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キリスト教で言う異端審問を調べて みると拉致監禁強制棄教を正当化した牧師の心理が見えてくる

2024-11-03 23:05:44 | 動画文字起こし

キリスト教で言う異端審問とは?

異端審問(いたんしんもん)とは、中世のキリスト教、特にカトリック教会が教義に反する教えを広めたり、異端とされた信仰を持ったりする人々に対して行った審問や裁判のことを指します。異端とされた人々には、キリスト教の教えに反する考えを持つ者、または異教的と見なされた行為を行う者が含まれていました。

異端審問は、12世紀頃から始まり、異端とされた人々に悔い改めを促すとともに、教会の権威と教義の純粋さを守るために実施されました。異端審問官と呼ばれる教会の役職者が、告発や尋問を行い、異端とされた場合は罰を科されました。その罰は、教会からの追放や財産の没収から、時には死刑に至る場合もありました。

特にスペイン異端審問(スペイン王室の主導で行われた)やローマ異端審問などが有名で、後者はのちに宗教改革に対抗するための「宗教裁判所(インクィジション)」として機能しました。


スペイン異端審問について

スペイン異端審問(Inquisición Española)は、15世紀末から19世紀初頭にかけてスペインで行われた宗教裁判制度です。
スペインのカトリック教会とスペイン王室が共同で設置し、ユダヤ教やイスラム教など異教徒からの改宗者(改宗ユダヤ人、改宗ムーア人)を中心に、キリスト教教義に反する異端者や魔術に関わる者を取り締まるための審問や裁判が行われました。以下、スペイン異端審問の概要を詳述します。

起源と背景

スペイン異端審問は、カスティーリャ王国の女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世の「カトリック両王」のもとで1478年に創設されました。当時、スペインは多民族・多宗教社会で、キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒が共存していましたが、15世紀になるとキリスト教徒の支配が強まり、ユダヤ人やムーア人に対する改宗の圧力が増しました。これにより多くのユダヤ人やイスラム教徒が表向きにはカトリックに改宗しましたが、密かに以前の信仰を続ける者もいたため、「真のキリスト教徒ではない」という不信感が生じました。

対象と目的

スペイン異端審問の主な対象は以下の通りです:

1. 改宗ユダヤ人(コンベルソ) - カトリックに改宗したユダヤ人で、表面上はキリスト教徒であっても密かにユダヤ教を続けると疑われた人々。


2. 改宗ムーア人(モリスコ) - カトリックに改宗したイスラム教徒も同様に、本心から改宗していないとみなされました。


3. 魔術師や異端者 - 魔術や異端的な教えを広めるとされた人々。



スペイン異端審問の目的は、改宗者の信仰を調査し、カトリック教義に忠実であるかを確かめることでした。しかし、異端審問が進むにつれて、異端の排除は政治的・経済的な手段としても利用され、異端審問による財産の没収などが行われました。

裁判と手続き

審問の流れは次のようなものでした。

1. 告発と尋問 - 告発により対象者が尋問を受け、罪を自白するように促されました。


2. 拷問 - 拷問は「真実の探求」として正当化され、異端とされた者に自白を強要しました。


3. アウト・デ・フェ(信仰の儀式) - 有罪とされた者には「アウト・デ・フェ(Auto de Fe)」と呼ばれる公開の儀式で刑罰が宣告され、多くの場合は火刑などの刑が執行されました。



経済的側面と影響

スペイン異端審問は、改宗者だけでなく富裕層や有力者にも適用され、告発により財産を没収する手段ともなりました。結果として、審問によって多くの財産が没収され、スペイン王室の財源となったとされています。このため、異端審問は宗教的目的だけでなく、経済的利得の手段ともなりました。

廃止

19世紀初頭、ナポレオン・ボナパルトのスペイン侵攻や世俗化の進展により、スペイン異端審問は徐々に終焉を迎え、1808年に一度廃止されました。最終的に、1834年にスペイン女王マリア・クリスティーナによって正式に廃止されました。

歴史的評価

スペイン異端審問は、宗教的な純潔を守るための手段とされた一方で、異なる信仰や習慣をもつ人々への弾圧や恐怖政治としても評価されています。異端審問を通じて、多くの人々が拷問や処刑の犠牲となり、社会には恐怖が蔓延しました。


ローマ異端審問について


ローマ異端審問(ローマ宗教裁判所、Inquisizione romana)は、16世紀にカトリック教会が設立した宗教裁判制度で、特にプロテスタントなどの異端に対抗するためのものでした。
ローマ異端審問はスペイン異端審問と異なり、主にカトリック教義を守り、異端的思想を取り締まることを目的とした教会組織が主導して行われました。


背景と成立


ローマ異端審問は、16世紀の宗教改革の勃発によって、カトリック教会に反対するプロテスタントが台頭したことにより、その対抗手段として成立しました。カトリック教会は教義を保つため、またプロテスタントの教えがカトリック教徒の間で広まるのを防ぐため、異端審問を強化する必要がありました。


1542年、教皇パウルス3世は「異端と誤謬に対する教会の教義防衛」のために「異端教理審査聖省」を設立しました。これが後に「宗教裁判所(聖省)」と呼ばれる機関となり、ローマに常設されることになります。


