とある現場で出会った方々と働いて、考え方が変わっていったこと。
強迫性障害が和らいできたことを話したいです。
29歳の頃、ビジネスホテルの清掃員をしていまして、そこは日本人5人、フィリピン人6人で協力して清掃をしていました。
フィリピンの方は、真面目に仕事をこなしつつ、
一方で、休みの時間は楽屋でダンスしたり、歌ったり、料理を振る舞ってくれたりして、
仕事とプライベートのメリハリがあり、明るく逞(たくま)しい印象でした。
その方達と仕事をして学んだことがあって、仕事は真面目にこなしつつも、それ以外では、
「自分に甘く、人に甘く」
というスタンスでいらっしゃったので、一緒にいて心地よかったんです。
私は、人間関係や接し方において「完璧で善良な自分」を演じていないと、周りから評価されないと思っている部分が今もあります。
(なので、人に気遣いすぎな性格なので、あまり人と関わりたくないというか、深入りしたくないというか、適度な距離での交流がいいと感じています。)
でも実際は、自分と向き合ってみると、
(クズやな~、大雑把やな~、口下手やな~)
って、ダメダメな部分もあるわけで、完璧な自分を演じ続けることは無理があるんですよね。
人間関係も「完璧」にこなせないです。
空気読めずに人を傷つけてしまうこともあるし、失敗することもあるわけですよ。
(/-\*)カタジケナイ..
私は「完璧」「自分の失敗を許さない」考えが当たり前にあって、それが強迫性障害の、
「ドア閉めたか、ガス閉めたか、何回確認しても不安で、確認行為が止まらなくなる」
に繋がってる気がしたんです。
なので、私も「自分に甘く、人に甘く」という考え方を意識してみたんです。
そしたら、とても生きやすくなって、確認行為も緩和されてきたんです。
そんななか、一番仲の良い77歳の先輩が辞めることになりました。
辞める数日前に、話の流れで私が「何度確認しても不安なんですよね~」って話をした時に、
「それは私もそうだった。
でも70歳過ぎて、気付いたらなくなってた。
だから、多分さんも70過ぎたらなくなるわよ~♪」
って笑顔で話しているのを見て、
なんか不思議と安心したんですよね。
まぁ70過ぎた先のことは分からないけど、なんかね、安心したんです。
あの時期から、強迫性障害を受け入れて、工夫して暮らして、自分に甘く、人に甘く、生きやすいように生きようと思いました。
うん、長い!
我ながら長い文章ですいません!
こんなつもりではなかったんですけど、
ここまで読んで頂き、ありがとうございます!