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田村政治チャンネル【対談】 宗形真紀子さん(ひかりの輪) オウム真理教を越えてその先に見たもの カルト問題?!何を語るべきか 小さき花のテレーズの「空の手で」 美輪明宏 ヨイトマケの唄

2024-11-15 08:50:33 | 動画文字起こし
中川牧師の動画を文字起こししてます。
表題は中川牧師のサイトのまま使わせていただきました。
動画はこちらから

https://youtu.be/-A0MC1MeU4k?si=VvCjAz9FAwSxz-N8


【タイトル】
田村政治チャンネル【対談】 宗形真紀子さん(ひかりの輪) オウム真理教を越えてその先に見たもの カルト問題?!何を語るべきか 小さき花のテレーズの「空の手で」 美輪明宏 ヨイトマケの唄


【要点】248
0:03 中川TVチャンネルへようこそ八街の会顧問牧師の中川です。
さあ今日はね、こちらですね。


0:09 田村政治チャンネルにて対談をしました。
昨日ですね、14日、光の輪という団体の宗像まき子さんと対談しました。
宗像さんはオウム真理教という恐ろしい事件を起こした団体の中にいて、彼女自身も中で被害にあってるんですよ。
だから被害者ではあるんだけど、加害者団体に入ってしまっていて、一緒に叩かれてしまったようなところがあって、人体実験とかされてるから、かわいそうなんですけど。


0:42 そのオウムの先に見たものは何かね。
カルト問題って何だろうかと、もう一度考えさせられました。
宗教の教えるものは何だろうかということで、僕はね、テレーズという修道場…


0:52 宗教の教えるものは何だろうかということで、僕はね、テレーズという修道場を思い出しました。
これはカトリックの修道場で、小さな花のテレーズという修道場の、その霊性で「空の手」という教えがあるんですね。
僕はこれを結構大事に思っていて、それをやっぱり思い出させられましたね。


1:11 そしてね、宗像さんは1988年の12月にオウム真理教に入って、まだ高校生だったんですね。
それが12月で、1998年、その4か月後の1989年3月に高校卒業と同時に脱会することになった。
だから4か月でもう脱会しちゃったっていうことね。
そのままガーっとのめり込んでいったっていう、そんな感じです。


1:44 その後、オウムが崩壊して、その後継団体としてアレフというのができたんだけど、そのアレフを2007年に脱会して、それから17年経ってるんですね。
現在は「光の輪」というところで、女優文博さんが代表を務めているところで活動しています。
でも、オウム事件っていうのは、今や若い人たちの中ではあまり理解されていないという人が多くなってるかもしれない。


2:18 ちょうど来年の3月20日で、地下鉄サリン事件が発生してから30周年になるんですね。
1995年3月20日だから。当時、オウム真理教の広報として前面に出ていた女優さんと僕はロフトプラスワンで5回くらい対談を持っています。
女優さんはいろんな言論人と対談していて、僕もその一人として参加させてもらっているわけです。


2:52 また、僕自身もフィールドワークとして、実際に光の輪の教室に通って、ヨガを試みたりしました。
体が硬いんですけどね(笑)。僕は座禅ができないんですが、そういった実体験を通じてヒアリングやフィールドワークを行いました。


3:23 それでね、僕なりにテーマがあって、この問題と向き合ってるんですよ。
僕は牧師という立場を活かして、どこにでも入っていけるメリットはあるんですよね。
カルト問題というと、世間的にはそれで通るけれど、実際のところ僕なりのテーマがあるんです。
そのテーマというのは、人がさまざまな失敗から何かに気づき、人として何が大切かを学ぶことが多いということです。


4:09 僕自身も未だに多くの失敗をして、ああ、違ったとか、こんなこともこの年になって分からなかったのか、と気づかされることばかりです。
宗像さんたちもオウム真理教を通じて何を感じ、何に気づかされたかが、僕にとってはとても興味深いところなんです。
やはり、教えられるものが多くて、特に自然脱会者たちから学ぶことが多いですね。


4:51 自然に脱会した人というのは、自分が本当に何を求めていたのかに気づいて、教団を離れているからこそ、その教えを本当に理解しているんです。
僕が一番教えられたのは、宗像まき子さんの経験からでした。
宗像さんの著書『二十歳からの20年間』という本があり、僕もこの本を10冊ほど購入して配っているんですよ。


5:45 僕はこれまでいろんな本を読んできましたが、その中でも特に良い本がこの『二十歳からの20年間』ですね。
この本からは多くのことを教えられました。だから、非常におすすめです。
この本には「魔境を超えて」という章もありまして、そういった内容も素晴らしいんですよ。


6:26 宗像さんと僕は誕生日が同じなんです。
そういったことで、「同じだね」なんて言って、ちょっと親近感が湧いたりするんですけどね。


6:39 カルト問題ということで僕もいろいろと関わってきましたが、僕にとってはカルトというのは実はあまり重要ではなかったりするんです。
本当に見出したいのは、その人が何を求め、何を見つけたかということです。
だから、この本はその意味で最も優れた本だと思っています。


7:11 人が生きるってことは、そんなに生易しいものではないんですよね。
今は社会がレールを引いて、その上に乗っかっていればある程度生きていけるかもしれないけれど、一度そのレールから外れたときに、自分が本当は何を求めていたのかを真剣に考えることが必要です。


7:33 何らかの宗教に属する人だと、悩んだときに「教本にはこう書かれている」と言って、その教えを信じようとすることが多いでしょう。
でも、自然に脱会した人たちは、そういう教えから離れ、何が本当に大切なのかに気づいていく。
彼らは「空の手」で、つまり何も持たずに真実を求めようとしているんです。


8:23 僕が宗像まき子さんと対談して感じたのは、彼女がそのような「空の手」で生きているということです。
彼女の経験から学ぶことは、僕にとって本当に大きな意味があるんです。
彼女がその中で見つけたもの、何が大切なのかを問い続けている姿勢は、現代の僕らにも非常に重要な教えを示してくれていると思います。


