直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

0は無にあらず

2013年12月08日 | ちょこのひとかけ


このまえの流れで、0についてぼんやり考えていたら、
ゼロのすこし違う姿が見えてきました。

今まで、『0』とは『無』と同義のように感じていましたが、
そうではないのだと思いました。
『無』というのは、『「ない」が「ない」』もしくは
『「ない」も「ない」』ということ。
でも『0』というのは、『「ない」が「ある」』こと。
0自体は存在を表す概念です。

たとえばビンに入ったジュースを飲み干したとします。
ビンの中のジュースは『0』です。『無(む)』ではありません。
「ない」という状態が「ある」のです。
なにがないのかと言えば、『ジュースが』。

そのように、『0』というのは、
『すでに人間によって知覚され、定義づけされて存在が確認されているものが、
たまたまそこに「ない」』という状態をあらわします。
からっぽの『空(から)』の状態、
なにかが一時的にいない、『留守』の状態と言ってもいいでしょう。

そう考えると、『無』から『有』は生まれないというのは
完全に正しいと思います。
『無』というのは、『「ない」が「ない」』ことなので、
すべてが完全にありません。
でも『0』というのは、たまたまそのとき、その場所に『ない』というだけ。
ほかの場所にはあるものがそこにはない、というだけのことです。

宇宙はどうやって生まれたのか。
宇宙が生まれる前はどうだったのか。
宇宙はビッグバンにより、無から生まれたのか。

そんな話はありますが、今の考えだと、
おそらく宇宙は無から生まれていません。0から生まれたのでしょう。

今思う宇宙の誕生を適当に言うなら、こんな感じです。

まず、海に注射器のような感じの、頑丈な水槽を持ってもぐります。
水槽の中には水が入ります。
そのまま、ピストンを押して水を抜き、
新たに水が入ってこないように口をふさぎます。
それからピストンをひっぱると――
水槽の中には真空の空間ができます。
『ない』が『ある』空間、『0空間』とでもいうものです。
ここに空気を入れてやれば、空間中にどかんと広がっていきます。
これがビッグバンです。

または、パソコンにつながっているハードディスクを考えます。
ハードディスクの一部を切り出し、フォーマットして
あたらしいデータを入れて使えるようにします。
これがビッグバンです。

無から有が生じないのなら、宇宙ができる前も有があったのです。
宇宙は有から生じ、生じた直後はひとまずなにもない『0』だっただけ。
中身がどこから来たのかと言うなら、
周りの『有』から移ってきたりしたのでしょう。

わたしたちの世界は根源的に『有』で、
わたしたちも有から生まれ有に帰ります。

世界というか、『世界』という言葉や概念では語れないものだけが、
その存在が『無』から生まれたか『有』から生まれたのかと
考えるに値するものでしょう。
でもおそらく、それはわたしたち人間には
知覚もできないほど、高次元の場所にある存在です。

たとえこの宇宙が終わることになっても、決して無にはならない、
そう考えるとすこし救われる気がしました。

『0』はとても大きいです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« レビュー:CoCoゼリー(マス... | トップ | トリックスター ねこLV400 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ちょこのひとかけ」カテゴリの最新記事