『来』という言葉があります。
現代ではこれを、『くる』と読み、
やってくるような意味にとらえているはずです。
でもこれは、新しい用法と概念です。
『来(くる/kur)』の、言語の揺らぎを考える際の基本形は『k r』。
この基本形『k r』に母音が補われた結果、
『kuru(くる)』という発音が発生したわけです。
この『k r』、別の母音がはさまった形も歴史上は登場しました。
でも、それは別の形と概念を与えられて、
現在では別物と考えられてしまっています。
そのかたちは、『kara』。『から』です。
「その宝剣は、古来この神社に伝えられてきたものです」
というセリフがあったとして。
現代人は、
「その宝剣は、古来『より』この神社に伝えられてきたものです」
などと加えがちです。
でも、これは誤りです。
『来』の古い発音は『kara』。
「その宝剣は、『古来』この神社に」の発音は、
「その宝剣は、『こらい』この神社に」ではありません。
「その宝剣は、『いにしえから』この神社に」です。
わかりますか?
『古来』で、『いにしえ から』と読むのです。
現代語では『ふるくから』。
これを代入してみれば、現代弁にありがちな、
「その宝剣は、古来『より』この神社に伝えられてきたものです」
のおかしさはわかるでしょう。
「その宝剣は、ふるくからよりこの神社に伝えられてきたものです」
となり、
『から』と『より』、同じ意味なんだし重ねなくてよくない?
と感じるはずです。
従来も、
「これは従来こうしてきたものだ」は
「これは『(ある一定の)時から』こうしてきたものだ」になります。
本来も、
「これは本来きみがやるべきことだ」は
「これはもとからきみがやるべきことだ」になります。
旧来も、
「旧来のかたち」は
「古くからのかたち」や
「昔からのかたち」という意味になります。
そういった言葉のもろもろも最近まとめているので
古い言葉に興味があれば自作本カテゴリを参照してください。
現代ではこれを、『くる』と読み、
やってくるような意味にとらえているはずです。
でもこれは、新しい用法と概念です。
『来(くる/kur)』の、言語の揺らぎを考える際の基本形は『k r』。
この基本形『k r』に母音が補われた結果、
『kuru(くる)』という発音が発生したわけです。
この『k r』、別の母音がはさまった形も歴史上は登場しました。
でも、それは別の形と概念を与えられて、
現在では別物と考えられてしまっています。
そのかたちは、『kara』。『から』です。
「その宝剣は、古来この神社に伝えられてきたものです」
というセリフがあったとして。
現代人は、
「その宝剣は、古来『より』この神社に伝えられてきたものです」
などと加えがちです。
でも、これは誤りです。
『来』の古い発音は『kara』。
「その宝剣は、『古来』この神社に」の発音は、
「その宝剣は、『こらい』この神社に」ではありません。
「その宝剣は、『いにしえから』この神社に」です。
わかりますか?
『古来』で、『いにしえ から』と読むのです。
現代語では『ふるくから』。
これを代入してみれば、現代弁にありがちな、
「その宝剣は、古来『より』この神社に伝えられてきたものです」
のおかしさはわかるでしょう。
「その宝剣は、ふるくからよりこの神社に伝えられてきたものです」
となり、
『から』と『より』、同じ意味なんだし重ねなくてよくない?
と感じるはずです。
従来も、
「これは従来こうしてきたものだ」は
「これは『(ある一定の)時から』こうしてきたものだ」になります。
本来も、
「これは本来きみがやるべきことだ」は
「これはもとからきみがやるべきことだ」になります。
旧来も、
「旧来のかたち」は
「古くからのかたち」や
「昔からのかたち」という意味になります。
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