8:53 これは、まさに宗教が伝えようとしている本質的なものであり、また、現代の人々が必要としているものではないかと感じました。
今の時代は、親が子供に愛を伝えることすら難しくなっているように思います。
かつて、僕が幼少のころに経験したような、親の無償の愛が、今ではなかなか伝わりにくくなっているのかもしれません。


9:30 僕の親の時代、特に戦後の貧しい時代を経て、高度経済成長で豊かになっていく中で、親は自分が経験できなかったことを子供にさせてあげたいと考えていたようです。
僕もいろいろな習い事をさせてもらいましたが、それが本当に自分がやりたいことだったかどうかはまた別の話です。


10:17 親は一生懸命に子供のためにお金を稼いで、いろんなことをさせてくれましたが、子供が本当にそれを求めているかどうかは、必ずしも一致しません。
親が望むものと、子供が望むものは違うんですよね。
塾に通わせても、子供がその気持ちに応えるかどうかは分からない。


10:57 そのとき僕が思い出したのは、三善英史さんの「酔待ち草の歌」でした。
古い人なら知っているでしょうが、「とっちゃんのためならえんやこら」という歌詞が出てくる歌なんです。
三善さんが歌うその姿には、ものすごい感情が込められていて、何か圧倒されるような思いを感じました。


11:39 この歌が表現するのは、親の無償の愛です。
昔、三善さんが幼少のころに親を亡くし、親代わりとなった女性が炭鉱で働きながら家族を養っていく姿があったそうです。
その姿に触れて、僕は親の愛の本質を感じました。


12:10 三善さんの友人のお母さんが、授業参観に汚れた仕事着のまま来たとき、子供たちからは「きたない」と言われたけど、三善さんはそれを「美しい」と感じたんです。
親の無償の愛というのは、時代が変わるにつれ見えにくくなってきているのかもしれません。
直接的な形で愛を示すことが少なくなった分、親の思いが子供に伝わりにくくなっていると感じます。


12:50 宗教というのは、その親の愛のような無償の愛、そして何かを直接教えようとせず、寄り添うように人を導くものなのだと思います。
だからこそ、今の時代、宗教が教えるものの本質はとても大切なのではないかと思うんです。


13:20 僕も過去を振り返ると、母親からの強い愛情に干渉されて育ってきました。
母は僕のことが大好きだったのですが、僕はその干渉が嫌で、母から距離を置こうとした時期もありました。
しかしあるとき、母の体に帝王切開の傷跡が残っているのを見たときに、母が僕を生むためにどれだけの犠牲を払ってきたのかに気づかされました。


14:00 そのとき、僕は本当に「親の愛」というものに気づかされ、感謝の気持ちが湧き上がったんです。
宗教が教えるのも、まさにそのような気づきや無償の愛なのではないでしょうか。


14:30 光の輪の活動も、そうした「何が大切か」を見つめ直し、一生懸命に拾い集めている場所だと感じています。
僕がカルト問題に関わることについても、本当はこの問題を煽ることはしたくないんです。
誰かを追い詰めたり、事件の恐怖だけを強調するのではなく、真に癒されるためには何を見つめるべきなのかを考える必要があると思います。


15:20 オウム真理教を超えて宗像さんが見てきたもの、彼女が気づかされたことを、来年のサリン事件30周年に際してもう一度受け止めることが、真の意味で日本人にとって必要なのではないかと考えています。
あの事件の傷は深いですが、過去に埋もれるのではなく、今どのように人々が変わってきたのか、何を見たのかを聞くことが大事だと感じます。


16:10 一方で、麻原に再び帰依しているアレフという団体も存在しており、それに対し光の輪は全く別の道を歩んでいます。
この2つの団体が象徴するように、オウムの経験が人々にどのような影響を与え、どのように変わってきたかを見ることも重要です。


16:36 宗像さんや光の輪の人々が見つめているもの、そしてそれが日本社会にどのような示唆を与えるか、僕はそこにこそ注目しています。


17:00 女優さんについても、強烈な印象を持っている方が多いかもしれませんが、僕は彼と会っていく中で、彼の姿勢に心を動かされました。
最初に彼と会ったのは横浜の道場で、そこで仏教について直接質問して、彼の答えがとても良かったことが印象に残っています。
また、講義が終わった後、女優さんには人生相談を受ける時間が設けられており、そこに並んでいる人たちが真剣な顔で話をしている姿に、僕は感銘を受けました。


18:00 相談を受ける彼の姿勢は本当に真摯で、相手の心に寄り添っていると感じました。
そのときに思ったのは、キリスト教の牧師とは少し違う、親しみやすさと実直さが、彼に相談しやすい雰囲気を作っているんだなということでした。
僕も牧師として信仰を伝える立場ではありますが、女優さんのように、相手の痛みや苦しみに真剣に向き合う姿勢には学ぶべきものが多いと感じました。


19:05 そうした経験を通じて僕は、自分が正義や倫理道徳を語る存在ではなく、むしろ「空の手」で人に寄り添い、相手の話を受け止める存在でありたいと考えるようになりました。
キリスト教の福音も、罪人がイエス様のもとに来て、自分の苦しみを告白し、助けを求めることから始まります。
そうした姿勢が、現代の宗教の本質として大切なのではないかと思います。


20:05 人が生きることの真実を伝えるためには、倫理や道徳で押しつけるのではなく、相手が自分で気づくことが大事です。
僕もまた、日々「空の手」でその本質に向き合い、真剣に考え続けています。


20:30 僕が最初に活動を始めたのは、横浜の寿町というところでの伝道でした。
そこは、当時はヤクザの事務所が複数あり、日雇い労働者やホームレスが集まる場所で、非常に混沌とした雰囲気のある街でした。
夜には酔っ払いがたくさんいて、その中で小さな子供たちが遊んでいる光景を見て、倫理や道徳を語るだけではどうにもならない現実を突きつけられました。


21:05 そうした場所で、僕たちはギターを弾いて賛美歌を歌いながら、子供たちと一緒に時間を過ごしました。
そのとき感じたのは、福音の本質とは何かという問いです。
現実の厳しさを目の前にしたときに、単に聖書を開いて「こう書いてある」と教えるだけでは何も伝わらないんです。


