の中での個人的な所感として、良作と名作って明確な違いがある。
良作、良い作品ってのは、終わって良い作品だと思えるのはもちろん、何度も観たくなる。
何時観ても良い作品だよな~って思える。これが良作。
じゃあ名作はどう違うのか。
名作となると、良作よりも1つ上のステージにある。俺の中では。
名作っていうのは、何度も観る中で、年を取って新たな発見・解釈を見いだせる作品だと思っている。
所謂子供の時に観たのとは違う発見が何度もある。これが俺にとっての名作たる条件。
魔女宅に限らずジブリ作品の多くは子供の頃に見て面白いと感じられるのはもちろんのこと、大人になって初めて気づく要素がある。
だから子供も大人も幅広い層で支持される。
それが名作たらしめているんじゃないかと思う。
監督は違うんだけど、ジブリ作品ってくくりなら「火垂るの墓」とかもにもそう思う。
アレも名作だよ。心に来るものがあるけどな。
あのお小言を言うおばさんなんかまさにそう。
子供のころ初めてあのおばさん見たときは「何だこのクソババアめっちゃいじわるじゃねーか!清太と節子かわいそうやんか!」って思ったものだ。
でも大人になってから見ると、あのおばさんの言い分も分からないわけではない自分がいた。
もちろん言い方接し方はキツくて良くはないんだけど、ああいいたくなる気持ちも分かる。
おばさん自身にも旦那が家開けているときには自分が家を守らにゃいかんって想いがあって、息子と娘も面倒観なくちゃならんところに清太と節子も来て。
しかも平日の昼間っからゴロゴロしとるし(笑)
余裕がない時にそういうの観ちゃうと、まあ言いたくなっちゃう気持ちも分からなくはないなと。
真面目に仕事やっとるときに真横でゴロゴロされたら殺意湧くやんか(笑)
俺めっちゃ湧くわ。こいつ帰り道でどっかのガイジに襲撃されて死なねーかなってふんわり思うわ。
でも俺なんかはまだめっちゃ優しい方だぜ。表面上はニッコリやもん。えびす顔やけん。菩薩の境地だもの。
ただやっぱりああいう物言いは子供心に刺さるものもあるので、難しいものだけどな。
子供って、こういうことされると大人になっても絶対覚えてるよ。
俺も年端もいかないガキの頃、やんちゃした時やしょうもない失敗犯した時、親に「おめえなんかウチの子じゃねぇ!」って言われて、家に数時間入れてもらえなかったときとかまだ覚えてるよ。
マジ途方に暮れるぜ。明日からホームレスかよってガチで感じちゃうからね。
どう食っていこうって泣きながら冷静に考えるからね。
話は戻って魔女の宅急便の話。
初めてこの作品見たのは、確か小学校上がるか上がらないかそんな時期だったか。
その時見た魔女の宅急便の印象って、キキの冒険譚って感じだった。
小さな女の子が都会に旅立ってそこで宅急便しながらいろいろな出来事があって。
その中で力を失ったりもしたけど最後はボーイフレンドの危機を救って大団円!みたいな。
いわゆるアドベンチャー要素が強かったわけ。
で、中学高校と過ぎて大学か社会人になった辺りから少し見え方が変わってきた。
子供の頃はアドベンチャーとして観ていた魔女の宅急便が、1人の仕事をする人として見るようになった。
見知らぬ街に降り立って宅急便で独立して仕事貰って、不慣れながらもこなしていくわけだけど、良いことも有れば良くないことも起こるわけ。
あのニシンのパイの女とかね。アレはきついぜ。
営業とかやってるとああいう光景はちょっとしたあるあるなんだけど、それでも慣れないよね。俺は。
あのパイ作る過程を観ていただけに、アレやられたらかなり心に来るものがあるわ。
しかも雨にずぶぬれになってパーティにもいけないっていう。
マジ凹むぜ。こんなんあった日には週末はヤケ酒だよ。
加えて、そうやって仕事をしている自分の横で、他の女の子たちは遊びまくって青春を謳歌するわけ。
自分はこんなに頑張って仕事しているのになぜああも違うのかって。
結構悩むところなんじゃないかと思った。
しかもそういう女の子たちとトンボが仲良かったりするから(笑)
尚更劣等感・疎外感みたいなのを感じちゃうんじゃないかな。
思えば修行に出る前までのキキって、地元から初めてデカい都市にやってきたお上りさん的なところがあるんだよ。
トンボとの初対面で「紹介もされていないのに、女性に声をかけるなんて失礼よ!」なんちゅう所とか特に。