目的と対象


ローマ異端審問の目的は、カトリック教義の純粋性を保つことと、カトリック信者の信仰をプロテスタントの影響から守ることにありました。その対象は以下のような人々です。


1. プロテスタント - 宗教改革によりカトリックから分離した信仰を持つ人々。


2. 人文主義者や科学者 - 人間中心主義や新しい科学的知見がカトリック教義に反するとして疑われた人々。ガリレオ・ガリレイが有名な例です。


3. 魔術や異端的信仰を持つ者 - 教会の教えに反する信仰を持つとみなされた人々。




裁判の流れと手続き


ローマ異端審問の審理手続きは、特に教義を守るための厳格なものでしたが、スペイン異端審問に比べてやや穏健な面もありました。以下はその一般的な流れです。


1. 告発と調査 - 教会や市民からの告発があった場合、異端審問官が調査を行い、必要に応じて疑わしい者を呼び出しました。


2. 尋問と証拠収集 - 審問官は尋問を行い、告発内容についての証拠を収集しました。証拠が不十分な場合でも告発は続行され、当事者が自らの無実を証明する必要がありました。


3. 拷問 - 異端の自白を引き出すために拷問が行われることもありましたが、スペイン異端審問ほど頻繁ではなかったとされています。


4. 判決と処罰 - 異端と判断された場合には、主に悔悛(悔い改め)や教義の再教育が求められました。再犯の場合や重大な異端行為が認められた場合には、火刑などの処罰が行われることもありました。




ガリレオ・ガリレイの裁判


ローマ異端審問で有名な事例のひとつが、天文学者ガリレオ・ガリレイの裁判です。ガリレオは地動説(地球が太陽を中心に公転しているという考え)を主張しましたが、これはカトリック教会の教義に反すると見なされました。1633年にガリレオは異端とされ、異端審問によって「地動説の放棄」と「カトリックの教義に従う」ことを宣誓させられました。この事件は、ローマ異端審問が科学的な発見や思想に対して厳しい姿勢をとった象徴的な出来事とされています。


教会に与えた影響と廃止


ローマ異端審問は17世紀以降も続きましたが、18世紀の啓蒙思想の広がりや科学の進展により、教会の影響力は次第に低下しました。ローマ異端審問自体は19世紀に至るまで存在しましたが、思想の自由や学問の発展を尊重する風潮が強まり、異端審問は批判の対象となり廃止されました。


最終的に、1908年に教皇ピウス10世によってローマ異端審問は「聖省(現在の教理省)」へと名称が変更され、異端審問の活動は事実上終息しました。



宗教改革以降に行われた異端審問はありますか?はい。宗教改革以降にも、カトリック教会による異端審問は行われました。
16世紀に始まった宗教改革は、カトリック教会から分離するプロテスタント勢力を生み出し、カトリック教会内で異端への取り締まりを強化する必要が生じました。特に以下の2つが重要な異端審問活動として知られています。


1. ローマ異端審問(宗教裁判所)


宗教改革に対抗するため、カトリック教会は1542年にローマ教皇パウルス3世の命令で「異端教理審査聖省」(後の「宗教裁判所」)を設立しました。
ローマ異端審問はプロテスタントを異端と見なして厳しく取り締まり、カトリックの教義を守る役割を担いました。異端とされた人々には、異教徒や改宗者に限らず、カトリック教義に疑問を持つ信者や新しい思想を唱える人々も含まれていました。以下に宗教改革以降のローマ異端審問における特徴的な事例を挙げます。


ガリレオ・ガリレイ
17世紀にローマ異端審問が行った最も有名な裁判のひとつがガリレオ・ガリレイの裁判です。ガリレオは地動説を主張し、天文学や自然科学の分野で新しい視点を提供しましたが、これはカトリック教会の教義と矛盾するものとされました。1633年、ガリレオは異端として裁かれ、教会の教義に従うことを求められ、彼の著作が禁書目録に登録されました。


ジャンニ・ブルーノ
哲学者ジャンニ・ブルーノもまた、カトリック教義に反する異端的思想を持っていたとして異端審問にかけられ、1600年に火刑に処されました。ブルーノは宇宙の無限性や多元宇宙論を唱え、従来の神学に基づく宇宙観に異議を唱えたため、異端とされました。


ローマ異端審問は、プロテスタントの台頭によるカトリック教会への危機感から異端を排除する役割を果たしていましたが、次第に思想・学問の取り締まりに重点が置かれるようになりました。


2. スペイン異端審問(継続的な活動)


スペイン異端審問も宗教改革以降も続き、16世紀後半には主にプロテスタントに対する取り締まりを行いました。
スペインは宗教改革が広がる中でも、カトリック教義を守る国として位置づけられており、異端審問の強化が進みました。特にヨーロッパの他地域からスペインに移住してきたプロテスタント信者が異端と見なされ、スペイン異端審問によって迫害を受けました。


また、ユダヤ人やイスラム教徒(モリスコ)の改宗者に対する取り締まりも続きました。カトリックへの改宗を強制され、改宗後も本心からの信仰が疑われる改宗ユダヤ人(コンベルソ)や改宗ムーア人が異端とされました。異端審問は、これらの改宗者が密かに元の信仰を続けているのではないかとの疑いに基づいて行われました。


終焉と影響


啓蒙思想の台頭やフランス革命、そして19世紀の世俗化運動の影響により、カトリック教会の権威が弱まり、異端審問は次第に廃止されるようになりました。スペイン異端審問は1834年に廃止され、ローマ異端審問も、教皇ピウス10世の下で1908年に「聖省」へと改組され、異端審問の制度は消滅しました。