21:45 だからこそ、僕は「空の手」で福音を伝えようと思うようになりました。
手に何も持たず、押しつけるのでもなく、ただ相手と向き合い、真実を分かち合うことが大切だと感じています。
光の輪の脱会者たちもまた、何も持たず、失敗や苦しみを通して、自分自身と向き合い、真実を見つけ出そうとしています。


22:25 宗像さんも、オウム真理教の教えから解放されたとき、初めて自然の中で自分を癒すことができたと言います。
彼女は今、自然の中に身を置き、川の流れや木々の音に耳を傾け、そこから心の平穏を得ています。
それは、教団の閉ざされた内側の世界から解放され、外の自然の音楽に触れた瞬間から始まったものだと言います。


23:00 宗像さんが感じた自然の音楽というのは、川の流れや風の音、鳥の鳴き声など、一見バラバラで秩序がないように見えますが、それらが全体として一つの和音のように響き、彼女の心を癒してくれたのだと言います。
自然の中にある混沌とした音が、どうして人間の心を癒すのかは不思議ですが、その無秩序な音が逆に心に調和をもたらしてくれるんですね。
僕もまた、このような自然の癒しにこそ、人間が本来持っているべき「空の手」の姿があるのではないかと感じます。


23:48 こうした宗教の本質は、現代においてますます大切になっていると感じます。
社会の中で何が正しいかを押し付けられることが多い時代だからこそ、人間が持つ本当の姿、手に何も持たない「空の手」で向き合う姿勢が求められているのだと思います。


24:18 宗像さんたち光の輪の人々も、ただ教団の教えを押し付けるのではなく、失敗や苦しみを経験し、それを通じて見つけ出したものを大切にしています。
そして、それこそが人間として最も大切なものを教えてくれる存在になっているんです。


24:44 来年、地下鉄サリン事件から30周年を迎える中で、宗像さんや光の輪の活動がどのように受け止められるかが、日本社会にとって大切な問いかけになると僕は思っています。
単に過去の傷を掘り返すのではなく、そこから何を学び、どのように変わってきたかを真摯に見つめることが、真の癒しへとつながるのだと信じています。


25:10 僕は、過去の出来事に対してただ恐怖を煽るのではなく、その後に生き残った人たちがどのように変わり、何を見つけたのかを見つめることが大切だと思っています。
宗像さんや光の輪の人たちは、過去の教団とのつながりから抜け出し、新しい道を歩み出している。
それが、私たちにとって何を意味するのか、何を学ぶべきなのかを考えることが、真に過去を癒すために必要なことだと思います。


25:48 僕がやりたくないのは、カルト問題をただ煽り立てて、恐怖心を助長することです。
オウム事件の傷は深いものであり、30年経った今もなお多くの人の記憶に残っていますが、過去を持ち出して、再びその傷を広げるようなことはしたくないんです。
むしろ、そこから何を見出し、未来に向けてどう生きていくのかを考えることが重要だと感じています。


26:24 麻原に再び帰依するアレフと、光の輪のように別の道を歩む人々。
この対照的な選択を通して、オウム事件が人々にどのような影響を与え、個々の人生にどのような変化をもたらしたのかが見えてきます。
それぞれが異なる道を選び、それぞれの形で教団の後を振り返りながら生きていますが、そこにこそ重要な教訓があるのだと思います。


27:00 宗像さんや彼女の仲間たちが、自然の中で見つめたもの、そしてそれを通じて得た気づきは、僕たちにとっても大切な教えです。
カルト問題に直面し、その過去から何を学び、どのように未来へとつなげていくか。
それこそが、今の僕たちが抱える課題であり、光の輪の存在が示してくれている方向なのかもしれません。


27:35 この対談を通じて、僕自身もまた、信仰や人間の在り方について多くを学びました。
ですから、ぜひ皆さんも彼らの活動に耳を傾けていただき、日本社会にとっての癒しや気づきへの道しるべとなるようなものを感じ取ってほしいと願っています。


28:00 最後に、この動画が何かの気づきや励ましとなれば幸いです。
それでは、「いいね」ボタンとチャンネル登録をよろしくお願いします。
中川TVチャンネルでした。またお会いしましょう。


