今日はとても暖かかった気がします。
3月はじめと言えば、卒業シーズンですね。
気分的には4月の入学シーズンよりも暖かかったりしますよね。
ということで、ふと思い出した中学の卒業式の思い出話を綴りたいと思います。
「旅立ちの日に」という合唱曲があります。
私と同年代の方には馴染みがある曲ではないでしょうか。
私の中学校でも流行に乗り、私たちが卒業する代に式歌が「仰げば尊し」から「旅立ちの日に」にかわりました。
私は先輩方と同じ「仰げば尊し」を歌いたかったのですが、
中学生にぴったりな、等身大の歌詞とメロディーに、最終的には大好きな合唱曲の一つになっていました。
私のクラスの担任は、音楽教師の女性でした。
音楽教師は受験生のクラスは持たないというものがありました。
なぜなら、行事があるごとにピアノの伴奏としての雑用がある為です。
ですが、私たちの代だけは大人の事情の特例で、音楽教師が3年生を受け持っていました。
卒業式で、担任が裏方にまわるということはできません。
ですが、小さい田舎の中学だったので、代わりができる先生もいませんでした。
そこで、私に声がかかりました。
答辞の生演奏BGMから式歌、そして校歌までの一連のピアノ役をやってほしいというものです。
私も一応卒業生なんだけど、裏方・・・?
とは言えず。
部活の顧問でもあり、クラスの担任でもあり、3年間お世話になりっぱなしの先生の頼みとなれば、
私だって一肌脱ぎますよね、そりゃあ。
伴奏はちょろいもんでしたが、答辞のBGMがなかなかやっかいです。
答辞をフルで録音したものを用意して、何度も何度もタイミングをはかりながら繰り返し部分を計算して準備をしました。
人生賭けた受験勉強の傍らで、卒業式の練習。
自分でいうのもなんですが、県で一番の進学校の受験と、首都圏の難関校の受験が控えており、
正直、しんどいなと思い、ストレスでピアノ叩きたくなったこともありました。
とは言え、大好きな学校と、大好きな先生の為です。
3年間の集大成として、頑張りました。
卒業式当日。
在校生による送辞も終わり、とうとう答辞。
この答辞野郎、壇上に上がった時点ですでに号泣しているという大惨事。
泣きながら話す為、録音とはペースが段違い。
静かにテンパる私。
どうにかこうにか普段繰り返さない部分をアドリブで繰り返し、帳尻を合わせましたが、
体育館に大勢の泣き声が響く中、私は正直心臓がバクバクすぎて、泣くどころの話じゃありませんでした。
何度となく聞いた答辞ですから、いまさらそれくらいでは泣けませんしね。
BGM係が終わって一安心、そのあとの伴奏はつつがなく終えることができました。
緊張の糸がとけたのか、式が終わってクラスに戻った瞬間、
私の涙腺がマックスに崩壊し、親友に抱き着いて声をあげて泣いた記憶があります。
もう、赤ちゃんのようにわんわん泣きましたね。
卒業式後、クラスに集まって、担任のありがたいお言葉の時間。
一人ひとり、先生が名前を呼んで、黒板まできて、みんなの前でコメントを頂くというスタイル。
「では、これから皆さんを一人ひとり、泣かせに入りたいと思います!笑
ちゃんとね、伝えたい言葉も、名前を呼ぶ順番も決めてありますよ~!
やっぱりここはね、一番最初だけは譲れなかった。
『豆腐ちゃん!』」
もうね、この時点で号泣ですからね。
先生もう卑怯、大好き。
大泣きしなが黒板に行きましたよ、クラス全員大泣きだったから恥ずかしくなんかないですよね。
「豆腐ちゃんは、1年生の時から部活の顧問として見守っていたし、
3年生になってからは担任としても見守ることになりました。
おそらくクラスの中で、一番長く、濃く、関わってきた生徒だと思います。
このクラスはみんなにも最初に説明した通り、2年生までにいじめられていた子と、
いじめられていた子を助けてあげられるような子を集めて作った、ちょっと特殊なクラスです。
そんなクラスの担任として、最初はとても不安でしたが、
そのクラスの名簿をもらった時に、豆腐ちゃんの名前があって、本当に安心したのを覚えています。
豆腐ちゃんには、いつも助けてもらってばっかりでしたね。
私自身がよく知っている生徒だったこともあり、
春の時点では、クラスの雑用を頼んでしまったり、協力してもらったり、
いろいろな場面で頼ってしまっていました。
今日も、本当は私がやらなければならない役を、私以上に立派にやり遂げてくれました。
受験勉強をやりながら、こんなにプレッシャーのかかる仕事をさせるのは心苦しかったけれど、
豆腐ちゃんならやってくれると信じていました。
豆腐ちゃんにしかできないと思っていました。
・・・本当は、私がそのタイミングだけ裏方にまわる、という話もありました。
でも、初めての卒業クラスの担任として、どうしてもずっと最後まで皆を見守りたいという私のわがままから、
豆腐ちゃんなら出来ると、私が先生方にお願いして、今日この卒業式を迎えました。
私の勝手なわがままに付き合ってくれて、本当にありがとう。
豆腐ちゃんなら、きっとすごく素敵な女性になると思っています。」
およそ10年の月日が経ちましたが、この時の先生の言葉はとてもよく覚えています。
むしろ、忘れられませんね。
先生の期待通りの「素敵な女性」にはまったくなれず、
高校受験はうまくいきましたが、大学受験は失敗し、夢だった中学校の教員は諦め、
就職活動は途中で挫折、諦めて入った会社では仕事が辛くてうつ病になり休職。
特に決まった男性もおらず、なんとなく過ごす毎日です。
先生のいう「素敵な女性」とはなんなんでしょうね。
どこから間違ってしまったのでしょうね。
・・・とかなんとか。
春風にふかれながら柄にもなく、ちょっと感傷に浸っちゃったり?
今日は散々泣いたので、明日からはまた一所懸命「素敵な女性」になれるように、頑張りたいと思います。