異端審問は宗教的な純粋性を守るための制度であった一方、宗教と思想の自由を奪う手段としても機能し、キリスト教圏における宗教裁判や弾圧の象徴とされています。


宗教的権威が人々に与えた圧力や、異端と見なされた者が恐怖に晒された状況が如実に感じられます。

歴史の一端をこうして目にすると、過去の重みや人間の信念が生み出す力について考えさせられます。


今の旧統一教会への迫害に似ていませんか?
旧統一教会(現在の「世界平和統一家庭連合」)への対応は、ある意味で歴史的な宗教弾圧や迫害と共通点があると言えるかもしれません。特に、宗教団体に対する社会的な批判や法的・政治的な圧力が高まっている状況は、異端審問のような過去の宗教弾圧と比べて考察することが可能です。

異端審問のように、宗教的、社会的、政治的な要因が絡み合い、特定の宗教団体がターゲットにされるケースでは、以下のような共通の問題が浮かび上がることがあります。

1. 社会的な非難と偏見
異端審問の時代には、宗教的に正しいとされる信仰以外を「異端」として非難し、時に極端な罰を与えました。現代においても、旧統一教会への批判や偏見が強まる中で、個々の信仰の自由が脅かされていると感じる人々がいることも事実です。

2. 政治的な利用
異端審問が政治的な力関係に利用されることがあったように、現代における宗教団体に対する批判も政治の道具として利用される場合があります。これは、政権や一部の勢力が特定の宗教団体を非難することで、社会的な支持を得る手段とされることもあり、宗教団体の扱いに対して偏りが生じる恐れがあります。

3. 信者への圧力
異端審問の時代には、異端者やその家族が社会的に孤立し、経済的に困難に陥ることが多くありました。同様に、旧統一教会の信者も社会からの非難や家族・友人からの圧力に直面し、信仰の自由が抑圧されていると感じる人もいます。


ただし、旧統一教会に対する批判の一部は、教義や活動内容、寄付金問題、社会的影響などに対する懸念から来ているといわれています。確かにこれも一つの視点です。
ただし、異端審問に当たる行為は現代では拉致監禁強制改宗行為となっています。

このように、歴史と現在の状況を比較することによって、宗教団体と社会、宗教団体と国家との関係について多面的に検討することは現代の牧師が拉致監禁を改めて問い直すための指針を与えてくれます。


旧統一教会の信者に対する拉致監禁強制棄教は、プロテスタント牧師の関わった異端審問とも言えます。確かに、旧統一教会の信者が家族や一部のプロテスタント牧師により拉致監禁され、強制的に棄教を迫られるという事例は、過去の異端審問に似た側面があります。こうした行為が行われる際、宗教的・道徳的な正当性が主張されることが多いのも、歴史的な異端審問と共通しています。


異端審問においても、教会が異端者を「誤った信仰から救済する」という名目で拘束や拷問が正当化されたように、拉致監禁による強制棄教もまた、特定の信仰が「有害である」という見解に基づいて正当化されています。この場合、以下のような問題点が浮かび上がります。


1. 信仰の自由の侵害
異端審問がそうであったように、拉致監禁による棄教の強制は信仰の自由を著しく侵害しています。現代社会においても信教の自由は基本的人権の一つであり、たとえ家族であっても、個人の信仰に対して強制的な介入を行うことは人権問題として捉えられるべきです。


2. 宗教的な対立の悪化
プロテスタントの一部の牧師が旧統一教会信者の棄教活動に関わることにより、宗教間の対立が一層激化する懸念があります。このような対立は、過去の宗教裁判や異端審問で異なる信仰が排除される際にも見られた構図であり、信者にとって大きな精神的・社会的負担をもたらします。


3. 正義や道徳の主張と個人の自由のジレンマ
異端審問では、教会の教義に反する信仰は「救済が必要な誤り」とされましたが、拉致監禁においても信者の家族や牧師が「信者のため」という名目で行為を正当化することが多くあります。しかし、これが本当に信者本人の利益になっているかは別問題であり、個人の信仰や選択の自由を制限することに対する批判が出るのも当然です。


こうした拉致監禁による強制棄教が異端審問と同じ構図を持つという指摘は、宗教的・社会的な正当化と人権問題のせめぎ合いを浮き彫りにしています。過去の異端審問と異なり、現代では信教の自由が明確に保証されているため、こうした行為は法的にも倫理的にも深刻な問題として扱われるべきです。


拉致監禁を実施する側には、信者が「洗脳」されていると見なす傾向がありますが、このアプローチは、個人の意思を尊重しないという点で、宗教や信仰に対する尊重を欠くものといえます。


中世の教職者たちも異端審問を正義の行いと信じたからこそ続けられたのだと思います。
旧統一教会の信者に対しても無反省に4300人以上も拉致監禁強制棄教がおこなわれたことはこれと同じ構図だったと思われます。
中世の教職者たちは「正しい信仰を守る」という信念に基づき、異端審問を「正義の行い」と信じて実行していました。そのため、当時の教職者たちにとっては異端審問が道徳的責務であり、異なる信仰をもつ者への強制的な改宗や処罰が正当化されました。これは、信仰と倫理が複雑に絡み合う中で、「救済」という名のもとに自由を制限し、苦しみを与える結果をもたらした典型例です。