<おまけ>
https://youtu.be/-A0MC1MeU4k?t=3



3 0:03 中川TVチャンネルへ八街の会顧問牧師の中川ですさあ今日はねこちらですね
9 0:09 田村政治チャンネルにてえ対談をしました 昨日ですね14日はいえ光の輪という団体
15 0:15 のえ宗像真紀子さんとまあ対談しましたえ 宗像さんオウム真理というねまあの
22 0:22 恐ろしい事件を起こした団体の中にいてね えま彼女自身もえ中でねえすごい被害に
29 0:29 あってるんですよえだからえま被害者では あるんだけどま加害者団体に入ってしまっ
36 0:36 ていてっていうことでねまあ一緒に叩かれ てしまったようなところあってねま人体 実験とかされてるからねもうちょっと
42 0:42 かわいそうなんですけどはいでそのえオム の先に見たものはないんかねカルト問題
47 0:47 って何だろうかってねえもう一度考えさせ られましたで宗教の教えるものは何だろう
52 0:52 かっていうことで僕はね えテレーズという修道場ねこれはあの
58 0:58 カトリックのね道場でえ小さ花のテレーズ というえ修道場のその冷静で空の手でって
65 1:05 いうのがあるんですねえ僕はこれをえ結構 大事に思っていてうんそれをやっぱり
71 1:11 思い出させられましたねはいでね宗像さん はえ1988年の12月にオム市今入って
80 1:20 まだね高校生だったんですねえそれがね 12月だったのかうんでそうそうそうえ
87 1:27 1998年でええその4ヶ月後 1989年の3月に高校卒業と同時にま
97 1:37 出血することになっただから4ヶ月でもう 出血しちゃったっていうことねそのまま ガーっとねえのめり込んでいったっていう
104 1:44 そんな感じですでえ後景の団体でねオムが ねポシャってその公平の団体でアレフって
111 1:51 いうのができたんだけどそのアレフを 2007年に奪回してそれからね17年
117 1:57 経ってるんですね現在は光のというところ でま上祐史浩さんがま代表してるとこです
123 2:03 ねそこで活動してるんだけどまあねあの オム事件っていうのはね今やね若い人たち
129 2:09 はあんま分かんないっていう人が多くなっ てるかもしれないんですよねでもね ちょうど来年の3月の20日であの地下鉄
138 2:18 サリ事件っていうのがあった時から30 周年になるんですねえ1995年の3月
144 2:24 20日だからまあ当時ねオウム真理のその 教団のその候補として前面にテレビに出て
152 2:32 た上祐さんていうのがいてま僕はもう上祐 さんとはえロフトプラス1というところで
159 2:39 え5回かなうんあの対談を持ってるんです けどねえ上祐さんいろんなね言論人とま
166 2:46 対談してるので僕もその中でまえ参加させ てもらっているっていうまそういったこと
172 2:52 ではあるんですけどねえその他にやっぱり ねえフィールドワークっていうことをして
177 2:57 え僕自身は実際にその光の輪のその教室 みたいなの通ってねうん行ってそれでそこ
185 3:05 でちょっとヨガねあの体硬いんですけどね 僕はねあのヨガやって僕は全然座禅とか
190 3:10 できないですけどあのそういうのをやって みたりとかしてねちょっと実際にね フィールドワークしたりヒアリング
197 3:17 ちゃんとしないとっていうことでねあの やりましたはいでねやはりね僕なりにね
203 3:23 テーマがあってこの問題とまそういった 意味では取り組んでるんですよで僕はね
209 3:29 ほら牧って言ったことでまそれをいいこと にねまどこにでも入っていけるっていう
215 3:35 メリットはあるんですよねうんまカルト 問題って言っちゃまそういうことでねま
221 3:41 世間ではそれで通るからさ僕もカルト問題 でやってますすって言ってるけど実際の
227 3:47 ところね僕なりのテーマがあってそうあの 僕はねそのうまそのテーマって何かって
236 3:56 言うとえ人ってさいろんな失敗から何かに 気づかされて何か見つけて人として何が
244 4:04 大切かっていうことを気づくていうことが 多いですよねで僕自身も未だにねあの
249 4:09 いっぱい失敗してあ違ったとかねああダメ だったとかねえこんなこともこの年になっ
255 4:15 てわかんなかったのみたいなねそういった ことで気づかされることばかりなんですよ えでえやっぱり
262 4:22 えその光の輪の人たちねまあオウム真理 って言ったところを通してねそう何をね
269 4:29 えー思いその何に気づかされっていうこと をえ1番よく教えてくれるのがやっぱりね
278 4:38 これね脱会者なんですよね人間としてねえ 何が大切だったかうんいろんな失敗をする
285 4:45 とそこからねえあ本当は自分はこうだった んだ本来自分は何がしたかったんだって
291 4:51 いうことをまえ1番よくこう教えてくれる のが実はまいろんな宗教におけ奪者なん
301 5:01 ですよねえ自然に脱会した人ねやっぱりね え強制的にほら拉致監禁されてね強制的に
308 5:08 信仰捨てられたりするとそこがね結構ね 歪んだりこうちょっとそこにねえ人工的な
316 5:16 何かが加わっちゃうんだけどそうじゃなく てやっぱね自然脱会した人っていうのはあ
321 5:21 自分は本当はこれがっていうのに気づいて 離れているからねまそういったところで 教えられるんですねあのその時に1番教え
331 5:31 られたのが僕はね宗像真紀子さんだったん ですよえでね宗像さんのねあこの本ねこの
338 5:38 本二十歳からの20年間ってねえこの本が あって僕ねこの本をね10冊ぐらい買って
345 5:45 まあの配っているんだけれどそうえっとね 僕はねあの今までいろんな本を読んで僕も
354 5:54 結構多読してるのででその中でもえ1番ね ダトでえいい本がこの本ですね僕は教え
363 6:03 られた本ですはいだからねあのうんこちら の方はおすめです二十歳からの20年間
371 6:11 ってやつねえそう魔境を超えてなんていう ねそういったあのうんあのものですねあ
379 6:19 こんなこんな感じねうんねでまこちらをね おすすめではい村さんと僕ね誕生日が同じ
386 6:26 なんですようんまそういったねことでお 同じだねなつってねあれなんですけどあで
392 6:32 ねだから実際のところを僕はねあのうんま この問題ね色々とそのカルト問題っていう
399 6:39 ことで僕はちょっと色々入っていっては いるんだけど僕からするとねカルトダウ
405 6:45 ヌって結構どうでも良かったりするんです よねその人が本当は何を見出してねえ何を