めっちゃオトコ慣れしとらんわコイツ~(笑)なんて思っちゃう。
そして、そういう慣れていないところで仕事するって、結構最初の内は体力や精神的に苦労するもんで。
不安になったり劣等感を感じたりすることって、結構ざらにある。
上手くいってる時ならいいんだけど、いってないときは特にそう。
思春期レベルの若さならなおさら。
で、そういうフラストレーションみたいなのが積み重なって、ある日魔法が使えなくなっちゃう。
あのスランプに陥るくだりは結構重要。
何故キキは飛べなくなってしまったのかって、この作品を考えるうえでかなり重要な部分。
子供のころの俺の解釈ではただのガス欠にすぎなかったわけ。
「跳びすぎて燃料切れおこしたんじゃね?ちょっとすりゃ治るでしょ」というように考えてた。
今思えば浅はかだけども。
大人になって労働者的な目線から見ると、地元から登ってきた人間が都会でやってく中でうまくいかないことがあって、自分は魔女で特別な存在だと思ってたら年頃の女の子たちとは全然違う感じだし。
魔法くらいしかないけど私大丈夫なんだろうかと。
そうして色々な価値観に触れる中で、思い通りに出来ると思っていたことが上手く回らなくなってきて、そういうのに対する不安が積み重なって。
そうしたフラストレーションが爆発して、ああいう形として表出した。
或る意味労働者の悲哀があそこにあるわけよ。
あそこで途方に暮れるキキには我々労働者は共感しちゃうね。
そう、魔女の宅急便は労働者の賛歌なんだよ。
で、魔法が使えなくなったキキは、他の人に相談しようにも魔女っていう特殊な生い立ちなので周りの人に理解できるわけもない。
ジジはジジでオンナ作ってどっかしけこんじゃうし。
今思えばあいつマジなんなん(笑)
人が辛い状況だっつうのにセックス三昧かよ脳破壊されるわこんなん。
そしてスランプに陥ったキキを救うのがあの絵描きさんとおばあさん。
特に絵描きさんのシーンは結構好き。
「私も よく描けなくなるよ」なんてのはね、一番欲しかった言葉だろうね
自分だけじゃねぇんだって。上手くいかないことは誰しもあるんだって。
そして魔女は血で飛ぶのくだりね。ここも超大事なんだよ。
魔女の血 絵描きの血 パン職人の血。
人は誰しも個性を何かしら持っていて、その個性を生かしていくことが大事だよっていう。
まあその個性のせいで苦労もすることもあるけど、それが自分の持っているモンなんだから、それ最大限に使って生きていこうやっていう。
ここまでくると人生論になってくるな。
労働者の悲哀と熱意を謳った労働賛歌にして人生論なんだよ。
その後のおばあさんのお礼にも救われるよな。
ニシンのパイを無下に扱われて自分のやっている仕事に自信なくしている時にああいうお礼を貰うって、めっちゃありがてぇなって感じる。
仕事しててよかったなって思う瞬間だよ。
そういう人とのふれあいでキキは少しずつ自信を取り戻して、最後にあのトンボ救出っていう大きなイベントがドカーンと来るわけ。
そこでキキが自分の個性である魔女の血を最大限に活かした結果があの救出劇。
見事自己の確立をしていって物語は終了という流れですね。
見知らぬ土地で仕事をしていく・生活していくっていう、我々社会人なんかが持ち合わせているであろう不安や悲哀が込められていて、それでも自分たちの個性を生かして頑張っていこうっていうあのキキの姿に大人になって気づかされたなと。
純粋なアドベンチャーとしても、ワーカー視点から見ても面白い。
それが俺が観た魔女の宅急便だね。
あと、この年になって気づいたと言えば、あの絵描きさんはウルスラって名前らしい。
作中では出ていなかったけど、公式設定ではそうなんだと。
しかも担当している声優がキキと同じ人の声の人。しかもそれが高山みなみさんという。
高山みなみって、名探偵コナンのコナン。
言われてみればそうだわと。
恥ずかしい話、ここ最近気づいたわ。
そんなわけで、ナニが言いたいかっていうと、「魔女の宅急便」は名作だよって話。
■今日の1曲
松任谷由実 - やさしさに包まれたなら (THE LAST WEDNESDAY TOUR 2006〜HERE COMES THE WAVE〜)
スタジオジブリの。宮崎駿監督の。
もう観るの何度目だろう。
でも録画しちゃうもんなんだよね。