旧統一教会信者に対する拉致監禁・強制棄教も同様に、「本人のため」「家族のため」という大義名分が掲げられたため、社会的には批判を免れやすかった面があります。しかし、4300人以上という膨大な数の信者が強制的に棄教を迫られたという事実は、まさに中世の異端審問と同じ構図であり、「救済」という名目のもとに行われる不寛容や圧力がいかに深刻な人権侵害を引き起こすかを示しています。

また、当時の異端審問も、教会の「信仰の純潔を守る」という名目で正当化されましたが、実際には宗教的権威の強化や教会の統制が目的であった側面も見逃せません。現代における拉致監禁・強制棄教も、信者を取り巻く家族や一部の宗教者が、信仰を「異端」と見なし排除する権利を暗に得ているように映る構図があり、社会全体としても「有害」と見なした集団に対して容易に不寛容になりがちです。

こうした行為が長期にわたり無反省に続けられた背景には、「正義を行っている」という強い信念があったのでしょう。しかし、この「正義」が他者の自由や人権を侵害する可能性があることに気づき、再考する必要があります。歴史から学び、現代においては個々人の信教の自由が守られるべきであるという視点を大切にすることが重要です。



フランスの弁護士パトリシア・デュヴァル氏による報告書

2024-11-03 03:18:43 | 動画文字起こし
資料リンク

報告書のPDF: The Journal of CESNUR, Volume 8, Issue 6

解説
2022年の安倍元首相の暗殺事件を契機に、日本政府が統一教会(現・世界平和統一家庭連合)に対して解散請求を行う動きが本格化しました。この報告書はフランスの弁護士パトリシア・デュヴァル氏によるもので、日本の解散請求が国際人権基準に反していると指摘しています。

具体的には、長年にわたり信者が脱会させられるために拘束される「脱会屋」問題や、「公の福祉」という曖昧な概念を用いて信教の自由が制約されている点が挙げられています。日本では新たに「不当な寄付勧誘を防ぐ法律」や「特定の不法行為の被害者を救済する法律」も制定され、これにより統一教会の信者や資産が厳しく監視されています。

また、未成年の信者を対象とした「カウンセリング」制度や、学校での人権教育の一環として「SOSレター」を通じた家庭からの脱出支援も提供されており、政府の新たな脱会プログラムとして機能する可能性があると報告書は指摘しています。

デュヴァル氏は、日本政府が未科学的な「洗脳」理論に基づき、統一教会の排除を図ることで、信者の自由意思を侵害していると批判しています。この報告書を通じて、日本の信教の自由に対する取り組みのあり方が問われています。

詳解

1. 背景
報告書は、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)が日本政府によって標的にされ、解散手続きを受けている状況について述べています。特に、2022年の安倍晋三元首相の暗殺が契機となり、統一教会に対する非難が再燃しました。安倍元首相は、統一教会系団体である「平和連合」のイベントに参加したことがあり、犯人はその支持を批判して事件を起こしたと述べています。
2. 国際人権法との対立
デュヴァル氏は、日本政府の解散請求が、日本が加入している「市民的及び政治的権利に関する国際規約(ICCPR)」に違反していると主張しています。この規約では、信教や信念の自由が保証されており、国家はこれに干渉すべきでないとされています。日本政府が信者の宗教的行為を「社会的に受け入れられない」とすることを理由に違法とするのは、同規約の趣旨に反するものであると指摘しています。
3. 強制的な脱会活動(「脱会屋」問題)
1980年代以降、統一教会の信者が家族や脱会活動家によって拘束され、脱会を強制されるという事件が多発しました。この「脱会屋」活動には、一部の弁護士や宗教団体も関わっており、信者が強制的に教会を離れさせられた後、教会を訴えるように仕向けられています。報告書では、これが違法行為であり、信教の自由に対する重大な侵害であると指摘しています。
4. 「公の福祉」を理由にした制限
日本の憲法と宗教法人法には、「公の福祉」の名のもとに信教の自由が制限される規定があります。デュヴァル氏は、「公の福祉」という概念が曖昧であり、国際基準を超えた不当な制約が可能であると批判しています。特に、統一教会の解散請求は、この「公の福祉」に基づくものであり、国際的な人権基準に照らして許容されないとしています。
5. 新しい法律の施行
2022年12月には「不当な寄付勧誘を防ぐ法律」が成立し、宗教団体が信者に寄付を求める際に「自由意思を抑制しないように」する義務が課せられました。この法律は統一教会を標的にしたものとされ、同教会の教義に含まれる「カルマ」や「地獄」の話が「人を不安にさせるもの」として、寄付を無効にする要因になる可能性があるとしています。また、寄付の取り消しが可能な期間を通常の5年から10年に延長する特別措置も盛り込まれています。
さらに、2023年には「特定の不法行為の被害者の救済に関する法律」が成立しました。これにより、解散請求を受けている宗教法人の資産管理が厳格に監視され、被害者が賠償請求を容易に行える体制が整えられました。この法律に基づき、統一教会の資産が凍結される可能性があり、信者の寄付が返還請求されるリスクも増大しています。
6. 未成年信者に対する支援計画
日本政府は、統一教会の未成年信者や元信者に対して「カウンセリング」などの支援を行うと発表しました。この計画では、元信者が「相談員」として訓練を受け、信者の子供たちに「カウンセリング」を提供する仕組みが整えられています。この措置は、信者の子供たちに対して教会の教義から離れるよう促す新たな「脱会プログラム」として機能する可能性があると報告書は指摘しています。
また、教育機関にも「人権教育」が導入されており、統一教会の子供たちが「SOSレター」を通じて家庭からの「逃避」を求めることができる仕組みも整えられています。これにより、政府は信者の子供たちに対し、親や教会の影響から脱却する道を提供していますが、これは信教の自由に対する侵害であるとしています。
7. 結論
報告書は、日本政府が「洗脳」や「精神的な操作」という未科学的な理論を基に、統一教会を排除しようとしていると強調しています。日本の裁判所は、統一教会が信者に「不当な影響」を与えたと見なし、信者の自由意思を無視した判決を下しています。こうした判決を根拠に、日本政府は統一教会の解散を求めているのです。
また、デュヴァル氏は、統一教会に対する差別的な取り扱いが続けば、同教会の信者は日本国内での信仰維持が困難になり、他国に移住するか、信仰を放棄することを余儀なくされると警告しています。この一連の対応は、日本政府が信教の自由に対する国際的な義務を無視している証拠であり、深刻な人権侵害であると強く主張しています。
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この報告書は、統一教会に対する日本政府の対応が、特定の宗教団体に対する過剰な干渉であり、国際人権法に違反しているとする強い批判の内容です。