412 6:52 求めていたかそれをね教えて欲しいっての が第1にあってだからねこの本はえそう
418 6:58 いった意味でえ最も優れた本だなっていう 風に僕は思ってますはいま人が生きてい
425 7:05 くってさそんな生優しいものじゃないじゃ ないですか今はねこう社会がこうレールを
431 7:11 引いてねそこに乗っかっていればある程度 無事生きていけるかもしれないまそれで
437 7:17 いいんだけどねそれでいいんだけど一度ね 外れた時になんで社会の備えたレールから
444 7:24 外れたのか本当は何を求めていたのかそれ をねえ真摯に考える人ってまほらえ何らか
453 7:33 の宗教の信者さんだとさうんじゃあ え悩んでました俺の答えこれですとか言っ
461 7:41 てさその教本持ってきたりまその宗教の 教えっていうのを目の前に持ってくる
467 7:47 でしょそれであなたにもこれを伝えたい私 がいいと思ったからって言ってねこう来る わけじゃないですかねでも自然脱会者は
475 7:55 違うんですよ本当は何を求めたのかって 言った時にその他あの目にさこうあの教え
482 8:02 を信じたけどこの教えがほらってことは できないわけですよもうねあの脱会者だ
488 8:08 からねでそれはしないんですよそれはそう ですよねでそうするとねむしろねまさに僕
494 8:14 はね空の手でねあのうん殻の手をね見せて くるんですよ自然脱会者ってうん私ないで
503 8:23 すってそういったものでねのめり込んで その色々ねうつまづいてねこう失敗して出
510 8:30 てねで今ないですってだからね殻の手を 見せてくるんですねでそこから語られるも
516 8:36 のっていうのがすごいね僕の中ではえ非常 に大切なものが多くてその時にねえ本当に
524 8:44 この人は何を求めていたのかっていうのを 知るんですよで僕もねそうだったのかも しれないななんてね思ったりもしてねそう
533 8:53 方さんと対談してる時にま思い出したんだ けどこれはまた僕の話になってね申し訳
539 8:59 ないだけどま僕はね今の時代こそ宗教って 大事だなってえちょっとね気づかされた
545 9:05 ことがあってねあそれはね何か信仰する ものがあった方がいいとかねこういう教え
551 9:11 あるよいいよとかそういうんじゃなくて この宗教が伝えたいと思ってるとこの本質
556 9:16 的なものっていうことかなうそれでね今の 時代はほら子供にね愛を伝えるのが非常に
563 9:23 難しい時代だなっていう風に僕は思うん です今の時代そうね僕のあの親の時代も
570 9:30 そうだったのかもしれない僕はね小学校の 時にねフルートとかねアイススケートとか ねま本当ねいろんなものをね習ったんです
578 9:38 よえで軸位もねもう毎のように言ってたり したしねうんなんだかんだお金がかかっ
584 9:44 たっていうまことではあるんだけど僕のね そうするとね親の世代ってやっぱりね戦後
591 9:51 あのやっぱまず貧しかったところからあの 高度経済成長でどんどん豊かになってい
598 9:58 くっていう家だったんですよねで親自身は あの子供の時は貧しかったんですよでも僕
605 10:05 たちその子供に対しては自分ができなかっ たことをさせてあげられるさせてあげたい
611 10:11 みたいなねえ子供に習い事をさせ るっていうことがねまあの親としてのやら
617 10:17 せてあげたい自分はできなかったけど子供 にやらしてあげたいみたいなねそういった ことでまあの一生懸命パートしてね子供の
625 10:25 ためにねこううんなんかこう習い事のため ためにお金稼いでとかねそんなこともして
632 10:32 いたりしたんですよねそれであの子供に いろんなことをさせるとで僕もあのそう
638 10:38 いった意味ではねいろんな習い事をまさせ てもらったっていうまそういったことでは あるんですねじゃあそれがやりたいかって
645 10:45 言った時にじゃああのえフルートやりた いってあの言われた時にあ僕やりたいって
651 10:51 言ったんだけど本当にやりたかったわけで はないんですようんでまねでもでもねあの
657 10:57 親は一生懸命でねそれでまやらせてあげる からっていことでまやらせてもらった
663 11:03 けれどもあのやっぱり親は親でそこでね 結果を求め求めるけど子供はさ本当はそれ
671 11:11 を求めてないわけですよねやらしてもらえ るっていうことで物珍しいからまやったん
677 11:17 だけどでも親の望むものとやっぱりねこの 望むもが違うんですよねそこでねあー塾と
684 11:24 かさあの特にそうですよ親は塾に行かせる のにさもう本当え生活切り詰めてねうまく
692 11:32 やって自分は買いたいものも買わずに子供 のためにお金作ったあの使ってそれはね親
698 11:38 の愛としてま他の子も言ってるからね自分 の子にも同じことをさせてあげたいという
706 11:46 ことで結構無理してる方もね今の時代とか 子供ね結構塾行きますからねうんそういう
713 11:53 感じですよねでも子供はね塾で あの結果が出ないことなんてのは普通に
721 12:01 あるわけですよでだってさあの子供はさ 基本的に勉強嫌いだからねま全員が全員
727 12:07 嫌いだからねほとんどねそうすると親の愛 ってそのなかなか分からないってことが
734 12:14 あるとだからあ勉強しなさいみたいなねで 塾行ってんのにって行かしてあげてるのに
739 12:19 親は一生懸命自分の身を削ってねやってる のにね子供がね結果をあの持ってこない
744 12:24 なってねそんなことをすると親の愛って なかなかわかんないんですよねあでねその
750 12:30 時にその僕をちょっと思い出したのが 三義って秋か美ひっていう人のねえ酔い
759 12:39 とけの歌って知ってますかね皆さんこれね 古い人は知ってるんですよねとちゃんの
766 12:46 ためならえやこりっていうやつねこの歌な んだけど三が歌うともうねそこにね
775 12:55 ものすごいねあの 言うんだろうねなんかもうものすごい感情
783 13:03 が入ってね何なのこれっていうぐらいの 思いをねそこに叩きつけて歌ってるんです
789 13:09 よいや何なんだろうなってこうやって ちょっと調べたことがあってねその時ね あの三が幼少の時に一緒に育った友人のえ
800 13:20 お母さんまもう亡くなってしまってね早く ねで要はあの父親とかま子供や子供ねう
809 13:29 ためにねま自分が働かなきゃいけなという ことで男の中に入ってね炭鉱で仕事をして
815 13:35 ねこうそうやってあのお父さん子供って いうの家族を養うっていうねそういう歌
