直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
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一眼レフのある生活

2014年12月06日 | ちょこのひとかけ


友達が撃ちに一眼レフを置いていってしばらくたちます。
おいていくと言ったすぐは、
『こんなすごいもの持ってなくていいの? 
こんなのあったらなんでも撮り放題なのに!』と
信じられない気持ちでおカメラ様を崇め奉り、
どんな写真を撮ろうかとわくわくしながら過ごしていました。

が。家にあることになじんでくると、だんだんわかってきました。
普段の生活で、一眼レフでとるべき写真などほとんどないということに。

お菓子の記録はつけているので、食べるお菓子はカメラを出して
気持ちのいいピントあわせでさくっととれます。
でも、それは別段、一眼レフでなくていいものです。

なるほど、旅行に行くとかの機会でもなければ
そう必要ないものなんだなあと納得し、
でも旅行にもっていくとなると、
本体のほかに広角レンズと望遠レンズの二本が必要になって
かさばる上に重いので、本当に旅行向きなのだろうかとも考えます。

一眼レフはあれば嬉しくて、なにかのときにはすごくいいけれど
普段の生活にはほぼ必要ないものだというのがわかりました。


それでもせっかく借りたのだからと、
一眼レフらしい写真を撮ろうと練習してみたり、
カメラの本や番組を見たりしていました。
そこでわかったのは、一眼レフをつかってまともな写真を撮る人は、
なにか意図を持って、わざとらしい写真を撮ろうと
つねに工夫しているということでした。

たとえば、そこらへんにツバメの巣を見つけて、
ツバメの巣だからとシャッターを切るのではなく、
最初からツバメの巣があることがわかっていて、
その上で、親鳥がやってきて雛がくちばしを開けて
ぴーぴー言うところをアップで撮ろうとして、
思ったような構図、思ったような瞬間の画像にするために
高さを変え、位置を変え、何日も同じ場所で粘って、
自分が思い描いたわざとらしい一瞬を作るためにがんばる、というような。

わたしが今まで思っていた写真というのは、
偶然の美しい瞬間をいかにうまくとらえられるかで、
0から100にいたる加点方式でした。
でも写真を撮る人の写真というのは、
いかに自分の思う100点満点の画像に近い画が撮れるか、という
100点から0に至る減点方式のようでした。

でも、どちらにも共通するのは、なんでもないものに対し、
自分の意思をねじ込んで、そこに何かしらの意味を与えるということ。
別段おもしろくもないシーンでも、撮り方によって、
意味の与え方によって、無味乾燥な写真に意味を与えることができるのです。

わたしには、そんな気持ちは一切ありません。
わたしのとりたい写真はなんだろう、
どんな写真だったらおもしろくなるんだろうと
気にかけながらすごしていたある日、
空を見上げて、ふと思いました。

この雲のようす、切り取って保管したいなあ、
名前をつけて絵にしたら、ちょっとおもしろくなるんじゃないかなあ、と。

そうして、はっとしました。
この瞬間が、わたしが写真に撮るべきものなのだと。

あわててカメラをとりに走り、望遠レンズにつけかえて
刻一刻と変わる空を写しました。

最初に見ていたものとは変わってしまっていましたが、
とりたかった断片は写すことができました。
初めて撮りたくて撮った、わたしの写真に、なんだかしみじみ感動しました。

どちらかといえばネタ写真なので、もう一枚別の場所で
写真を撮って二枚組みにすれば完成します。
いつか撮って、完成させたいと思います。

ようやくすこし、一眼レフのことがわかってきた気がします。
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