脱会屋の嘘を真に受けて監禁した親と監禁された子の関係修復は可能か

2024-11-03 02:16:07 | 動画文字起こし
岩本牧師の動画を文字起こししてます。
表題は岩本牧師のサイトのまま使わせていただきました。
動画はこちらから

https://youtu.be/kxt0_9Oihcg?si=MpYdnbnlhJdJ_Mek

【タイトル】
脱会屋の嘘を真に受けて監禁した親と監禁された子の関係修復は可能か


【要点】No
おはようございます。ドラゴン牧師、岩本達弘です。
令和6年10月2日、水曜日の朝です。
私はどの組織にも所属せず、独立した牧師としてYouTubeで活動しております。


本日は、特に監禁問題について取り上げたいと思います。
キリスト教の牧師たちが行ってきた「監禁伝道」の問題です。
この監禁伝道によって、牧師や脱会屋の言葉を信じてしまい、子供を監禁してしまった親と監禁された子供の関係が修復可能かというテーマでお話しします。


過去には、そして今でも続く可能性はありますが、若者が統一教会に入信したことに不安を覚えた親が、キリスト教の牧師や脱会屋に相談することがありました。
その親たちは、牧師や脱会屋の煽りで「脱会させなければならない」と追い詰められ、拉致監禁に至ることが行われてきたのです。
しかし、牧師や脱会屋の語る内容の多くは、嘘でした。


統一教会(家庭連合)に対する悪評のほとんどは、左翼弁護士やキリスト教の牧師たちによるものです。
例えば、教祖である文鮮明先生への性的スキャンダルの噂は、根拠のない嘘であり、霊感商法についても、実際の被害者はごくわずかでした。
その後、左翼弁護士たちが被害者を名乗る人々を立ち上げてきたのです。


脱会屋や牧師は、拉致監禁して信者を騙し、脱会させるという手法をとり、信者が信仰を捨てるまで監禁を続けました。
その結果、霊感商法の被害者が増え、統一教会を訴える状況が作られてきました。
信者は、再び監禁される恐怖から訴訟に参加し、霊感商法の被害者とされることが続いたのです。


こうして、統一教会に対する霊感商法の悪評は、捏造されたものでした。
しかし、親たちはそのようなことを知る術がなく、脱会屋や牧師たちの言葉を信じるしかなかったのです。
本来であれば、話し合いができるにも関わらず、拉致監禁という形で信者を精神的な拷問にかけるという行為が行われてきました。


親が牧師や脱会屋の指示に従い、拉致監禁した場合、親と監禁された子供の関係はどのように修復されるのでしょうか。
牧師の指示のもとで拉致監禁された経験を持つ「川島秀夫」さん(仮名)は、この体験を銭湯に例えて表現しています。


川島さんは、監禁の体験について次のように語ります。
「自分だけが裸で銭湯にいるようなものでした。周りは皆、服を着ている。裸の付き合いとは、お互いが弱みをさらけ出し、認め合う関係のはず。しかし、実際には自分だけが裸にされ、周りの人々から責められる状況だったのです。」


監禁された信者は家族や元信者に取り囲まれ、精神的な虐待を受けます。
信者が信仰を捨てると宣言するまで、監禁は続けられました。
川島さんは、監禁する親や牧師の心情について、次のように述べています。


「自分は正しいと信じており、相手にそれを認めさせれば解決すると考えている。
自分が変わる必要はなく、相手が変わるべきだと。監禁は親子の話し合いであり、善だと主張する親たちや、監禁を本人の問題だと決めつける教会担当者たちも、その考えから抜け出せていません。」


このように、川島さんは監禁した側の親や牧師が、自らの正当性を信じ、相手を変えることがすべての解決策だと信じ込んでいると述べています。
監禁した側が監禁を監禁と認めず、正当化しようとすることは、監禁された人への裏切りであり、親子関係への裏切りです。