822 13:42 お母さんの歌なんですようんでその お母さんを思ってねあの歌った歌でま女の
830 13:50 人がね炭鉱で働くってまあのその時炭鉱の ねあの仕事って給料良かったからねそこに
837 13:57 ま身を投じていったっていうことなんだ けどとま仕事はする時にねあのその友達の
843 14:03 授業参観にお母さんが仕事着のまま来たん だってまあのやっぱね汚れたあれでで
851 14:11 ちっちゃい子もいるからねちっちゃい子を ってきたとねそしたらま汚い格好で来 たっていうことでま注目浴びてたんだけど
859 14:19 そのちっちゃい子がねそのまその友達のま 弟かなんかですよねまだ幼いでその子はね
866 14:26 鼻水を出していたとでそれをねお母さんが ねつって吸ったんだっ
872 14:32 てそしたらあのそのクラスの子はねみんな ねきったねえきったないって騒いだってで
879 14:39 でもね三はそれをねすごくねあ美しいなっ
885 14:45 て思えたってね今の時代はさそういう親の
890 14:50 愛ってすごく難しいですよねうんなんか 直接ねそうやってね鼻水をすすってくれ
898 14:58 るっていうこともないわけじゃないですか ねでえ親はえ他の子と同じようなねこう
905 15:05 さっき言ったけれどもえ同じことをさせて あげたいなと思って無理してたりしてもね
910 15:10 子供はそれがねなんか えじゃあ自分が本当勉強したいかっていう
916 15:16 とあんま勉強したくないみたいなねま そんなこともね含めてうなんか親の愛情
921 15:21 っていうのをこう受け取りにくいっていう かねうんでも宗教ってそういうのを
927 15:27 ダイレクトで教えるものじゃないですかだ からね僕はね今の時代こそ本当はね宗教
935 15:35 から学ぶことって大事なんだなって思うん ですようんでそうあの僕もねあの振り返る
942 15:42 とその母親からねすごい感性されてねま 母親僕のこと大好きですからねでも僕はね
949 15:49 その干渉が嫌でだからねもう一切ね母親を こう自分のねに関わって欲しくないって
955 15:55 ことでもが逃げたんですよねうんでまあ ある意味で母親のね干渉されたことでもう
962 16:02 ひどくね母親を恨んでなんて言ったところ もね強く出た時期があってねこれはま誰も
967 16:07 がねあのあるとは思うんだけど僕は結構 強く出たんですねでもねある時ねあって
973 16:13 違うなと思ったのは何かあの母親のねその ま親の愛っていうものを会って気づいたの
980 16:20 は何かって言うと僕を産な時にあの母親
985 16:25 ってねえま帝王世界で僕生まれたんですよ うんだからあの僕の母親のお腹には僕を
993 16:33 産んだ時の傷がね思いっきりこうガって 刻まれてるんですよねあそれでねその傷を
999 16:39 見たとあの思い出した時にあ違うっと思っ たんですよね僕はもう本当に母親何なんだ
1006 16:46 あいつはみたいなねそういってちょっと 憎しみでねこう満たされるようなところが
1011 16:51 あったんだけどあ違うってその時にね 気づかされたんですよあの母親の体にはね
1016 16:56 あの思いっきり僕を産んだ時の傷がね刻ま れててでまその時ねあやばい勘違いして
1023 17:03 たってそん時にねあの思ってねでやっぱり ねこうまそういった意味ではあーあそう
1033 17:13 母親の愛っていうかな親の愛っていうのを どこで知るかって言うと僕はやっぱりその
1040 17:20 うんなんだろうな習い事をさせてもらった とかなんとかっていうことじゃなかったん
1046 17:26 ですよねうんそうじゃなくてその母親の お腹の傷なんですようんでねあの光の輪は
1056 17:36 何が大切だってのをかをなんかね一生懸命
1061 17:41 ね今ねこう探しているっていうそういった もの拾い集めているっていう作業をして
1068 17:48 いる場なんですよねでね僕がカルト問題 って言ってまやることも本当は嫌いなんだ
1076 17:56 けどそのカルト問題って言ってて嫌なのは ね何かつうとそのまそれをね煽りで潰そう
1085 18:05 とするってこですよああいつはとかねそれ であいつはなんかオムにいたんだとかオム
1091 18:11 は怖いとかわあとかアサラしこまだやっ てるとかねそんなことをまだ言われたり
1097 18:17 するんですよえま確かにあのオム事件って 日本人の心にね深く傷まれた恐怖だし傷だ
1106 18:26 しね痛みだったりするんだけどうんでもね 本当の意味でうんそれを癒すっていうこと
1113 18:33 だったら僕はね見るべきものがあるんじゃ ないかとでだからカルト問題って何だろ
1119 18:39 うって書いたのはそれなんですねでオム 心理を超えて先に見てその先にね見たもの
1126 18:46 だから宗像さんが今見ているものとかねで 何に気づかされたのかとかそういうのをね
1132 18:52 えやっぱりあの来年の3月の20日でえ
1138 18:58 30年になるんだからその地下鉄サリン 事件からねだからねそういったものね
1143 19:03 ちゃんと受け取るというかそれ何を見た のっていうのを聞くってことは僕はすごい
1150 19:10 大事なことだという風に思うんですよで それがね日本人を本当の意味で癒すと思う
1157 19:17 しねうん結果どうだったのっていうそう いうことね30年経ったけどあなたは何を
1162 19:22 見たのでその時にあ私はこういう風なこと に気づかされたっていうのを聞いたらね
1168 19:28 その色々被害者もいるでしょうね痛みを 追った人もいるでしょでそういった人たち
1175 19:35 もあの許せるか許せないか別にしてうん そうかって思えることもあるだろうって
1182 19:42 思うんですよねそれをねわざわざあの事件 がつってこの傷口に塩を塗ったりするそう
1190 19:50 いったことをその喜んでしてる人たちがい てまたあの人たちにこのねオム事件を語ら
1197 19:57 せるのかと思うと僕は嫌なんですよねええ まそういったことでねで一方でね麻原新婚
1205 20:05 に怪奇したアレフていう団体があるわけ ですうんアレフっていうのがあってねま光
1211 20:11 の輪は真逆に進んで本当この2つがねあの 対象的にねあの歩みましたよねうんだから
1218 20:18 あのそういったところもちゃんと見るのが いいなっていう風にね僕は思ってますはい
1224 20:24 常夜さんについて言うとねやっぱりね強烈 な印象があ皆さんにあってねうんでそう
