『バカと無知』は2021年8月~2022年6月に「週刊新潮」に連載された「人間、この不都合な生きもの」を加筆・修正し、付論2編を加えて2022年10月に新潮新書として新潮社より刊行されたものである。
著者は1959年生まれで、小説『マネーロンダリング』でデビューしている。そして『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017年新書大賞を受賞している。
まず思ったことは、よくぞ『バカと無知』というタイトルをつけたものだなぁ、ということである。なかなか気になるタイトルではあるまいか。私などは、自分のことが書かれているのではないかと、ついつい書店で手に取ってしまった。
実際に読んでみるとおもしろい。とくに巻末の引用文献からの紹介であろうが、さまざまな社会心理学的な実験の話はおもしろい。
ただし、著者自身の意見が書かれている部分には、いくつか論理的に疑問符を付けざるを得なかったところがあるので、ここではその一端について語ってみたいと思う。
たとえば、新型コロナウィルスのワクチンについての論説である。
『バカと無知』の著者、橘玲はこう語っている。
集団生活では「抜け駆け」と「フリーライダー(ただのり)」が問題になる。
新型コロナの感染抑制策で飲食店が酒類を提供できなくなると、それでも飲みたいひとたちが「深夜まで元気に営業中。お酒飲めます」という看板を掲げた店に集まってくる。「正直者がバカを見る」とみんなが思えば、ルールなんか守ってもしょうがないというモラルハザードが生じる。
感染を抑制するには人口の7割がワクチンを接種する必要があるとされるが、ワクチンは副反応が起きることがあり、ほとんどは発熱などで数日で快癒するが、(きわめて)まれに重篤な症状を呈する。
そうなると、「みんながワクチンを打つのなら、自分がリスクを冒すのは馬鹿馬鹿しい」と”合理的”に考えるひとが出てくるかもしれない。これがフリーライダーで、一定数を超えると感染が拡がり、飲食店などが打撃を受ける。
大きな社会を維持するためには、何らかの方法で「抜け駆け」と「フリーライダー」に対処しなければならない。これがわたしたちの祖先が直面したもうひとつの難問だ。
*(PARTⅠ 正義は最大の娯楽である 2 自分より優れたものは「損失」、劣ったものは「報酬」)より引用。
つまり『バカと無知』の著者橘玲氏は、正直者がバカを見る世界は好ましくないと言っている。その考え自体はもっともであろう。しかしここで挙げている例には「無知」があると私は考える。
一つ目は、「感染を抑制するには人口の7割がワクチンを接種する必要があるとされる」という前提である。集団免疫のことを言っているのだろうが、そのようなエビデンスはない。集団免疫どころかワクチンによる感染予防効果そのものが疑わしいのが現実なのだ。あの河野太郎でさえ三回接種してから感染している。政府やワクチンを推進する人々も、今では(高齢者や基礎疾患を持っている人たちに対する)重症予防効果を強調してワクチンを推奨するスタンスに軸足を移している。まあ2021年時点での(しかも偏った)知識を2024年の知識で批判してもしようがないのだが。「無知」も知識・情報をアップデートすることで「無知」でなくなる場合がある、と言っておこう。
二つ目は、ワクチン未接種者をすべて「フリーライダー」であるかのように語っているところである。そうでないと言うのならば、明らかに説明不足である。『バカと無知』の橘玲は、本書のあとがきで「反ワクチン」派が”正義”を振りかざしていると述べているが、これは「フリーライダー」論と矛盾する。そもそも「反ワクチン」の人たちは、mRNAワクチンを有害無益と考えており、ワクチン接種で重篤な後遺症が起きたり最悪死ぬかもしれないと考えており、自分はもとより近親者にも接種しないように呼びかけて、かえって「バカ」とか「頭おかしい」と思われているような人たちなのである。このような人たちに「フリーライド」という発想があるわけがない。ワクチンの効果を信じていればこその「フリーライダー」なのである。『バカと無知』の橘玲が言うような「フリーライダー」がいたとすれば、むしろしれーっとワクチンを接種したふりをしているだろう。政治家や厚労省の職員などにワクチンを打たない人が一定数いるらしいが、彼らが「フリーライダー」ということなのだろうか。いや彼らとてワクチンの効果を本気で信じて”合理的”に「フリーライダー」になろうとしているわけではあるまい。
また、『バカと無知』の橘玲は本書のあとがきで以下のように語っているが、そこでは「陰謀論」なる言葉についても、その言葉の定義を深く考えることもなく、単なる自身の思い込みに立脚して強引な論理展開をしているに過ぎない。ようするに、「反ワクチン」は陰謀論者の典型と言いたいだけなのだ。「だとすれば」も何も(論理など)あったものではない。
陰謀論的な世界では、ひとびとはみな陰謀に脅えており、だからこそ陰謀はもっとも不道徳な行為になるはずだ。狩猟採集社会では、他者に陰謀を企んでいることが暴露されると、それは黒魔術と見なされ、ただちに社会的な死(ときには現実の死)を招いた。
だとすれば、陰謀論を唱えるひとは、それが万人のための道徳的に正しい行為であることをなんとしてでも示さなくてはならない。「反ワクチン」派が典型だが、批判されればされるほど”正義”を振りかざすようになるのはこれが理由だろう。
(『バカと無知』あとがき より)
ウィルス学にも免疫学にもワクチンの仕組みにも「無知」な人が、自分の論理的思考能力の欠如についても無自覚に書いてしまったのが『バカと無知』という作品なのかもしれませんね。
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