川島さんは、監禁後の関係回復について、次のように述べています。
「監禁後の関係回復には、監禁実行側の反省と謝罪が必要条件です。監禁を監禁と認めず、和解したふりをするのは、真の関係修復とは言えません。総互理解は、対等な関係でのみ成立するもので、監禁を実行した側が誤ちを認め、被害者の許しを請う姿勢が不可欠です。」


このように、川島さんは関係修復のためには、監禁した側が反省し、謝罪することが必要であると述べています。
反省も謝罪もなく、ただ「許しなさい」というのは、無意味であり、むしろ監禁を正当化することになります。


最後に、川島さんは、牧師という他人の言いなりになって親が子供を監禁する行為について、こう述べています。
「監禁は人間の尊厳への裏切りであり、親子関係への裏切りです。相手を人間として認めないという宣言であり、それが他人の言いなりに行われたため、家族関係の裏切りとなったのです。」


ぜひ、この川島さんのブログをご覧いただきたいと思います。
私のノート記事の資料欄からリンクに飛ぶことができますので、説明欄にリンクを記載しておきます。
ご視聴ありがとうございました。


チャンネル登録と、ご支援いただける方は献金をお願いいたします。
コメント欄に一言いただければ幸いです。皆さんからのコメントを読むことを楽しみにしております。
ドラゴン牧師、岩本達弘でした。またお会いしましょう。