魔女宅に限らず、ジブリ作品は名作が多い。
良作じゃねぇ。胸を張って名作って言えるよ。
俺の中での、あくまで俺の中での個人的な所感として、良作と名作って明確な違いがある。
良作、良い作品ってのは、終わって良い作品だと思えるのはもちろん、何度も観たくなる。
何時観ても良い作品だよな~って思える。これが良作。
じゃあ名作はどう違うのか。
名作となると、良作よりも1つ上のステージにある。俺の中では。
名作っていうのは、何度も観る中で、年を取って新たな発見・解釈を見いだせる作品だと思っている。
所謂子供の時に観たのとは違う発見が何度もある。これが俺にとっての名作たる条件。
魔女宅に限らずジブリ作品の多くは子供の頃に見て面白いと感じられるのはもちろんのこと、大人になって初めて気づく要素がある。
だから子供も大人も幅広い層で支持される。
それが名作たらしめているんじゃないかと思う。
監督は違うんだけど、ジブリ作品ってくくりなら「火垂るの墓」とかもにもそう思う。
アレも名作だよ。心に来るものがあるけどな。
あのお小言を言うおばさんなんかまさにそう。
子供のころ初めてあのおばさん見たときは「何だこのクソババアめっちゃいじわるじゃねーか!清太と節子かわいそうやんか!」って思ったものだ。
でも大人になってから見ると、あのおばさんの言い分も分からないわけではない自分がいた。
もちろん言い方接し方はキツくて良くはないんだけど、ああいいたくなる気持ちも分かる。
おばさん自身にも旦那が家開けているときには自分が家を守らにゃいかんって想いがあって、息子と娘も面倒観なくちゃならんところに清太と節子も来て。
しかも平日の昼間っからゴロゴロしとるし(笑)
余裕がない時にそういうの観ちゃうと、まあ言いたくなっちゃう気持ちも分からなくはないなと。
真面目に仕事やっとるときに真横でゴロゴロされたら殺意湧くやんか(笑)
俺めっちゃ湧くわ。こいつ帰り道でどっかのガイジに襲撃されて死なねーかなってふんわり思うわ。
でも俺なんかはまだめっちゃ優しい方だぜ。表面上はニッコリやもん。えびす顔やけん。菩薩の境地だもの。
ただやっぱりああいう物言いは子供心に刺さるものもあるので、難しいものだけどな。
子供って、こういうことされると大人になっても絶対覚えてるよ。
俺も年端もいかないガキの頃、やんちゃした時やしょうもない失敗犯した時、親に「おめえなんかウチの子じゃねぇ!」って言われて、家に数時間入れてもらえなかったときとかまだ覚えてるよ。
マジ途方に暮れるぜ。明日からホームレスかよってガチで感じちゃうからね。
どう食っていこうって泣きながら冷静に考えるからね。
話は戻って魔女の宅急便の話。
初めてこの作品見たのは、確か小学校上がるか上がらないかそんな時期だったか。
その時見た魔女の宅急便の印象って、キキの冒険譚って感じだった。
小さな女の子が都会に旅立ってそこで宅急便しながらいろいろな出来事があって。
その中で力を失ったりもしたけど最後はボーイフレンドの危機を救って大団円!みたいな。
いわゆるアドベンチャー要素が強かったわけ。
で、中学高校と過ぎて大学か社会人になった辺りから少し見え方が変わってきた。
子供の頃はアドベンチャーとして観ていた魔女の宅急便が、1人の仕事をする人として見るようになった。
見知らぬ街に降り立って宅急便で独立して仕事貰って、不慣れながらもこなしていくわけだけど、良いことも有れば良くないことも起こるわけ。
あのニシンのパイの女とかね。アレはきついぜ。
営業とかやってるとああいう光景はちょっとしたあるあるなんだけど、それでも慣れないよね。俺は。
あのパイ作る過程を観ていただけに、アレやられたらかなり心に来るものがあるわ。
しかも雨にずぶぬれになってパーティにもいけないっていう。
マジ凹むぜ。こんなんあった日には週末はヤケ酒だよ。
加えて、そうやって仕事をしている自分の横で、他の女の子たちは遊びまくって青春を謳歌するわけ。
自分はこんなに頑張って仕事しているのになぜああも違うのかって。
結構悩むところなんじゃないかと思った。
しかもそういう女の子たちとトンボが仲良かったりするから(笑)
尚更劣等感・疎外感みたいなのを感じちゃうんじゃないかな。
思えば修行に出る前までのキキって、地元から初めてデカい都市にやってきたお上りさん的なところがあるんだよ。