1230 20:30 いった意味ではうんちょっとねあのどうな んだろうっていうことがあるかもしれない
1236 20:36 でだから上祐さんについてねちょっと語っ ておくとま僕はもうな全然慣れちゃってる からま全然なんでもないんですけどねうん
1243 20:43 上祐さんにねあの冗談も言うしねあ ツッコミも入れたりもするしねあだけどね
1250 20:50 あの毎にそのあの最初に上祐さんあった時 ま横浜にその道場があってねそこにま行っ
1258 20:58 て見たんですよでそこにでまた僕はその あのできない座禅をねしようとしたりした
1264 21:04 ねそんなことでねあの上祐さんとの初のま 顔合わせっていうことがあったんだけどま
1272 21:12 そのね時にま講義も受けたんだけどねその 講義もね非常に良くてねえ僕はあの仏教と
1280 21:20 はなんぞやってことをあの直でねこう質問 して通ってその答えがえとてもねあの僕の
1287 21:27 中ではあ良かったっていうまそういった こともあってねうんでも僕がね1番驚いた
1294 21:34 のは そのそのその講義とかそういうのが全部
1299 21:39 終わった後なんですようんで終わった後に みんなこう帰ってきましたよねでもね残っ
1304 21:44 てねあの上祐さんに相談できる人生相談
1310 21:50 みたいなねえそういったことができるうま 時があってでねそこでね並んでんですよ人
1317 21:57 が7人ぐらいいたかなで僕はまえ一応牧
1322 22:02 っていうことでねうんとまた上祐さんもえ なんか牧が来たよっていうことだからあの
1328 22:08 ちょっと話したいみたいなあのこともあっ たのかあのちょっと待っててくださいねっ てことで僕は1番最後にねあのまゆっくり
1335 22:15 話すってこともあったんだろうけどま僕は それで順番待ちをしていたらもう結構長く
1341 22:21 てね1時間ぐらい経ってもまだあと2人 ぐらいいるみたいなねまそういう感じだ
1348 22:28 だったんですよねでねその時に僕はね ちょっとね本当考えさせられたんですねじ
1356 22:36 あの上祐さんが人生相談をするっていうね ああでね順番待ちっていうことでね本当ね
1364 22:44 その相談してる姿は見えるんですよで上祐 さんも真摯にその人に向かってなんか色々
1371 22:51 とあの話をしてるんですねま彼の場合は 仏教的なねなんかからこう話してるけど
1379 22:59 そうでねあのま上祐さん自体がさ非常に 能力のある人だからねうんでもねやっぱり
1387 23:07 ねその能力があるとかないとかそういうん じゃないんですよねあーで僕はねこうそう
1393 23:13 衝撃だったのはまあのあそう気づかされ たっていうことであればねキリスト教の
1399 23:19 牧師ってね負けてるんですよあのどうあれ なんかねその立派そうっていうかねうん
1407 23:27 なんか偉そうなんじゃないかなって僕は そう思ったんですよね僕は全然違うんです けど偉そうじゃないんだけどあのでもね
1415 23:35 なんかねそうあのね上祐さんにはあの相談 できるんですよ上祐さんにはあの多分ね
1424 23:44 あの人には言えないことは言えるんですよ うんそう彼にだったら言えるみたいなね
1431 23:51 うんでまあの相談してる人はね心になんか ま病を追ってるんだろうなっていういう
1438 23:58 ような感じの人だったしその真剣な顔でね あの上祐さんにまあの相談してい
1446 24:06:00 るっていう姿があって僕ねそうかって思っ たんですよねあの人の痛みや苦しみってね
1452 24:12:00 それってさ人には言えないからだから自分 1人で抱え込んじゃうじゃないですか誰も
1458 24:18:00 言えないからさだからあの1人で苦しむ わけでしょじゃ誰なら言えるって言った時
1465 24:25:00 にあ教会の牧師さんにやんなら言えるとか そうならないんですよねうん人に言えばさ
1473 24:33:00 ああすべきだこうすべきとかあの言われ ちゃうし倫理道徳でねさかれるかもしれ
1478 24:38:00 ないしキリスト教の牧師のとこなんかいっ たらね食い改めなさいとかねもう言われ
1483 24:43:00 ちゃうかもしれないんですよねうんそう 思う時ねあ僕じゃないなって思ったんです
1490 24:50:00 よねうんだから上祐さんには言えるん だろうなと思ったんですだからねあうん
1496 24:56:00 その時にね人が生きるってねあの本当に 真剣に考える とそうやっぱりね僕はどうしても倫理道徳
1505 25:05:00 で語れないんですよあだから倫理的にも 道徳的にも立派なあ人そういったものを
1512 25:12:00 見るとそうするとねうんそういった人たち は尊敬するんだけど僕はやっぱりそういう
1519 25:19:00 ところに立てないんですよね僕は本当正義 でもないしねうん正義のところにも立て
1526 25:26:00 ないしそううんだからねねそうすると人が
1531 25:31:00 ねイエス様には語れるっていうそのイエス 様って何だろうなって思うんですそうする
1537 25:37:00 と僕とは真逆の人間だしそうキリスト教会 がね実はあイエスキリストから遠く存在し
1546 25:46:00 ちゃってるんだって言ったこともあなんか 思わせられるんですよねそうするとね
1551 25:51:00 イエス様が伝えていた福音って何だろうっ ていうことねあの罪人がねイエス様の
1557 25:57:00 ところに来てさそしてえなんか語るわけ でしょあの僕を助けてくださいねあのどう
1566 26:06:00 したらいいでしょうかってでその時イエス 様には言えたんですよねでえイエス様には
1572 26:12:00 言えたうんだからねそう言った時にじゃあ 一体これって何だろうなそこにえ語られる
1579 26:19:00 とこの福音って何だろうなっていうのを ほい考えるとやっぱりねえキリスト教が
1585 26:25:00 倫理道徳で語るって言ったところはそれは 違うということになってくるとじゃあ何
1591 26:31:00 だろうっていうことですね僕あのコブ町 電動っていうのが最初だったんですよねコ
1596 26:36:00 長っていうのは横浜のまあ中区という ところにあるねその一角で30年前とかは
1603 26:43:00 もう本当にヤザの事務所が5件ありました ねえそれでねほら東京で言山屋えあの大阪
1611 26:51:00 で言鎌崎で30年前はもっとねもう本当え なんて言うんですかねえ会員ホテルもう
1620 27:00:00 あのベニア1枚でねあの仕切られてるそう いったところでねうそれで日雇い労働車
