この前、ふと、わたしは文字を文字として
そのまま読んでいるわけではない
ということに気づきました。
日本語の文章が、正しく日本語として書かれていると、
わたしは結構早く読めます。
それは、きちんとひとつひとつ
文字を読んでいるのだと思っていました。
けれどこの前、ローマ字の文章を読んでいたら、
何を書いているのかほとんどわかりませんでした。
さっと読み取った単語の意味がわからず、
一文字一文字読んでみたら、最初に思った単語とは
まったく別のものだったというのが普通にありました。
というところで気づいたのは、
わたしは文章や文字の並びをパターンで認識し、
途中まで読んだところで後ろの文章の意味を、
パターンから引き出して理解しているらしいということです。
定型文のオンパレードであるニュースなどは、途中まで聞いて、
その後に続く文を同時にしゃべるということを
よくやっていましたが、それはわたしの中にたまっていた
パターン文を引き出していたということだったのでしょう。
でもローマ字文なんて読んできたことはないので、
まったく対応できなかったのです。
そういえば、と思い出すのが、楽譜。
楽譜を見てピアノを弾くとき、
わたしは調号にシャープが並んでいるものは
すごく弾きにくいです。
一方でフラットが並んでいるのは結構弾きやすいです。
これも、わたしの中に、フラット曲調が
蓄えられているからだったのかもしれないと、
ちょっと思いました。