トンボとの初対面で「紹介もされていないのに、女性に声をかけるなんて失礼よ!」なんちゅう所とか特に。
めっちゃオトコ慣れしとらんわコイツ~(笑)なんて思っちゃう。
そして、そういう慣れていないところで仕事するって、結構最初の内は体力や精神的に苦労するもんで。
不安になったり劣等感を感じたりすることって、結構ざらにある。
上手くいってる時ならいいんだけど、いってないときは特にそう。
思春期レベルの若さならなおさら。
で、そういうフラストレーションみたいなのが積み重なって、ある日魔法が使えなくなっちゃう。
あのスランプに陥るくだりは結構重要。
何故キキは飛べなくなってしまったのかって、この作品を考えるうえでかなり重要な部分。
子供のころの俺の解釈ではただのガス欠にすぎなかったわけ。
「跳びすぎて燃料切れおこしたんじゃね?ちょっとすりゃ治るでしょ」というように考えてた。
今思えば浅はかだけども。
大人になって労働者的な目線から見ると、地元から登ってきた人間が都会でやってく中でうまくいかないことがあって、自分は魔女で特別な存在だと思ってたら年頃の女の子たちとは全然違う感じだし。
魔法くらいしかないけど私大丈夫なんだろうかと。
そうして色々な価値観に触れる中で、思い通りに出来ると思っていたことが上手く回らなくなってきて、そういうのに対する不安が積み重なって。
そうしたフラストレーションが爆発して、ああいう形として表出した。
或る意味労働者の悲哀があそこにあるわけよ。
あそこで途方に暮れるキキには我々労働者は共感しちゃうね。
そう、魔女の宅急便は労働者の賛歌なんだよ。
で、魔法が使えなくなったキキは、他の人に相談しようにも魔女っていう特殊な生い立ちなので周りの人に理解できるわけもない。
ジジはジジでオンナ作ってどっかしけこんじゃうし。
今思えばあいつマジなんなん(笑)
人が辛い状況だっつうのにセックス三昧かよ脳破壊されるわこんなん。
そしてスランプに陥ったキキを救うのがあの絵描きさんとおばあさん。
特に絵描きさんのシーンは結構好き。
「私も よく描けなくなるよ」なんてのはね、一番欲しかった言葉だろうね
自分だけじゃねぇんだって。上手くいかないことは誰しもあるんだって。
そして魔女は血で飛ぶのくだりね。ここも超大事なんだよ。
魔女の血 絵描きの血 パン職人の血。
人は誰しも個性を何かしら持っていて、その個性を生かしていくことが大事だよっていう。
まあその個性のせいで苦労もすることもあるけど、それが自分の持っているモンなんだから、それ最大限に使って生きていこうやっていう。
ここまでくると人生論になってくるな。
労働者の悲哀と熱意を謳った労働賛歌にして人生論なんだよ。
その後のおばあさんのお礼にも救われるよな。
ニシンのパイを無下に扱われて自分のやっている仕事に自信なくしている時にああいうお礼を貰うって、めっちゃありがてぇなって感じる。
仕事しててよかったなって思う瞬間だよ。
そういう人とのふれあいでキキは少しずつ自信を取り戻して、最後にあのトンボ救出っていう大きなイベントがドカーンと来るわけ。
そこでキキが自分の個性である魔女の血を最大限に活かした結果があの救出劇。
見事自己の確立をしていって物語は終了という流れですね。
見知らぬ土地で仕事をしていく・生活していくっていう、我々社会人なんかが持ち合わせているであろう不安や悲哀が込められていて、それでも自分たちの個性を生かして頑張っていこうっていうあのキキの姿に大人になって気づかされたなと。
純粋なアドベンチャーとしても、ワーカー視点から見ても面白い。
それが俺が観た魔女の宅急便だね。
あと、この年になって気づいたと言えば、あの絵描きさんはウルスラって名前らしい。
作中では出ていなかったけど、公式設定ではそうなんだと。
しかも担当している声優がキキと同じ人の声の人。しかもそれが高山みなみさんという。
高山みなみって、名探偵コナンのコナン。
言われてみればそうだわと。
恥ずかしい話、ここ最近気づいたわ。
そんなわけで、ナニが言いたいかっていうと、「魔女の宅急便」は名作だよって話。
■今日の1曲
松任谷由実 - やさしさに包まれたなら (THE LAST WEDNESDAY TOUR 2006〜HERE COMES THE WAVE〜)