<おまけ>
https://youtu.be/kxt0_9Oihcg?t=

1 0:01 おはようございますドラゴン牧師岩本達弘
6 0:06 です令和6年10月2日水曜日時刻は朝の
15 0:15 です私ドラゴン牧師岩本達弘はどの組織に
20 0:20 も所属しない独立した牧師として
24 0:24 YouTubeで活動しております今朝
28 0:28 は特にあの監禁の問題
33 0:33 えキリスト教の牧師たちがやってきたま
37 0:37 監禁電動の問題をえ取り上げたいと思い
41 0:41 ますがえ特にこの監禁伝道によってですね
46 0:46 あの牧師や脱会屋の嘘を間に受けて
51 0:51 えま子供をね監禁してしまった親
57 0:57 と監禁された子供の間のえ関係の修復は
64 1:04 可能だろうかというテーマで話したいと
68 1:08 思います
71 1:11 えまかつてねまでも未だに行われる可能性
77 1:17 はあるんですけれどもえかつて
81 1:21 えま
83 1:23 若い息子娘がえ統一教会にま入信して
89 1:29 しまったことに対してま非常にこう不安に
94 1:34 なった親たちがいてでその親たちがえ
98 1:38 キリスト教の牧師たちとかえ脱会屋にま相談
103 1:43 するということがありましたで脱会屋や牧は
108 1:48 えその親たちがえ不安になるようなもうい
113 1:53 ても立ってもいられなくなってもうあの
116 1:56 脱会させるしかないというようなええ
120 2:00 追い詰められた状況に至ってでえ拉致監禁
126 2:06 することをすかされてしまうということが
129 2:09 行われてきまし
131 2:11 たえしかしえ脱会屋や牧師が言っていること
136 2:16 のえほとんどは嘘でした
140 2:20 え統一教会家庭連合に対する悪のほとんど
146 2:26 はえ左翼の弁護士たちやキリスト教の牧師
150 2:30 たちによる立ち上げ
153 2:33 ですま例えば
156 2:36 え教祖であるえ文鮮明先生に対する性的な
162 2:42 スキャンダルの噂はもうほとんど寝も葉も
167 2:47 ない嘘でしたえ霊感商法と言われている
172 2:52 ことについてもえこれも
175 2:55 え被害者は実際にはほとんどいないえ
180 3:00 ほんの数名しかいなかったでその後でこの
185 3:05 左翼の弁護士たちがえ被害者を立ち上げる
189 3:09 ということをやってきましたえ脱会屋や牧師
193 3:13 が拉致監禁しえ監禁された信者たちを
200 3:20 えま騙してま脱会させるとでえ信仰捨てる
206 3:26 までえ監禁を続けるとそういうやり方でえ
211 3:31 無理やり信者を脱会させてしかも霊感商法
217 3:37 の被害者ということにさせられてしまって
221 3:41 でえ統一教会を訴えるということをやって
225 3:45 きまし
225 3:45 たえ統一教会を訴えないとえ元信者その
232 3:52 信者はえまた監禁されてしまうだから監禁
238 3:58 されることを避けるため
240 4:00 にえ霊感商法の被害者となってえ裁判に参加
247 4:07 するということが行われてきましたでそう
251 4:11 やって霊感商法の被害者は増えていきまし
255 4:15 たえですから統一教会に対するえ霊感商法
261 4:21 のえ悪評はもうほとんど立ち上げ
266 4:26 ですところが親たちはそういうことももね
270 4:30 調べる術がなくて
273 4:33 え統一教会に反対する脱会屋やえ牧師たちの
278 4:38 言うことをもう信じるしかなかったんです
281 4:41 ねで本来ならそんな拉致監禁なんかしなく
286 4:46 ても話し合いたいといえば普通に話し合う
290 4:50 こともできたのに拉致監禁しないともう
293 4:53 話し合いができないというようなことで
295 4:55 ですね無理やりえ拉致して監禁してそこで
300 5:00 えも1人の信者を大勢で取り囲んで精神的
305 5:05 な拷問を加えるということが行われてき
309 5:09 まし
310 5:10 たでは赤の他人である牧師や脱会屋の言い
316 5:16 なりになってこう監禁した親と監禁された
320 5:20 ことの関係はどのような条件のもで修復さ
325 5:25 れるのでしょう
327 5:27 か牧師の指示の元で拉致監禁された経験を
332 5:32 持つ川島秀夫さんという方はこの名前はえ
338 5:38 実名ではありませんえ仮の名前ですま川島
343 5:43 秀夫というペンペンネームでブログを書い
346 5:46 ておられますこの
349 5:49 え被害を受けた川島秀夫さんは監禁された
354 5:54 時の体験を次のように表現しています
359 5:59 でみますので聞いて
362 6:02 ください私は自分の監禁を思い起こす時
368 6:08 何か銭湯に入っているシンを連想し
372 6:12 ますただし1人だけ裸になっているのが
377 6:17 私そして周囲が服を着ているの
382 6:22 です裸の付き合いそれは自分の弱いところ
387 6:27 も何もかもさらけ出して
390 6:30 お互いがそれを認め合う関係
393 6:33 です反対に裸の付き合いをしようと言い
398 6:38 つつ実際は周囲が全員自分たちは一切
403 6:43 間違っていない弱点や改めるべき欠点など
408 6:48 全くないと服を着たまま本人だけを強引に
414 6:54 裸にして他人も呼んできてみなでお前は
419 6:59 お前のお前のまるまるは貧相だななどと
425 7:05 攻め立てるそんなおぞましいことが実際に
430 7:10 起こってきたの
432 7:12 ですえこのように川島さん
436 7:16 は銭湯の例えで監禁を説明してい
442 7:22 ますえ家族から誘われてじゃ裸の付き合い
447 7:27 をしようと言ってえ家族全員で銭湯に行っ
451 7:31 たところが裸になったのは川島さん1人
456 7:36 だけで後の人は服を着たまましかもそこに
461 7:41 他人他人も入ってきてそうやってたった
465 7:45 1人裸の川島さんを攻め立てるとでそれが
472 7:52 監禁だったというんです
476 7:56 ね監禁された統一教会の信者は
480 8:00 家族や元信者に取り囲まれて精神的な虐待
485 8:05 を受け
486 8:06 ます信者が信仰を捨てると宣言するまで
490 8:10 監禁は続き
494 8:14 ます川島さんは監禁された信者を
498 8:18 責め立てる親たちや牧師の心のうちを次の
503 8:23 ように言い表してい
505 8:25 ます読んでみますので聞いてください
510 8:30 自分は一切間違っておらず相手が間違って
514 8:34 いるのであり自分の正しさを相手に認め
518 8:38 させれば全てが解決するのだ自分は一切
523 8:43 変わる必要がなく相手が変わるべきなの
527 8:47 だ相手が変なものに変わった相手がヘをし
532 8:52 たために私がこんな余計なことをさせられ
536 8:56 ているの
538 8:58 だ今監禁を監禁だと認めず親子の話し合い
544 9:04 であり善だと主張する親たちそして監禁が
550 9:10 本人問題だと決めつける教会担当者たち
554 9:14 どちらもその意識から抜け出られていない
558 9:18 の
559 9:19 ですこのように川島さんは書いてい
564 9:24 ます監禁した家族や
569 9:29 え牧師はも自分は一切間違っていないと
574 9:34 間違っているのは監禁された川島さんの方
577 9:37 なんだ
578 9:38 と
580 9:40 で監禁してる方は自分の正しさをね川島
585 9:45 さん
586 9:46 に認めさせればね全てが解決するとっ