1626 27:06:00 それからホームレスの人とかまそこに 溜まるみたいなまそういったところでねえ
1631 27:11:00 それでえ道路でね大きな焚き火をする みたいなもう無秩序状態ですよねえ夜中に
1637 27:17:00 えもうえ8時9時ぐらいだと酔っ払いがね
1642 27:22:00 うろうろしてる中を小さい子供がねえ 遊び回ってんですよで小学校低学年ぐらい
1649 27:29:00 の子たちがギャギャ騒いでるからえ君たち 親はつったらえだって帰ってこないもんて
1655 27:35:00 言うんですよね家に帰ってこないってうん ほんで要は会員施設に止まってるんですよ
1660 27:40:00 家族でまそういったあのところだったん ですよねうんでうそうするとねうん何か
1668 27:48:00 こう倫理道徳でその語れるかこの世の今の ね社会秩序でそのこの子たちにね何語っ
1677 27:57:00 たらいいんだろうって うん子供はこんな時間にえ遊び回ってい
1683 28:03:00 ちゃいけないよとかね語れないんですよね だから一緒になってねまその時ギター引い
1688 28:08:00 てる人もいたからねえギター引いて賛美し てね夜中の9時とかにねあのちっちゃい子
1694 28:14:00 たちねまだ低確年の子たちとね歌歌ったり ねこうしたんですけどうんでもねやっぱ
1701 28:21:00 そういたことの経験を通してえじゃあ一体 福音って何だろうなっていうことをあの
1708 28:28:00 あの思わせられましたはいでえそうそう 宗教の教えるものはって言った時にだから
1713 28:33:00 さそういった現実を見た時に僕わかんない んですだから何を持ってっていいかねだ
1720 28:40:00 あのえ僕福音派だからさ福井派の人って すぐにさ聖書開いて聖書にこう書いてあ
1727 28:47:00 るって言うんだけど僕はねそれができない んですようんでいつだってあ主どうしたら
1734 28:54:00 いいんですすかっていうことで空の手でっ ていうねもそういうことねでもう殻の手
1740 29:00:00 でって言った時にえやっぱりねえそう脱会 者の人たっていうのはま教えを握ってて
1747 29:07:00 それでつまづいたわけでしょだからあの何 もないわけですよ何もないところでえ
1754 29:14:00 やっぱり手探りでねそれであの見つける ものがあってえその宗像さんはねえもう
1762 29:22:00 ほとくる狂ってしまうようなねそんなほら え要はオムしにをのめり込んでいたわけ
1768 29:28:00 でしょそっから出たわけじゃないですか そうした時にえ見えたものがえ自然だった
1774 29:34:00 んだっていうんですよねだから今彼女は 手元道とか言って自然の中に入って一生 懸命やってるんだけどあの朝原ってさあの
1782 29:42:00 目が見えなかったんですねほと目が悪くて ねだからうにこってうちのあの内側のこと
1788 29:48:00 ばっかりでこうやってたということなんだ けど あその初めてねその教えからま目の前のね
1798 29:58:00 自然が開かれてそしてね川の流れとかえー 木々の音そういったものが音楽になって
1805 30:05:00 流れてきてその音楽が自然の音楽ですよね 音楽が自分の心を癒したっていうことがま
1813 30:13:00 書いてありますはいでね不思議とねそうな んですよあの大自然森の中入るとあのねえ
1822 30:22:00 草のねあのかれる音とかねあの川の流れも そうだしあのいろんな動物の鳴き声もそう
1829 30:29:00 じゃないですかあれって無秩序ですよね あの綺麗な音海をなしてないわけじゃない
1834 30:34:00 ですかねバラバラじゃないですかバラバラ なのに自然っていう全体の音楽を奏でて
1841 30:41:00 いるわけですよそれが人間の心をなぜか 癒すんですよねバラバラでさなんかしん
1848 30:48:00 ないけどさ戦慄もなくなんかごちゃごちゃ なそんな音の集まりがなぜか人の心を癒す
1855 30:55:00 んですよね自然それがあの自然の中に入っ ていっってって言ったあの時のね癒しでも
1861 31:01:00 ありますよねだからこれはね不思議だなっ ていう風にね本当思うんですでやっぱり
1867 31:07:00 それはえ人がねうんなんか心に持っている ものっていうのをまああこうだみたいなね
1874 31:14:00 こう出なければならないみたいなそういっ たものよりもその殻の手でねあのま神の前
1881 31:21:00 に出るみたいなねまそんな時に聞こえて くるものなのかなと思ってえいるんですよ
1887 31:27:00 ねはいということで僕はいろんな意味で あのえ分かりませんみたいなねあの殻の手
1895 31:35:00 でねそこであの今でも教えられてい るっていうことでもあるんですけどえ脱会 者の方はそういったものをねあの何かこう
1903 31:43:00 これをっていうんで持ってくるんじゃなく てえ何もないものでねあの持ってくるので
1908 31:48:00 あだから非常に教えられるということです ねはいということでまえ来年
1915 31:55:00 ええま地下鉄サリ事件からが30周年と いうことなのでえそういった意味ではえ僕
1922 32:02:00 はね宗像さんのそのう働きというか
1927 32:07:00 え非常に光の輪の人たちが何を見てね何を 大切に思ったかっていうのちゃんとねあの
1934 32:14:00 聞いてあげるってことが僕はえ日本のえ人 たちにねあれだけの傷を追ったからねそう
1942 32:22:00 いった人たちにとっては必要なんじゃない かっていう風に僕は思ってますえそれに 対してまああのああだこうだっていうのは
1950 32:30:00 まあ自由なんだけど僕がやりたくないのは あの煽るっていうやつねああれはやめて
1956 32:36:00 欲しいなっていう風に思いますもう本当に 傷を追ったんだからあの絶対にえそのね
1963 32:43:00 30年経ったんだからねまた同じことの 繰り返しをするのはやめてほしいっていう
1968 32:48:00 ことでねあの是非えそういった意味ではえ まええこの本もねあのおすめですし
1976 32:56:00 ええ彼らのその発信っていうのもね ちょっと聞いてみていただけたらなと思い
1983 33:03:00 ますいうことであのいいねボタン チャンネル登録の方もよろしくお願いし ます中川TVチャンネルでしたまたお会い
1990 33:10:00 しましょう


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