のだめカンタービレを見ていて、ふと思いました。
『最近、劇中劇が共通認識になってるものって多くない?』と。
昔だと、劇中劇、作中作は、
話の中のちょっとしたお遊びだったような気がするのですが、
最近では作中作が外の世界を動かしてしまう気がしています。
たとえば……
たぶん、その走りじゃないかと思うのは機動戦艦ナデシコ。
劇中劇の『ゲキ・ガンガー3』は遊びどころか
味方の結束をたかめ、敵とわかりあう重要な
ツールにすらなってしまっています。
のだめで言えば、『プリごろ太』。
チアキが自分の傍若無人ぶりに気づく程度なら
ギャグとしてそれもありだと思ったのですが、
のだめが 確かフランス語をマスターするための
便利ツールとして使われる始末です。
フルーツバスケットで言えば、『モゲ太』です。
見返していないので正確にはわかりませんが、
最初は虎の子と一緒に見るビデオだった気がします。
その後はねずみ君の兄のお店に置物があったり、
ねずみ君が彼女にプレゼントしたり。
おおきな置物も見つけて渡すまでになりました。
他にはウニメ版シスタープリンセスの
『機甲戦記ガルバン』もそんなものでしょう。
アニメ版? げんしけんの『くじびきアンバランス』も
そうかもしれませんが、見ていないので知りません。
実写の電車男の、『月面兎兵器ミーナ』も
そんな感じでしょうか?
その他にもなにかあった気がするのですが、
思い出せませんでした。
劇中劇をキーにするのは なんというか……
薄くなる気がしてなりません。
たとえばどういう薄さかといえば、
さらっと考えるとこんな感じ。
超能力を使える男の子がいて、
あるとき、たとえば暴走車にはねられそうな
女の子を救おうとして、漫画で見たような
効果の技をつかって助けます。
その後なんやかやで超能力を使える子同士が
集まりながら、何かの存在と戦っていくのですが、
ピンチになるたびにある漫画を模した技で
乗り越えます。
そのうちみんながそれを読んでいるということになり、
最大のピンチに追い詰められたと同じ時期に
漫画の連載でも主人公たちがピンチに追い込まれます。
そこで漫画を参考にしようと、次の週の発売を待ち、
出て読んだところで自分たちもピンチを乗り越えます。
そしてこどもたちは自分のあるべき姿などを
見出していくのですが、
実は漫画自体がそれを見越していて、
実は促しを求めるための、敵か味方かの組織によって
描かれたものだった……
というような。
安さと駄作さ爆発です。
でもわたしには、話そのものにかかわる劇中劇は
そういう薄さに見えてしまうのです。
話にかかわらない劇中劇で、
ぱっと思いついて好きなものは、
アニメ版センチメンタルグラフィティの妙子の話。
ふたりめの幼なじみの男の子の態度の変化を
変な感じに受け止めた妙子が漫画を開きます。
「○○先生の『××××』の□ページ!
幼なじみの男の子が呼び捨てにするただ一人の女の子には
特別な感情が……!」
本当のせりふは全然違いますが、
そんな感じのばかっぽさでした。
そういう参照系か、もしくは画面に映るテレビで
意味なく、だれにも触れられることなく
話が進行しているとかいったようなのが
劇中劇の使われ方だった気がするのですが、
時代が変わったということなのでしょうか。
それとも、なにかドラマツルギーとして、
ああいう使われ方の構文ができあがっているのでしょうか。
……不思議です。
08-08-21追記
バンブーブレード で ブレードブレイバー