590 9:50 思い込んでいるとで監禁している親たち
595 9:55 はまた牧師たちは自分は一切変わる必要が
599 9:59 なくてね川島さんが変わるべきなのだ
603 10:03 と相手が変なものに関わったま統一教会の
609 10:09 ことですね相手が変なものに関わったえ
612 10:12 川島さんが変なものに関わったとで川島
615 10:15 さんがヘマをしたためにえ私がこんな余計
619 10:19 なことをさせられているのだ
621 10:21 とこれはあの監禁した親たちの心情を言っ
627 10:27 ていますで
630 10:30 川島さんがヘマをしたから私はこんな余計
634 10:34 なことをさせられているというんですねだ
636 10:36 から監禁したことを川島さんのせいにして
640 10:40 いるというわけです
642 10:42 ねで一教監禁を監禁だと認めず親子の
647 10:47 話し合いであり善だと主張する親たちとで
651 10:51 この親たちは監禁を監禁だと認めないと
655 10:55 いうことなんですねでしかもこれはあの金
658 10:58 は親の話し合いで善であるとね良い行いで
662 11:02 あるという風に我たちは主張するんだそう
666 11:06 ですねでそして監禁が本人問題だと
669 11:09 決めつける教会担当者たちとでこれはです
672 11:12 ねこの教会担当者たちというのはどうも
675 11:15 最初これはあのキリスト教の牧師のことか
678 11:18 と思ったんですけれどもどうもそうでも
681 11:21 なくてこのえ統一教会の教会担当者たち
686 11:26 ですねどうもやっぱりこの川島さんはあの
691 11:31 助けを求めたんですね統一教会のあのえ
695 11:35 担当者たちに助けを求めたけどもこれね
698 11:38 本人問題だと決めつけてどうもね見捨て
703 11:43 られたと感じたようです
705 11:45 ねということでですね
709 11:49 あのうん非常にだから
714 11:54 ね大変な状況に追い込まれたということ
718 11:58 ですね
720 12:00 えこのような精神的な虐待を受けた信者と
724 12:04 我が子を監禁して虐待した親たちとの関係
727 12:07 修復について川島さんは次のように述べて
730 12:10 い
731 12:11 ます監禁後の関係回復というのは本人だけ
736 12:16 で進められるものではなく実行側の反省と
741 12:21 謝罪が必要条件
743 12:23 ですまず監禁実行側は監禁だったこと自体
748 12:28 を
749 12:29 なかなか認めようとしませ
752 12:32 んその辺りの手順を無視して和解したふり
756 12:36 をするのは関係修復とは言いません総互
760 12:40 理解は相手と自分の対当な関係感で成立
764 12:44 するのであって絶対的な条件としてまず
768 12:48 監禁をした側に自らの誤ちを認め当人の
773 12:53 許しをこう素直な姿勢その気づきがなけれ
778 12:58 ば成り立ちます
781 13:01 このように川島さんはえ書いていますもう
785 13:05 ねこれが本当に大事なことで私も全くね
789 13:09 その通りだと思いますあの川島さんの言う
792 13:12 通りだと私は思いますね
795 13:15 えっととにかくね
798 13:18 あの実行した側が反省することね謝罪する
804 13:24 ことが必要条件ですね関係の回復のために
807 13:27 はね
809 13:29 そうなんですよそれがないのにねあの許し
813 13:33 ますとかね許しなさいとかねそんなことは
816 13:36 ねもう本当にバカバカしい話だと思います
820 13:40 でえとにかくこれはねあの監禁を実行した
825 13:45 側が反省してで川島さんに謝罪することね
832 13:52 でそれがあって初めてあの川島さんが親を
838 13:58 許すと
839 13:59 いう問題になるわけですよだからね相手が
843 14:03 ねあの謝罪もしていないね反省もしてい
847 14:07 ないのに許すということは全然意味がない
850 14:10 んですよ全く意味がないそれどころかその
855 14:15 監禁を正当化することになってしまいます
857 14:17 からねあのだから決してね許してはいけ
861 14:21 ないんですよ許すのは相手が謝ってから
866 14:26 です相手が反省して謝っできたとそこで
870 14:30 初めて許しますということになるわけでだ
875 14:35 から周りの人も決してあの許しなさいって
879 14:39 言ってはいけないんです
880 14:40 よ相手が謝ってきてね
884 14:44 初めて許し許すと許すかどうかを被害者が
889 14:49 決めることができるんですねでその決める
893 14:53 のも本人ですよ被害者自身が決めることな
897 14:57 んです周りの人が決めてはいけないことな
899 14:59 んですよねそこが大事でそうしないと結局
905 15:05 和解したふりをするようなことになって
907 15:07 しまってそれは関係回復とは言いませんと
910 15:10 ね川島さんが書いていますが全くその通り
913 15:13 だと思いますねねだから総互理解は相手と
917 15:17 自分の対等の関係の間で成立するとね全く
921 15:21 そうですだからその相手がね監禁を実行し
926 15:26 た側が反省して謝罪してきて初めて対等な
932 15:32 関係になれるわけですからねそこで
936 15:36 初めて許すということになるわけですから
939 15:39 ねそうなる前にね許すとかっていうことは
942 15:42 違うんですようんということ
945 15:45 ですえ川島さんは牧師という赤の他人の
950 15:50 言いなりになる形で親がこう監禁する行為
954 15:54 を親子関係への裏切りと表現しています
959 15:59 え川島さんの文章を読みます監禁は人間の
964 16:04 尊厳に対しての裏切り親子関係への裏切り
968 16:08 です大切な相手と理解し合うことを諦める
972 16:12 のは許しではなくただのバカです監禁は
977 16:17 お前を人間と認めないお前を信じないと
981 16:21 いう宣言ですそれが赤の他人の言いなりに
985 16:25 なる形で起こっただから家族関係への
989 16:29 裏切りなの
990 16:30 ですこのように川島さんが書いております
994 16:34 ね本当にそうですよね
997 16:37 はいはいこの書いてある通り
1000 16:40 ですね是非このえ川島さんのブログをね
1007 16:47 読んでいただきたいと思いますで私の
1010 16:50 ノートの
1011 16:51 記事を開いていただくとえ1番下の資料の
1016 16:56 ところからあのええブログに飛んでいく
1021 17:01 ことができますのでえ説明欄にこの私の
1024 17:04 ノートの記事をえのリンクをあげておき
1028 17:08 ますので是非確認していただきたいと思い
1032 17:12 ます以上で終わります最後までご視聴
1036 17:16 くださりありがとうございましたえ
1040 17:20 チャンネル登録を是非お願いします私の
1043 17:23 活動を指示してくださる方は献金をお願い
1047 17:27 しますえコメント欄に
1050 17:30 え何か書いていただけるとえ非常に嬉しい
1054 17:34 です皆さんからのコメントを読むことをえ
1057 17:37 非常に楽しみにしており
1059 17:39 ますドラゴン牧岩本達弘でしたまたお会い
1064 17:44 しましょう