直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

やればできるは卑怯者の言葉

2020年02月26日 | ちょこのひとかけ


昔から、『やればできる』系の言葉を聞くともやっとしていたのですが、
この前やっと、その中身を言語化できるようになりました。

『やればできる』というのは、強者の上から目線の言葉なのです。

簡単に内容を解釈するなら、こんな感じ。
『おれはやったからできた』あるいは『おれはやればできる』。
『だからお前もやればできる。できないのはお前がやってないだけ』。
そこにあるのは傲慢さであって、他人の運や努力などは
なにも考えられていません。

たとえばお金持ちの息子がいて。
半年くらいお小遣いをためたら高級外車が買えるとして。
それは言うわけです。『がんばれば高級外車くらい買えるだろ』
基本的にはみんなこんな構造です。

職がたくさんあって、面接に行ったら足代が出たような時代に
簡単に職に就いた人たちがいうわけです。
『やれば正社員に就職なんてできるだろ。氷河期世代なんて甘え』

人の顔も名前も区別できて、他人から簡単に想われ、
自分の想いも相手に伝わる人たちがいうわけです。
『相手と向き合えば結婚くらいできるだろ』

努力して何かがかなうのは結局全部運しだいです。
運があれば努力しなくたって全部うまく行くし、
運がなければどれだけ何をやろうとうまくいきません。
やればできるというのはうそです。
そんなことが言えるのは、うまく行けるだけの運を持っている者だけ。
自分は成功した場所にいて、成功できない相手を見下ろしながら
言葉だけ投げつける卑怯者です。


わたしはとりあえず全力でやってみる派なので
やることはやってみますが、百数十社応募してみたところで
正社員なんか無理で、使い捨てのばかにされ要因です。

どれだけ努力してみても他人の顔なんてほぼわかりませんし、
他人に好かれるということもほとんどわかりません。

ギネスブックに載ってみたくて、
8年だかそこらへん、平日も休日もなく、しぼりだすようにして
ショートショートを3000本くらい書いてみましたが、
結局何にもなりませんでした。

古文の新しい解読法を発明したし、
それで既存の訳が間違っていることも証明しました。
新しい解読法を使えば、たとえば竹取物語で
約1000年の謎になっている箇所だって読み解けることを見出しました。
でも、数年がんばってみても意味のある場所で発表はできなかったし、
この先も、わたしの解読が正しいものだったのか、あっていたのかさえ
考えられることはないでしょう。

ひたすら神道の古文を読み、解釈して、
いわゆる邪馬台国がどこにあったかがわかり、
伊勢神宮の祀りが間違っているとわかっても、
どうにもなりません。

わたしは自分が努力しない人間だとは思いません。
古文の解釈だって、もしわたしの解釈内容や解釈法があっているとしたら、
どれだけの人がわたしと同じだけ文を読み、解読できたのか
言ってみてほしいところです。

それでも今までは、がんばればどこかにたどりつけるはず、
何かになれるはずとがんばってきましたが
最近はもう無駄だということは骨身に染みたので
がんばりたくないしがんばれなくなりました。

わたしは何にもなれず死ぬ。
楽に死ねるなら今日でも明日でも、寝てる間に死なせてくれればいいのにと
毎日思って寝ています。
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