矢を放つ話を見ていたら、気分の違いや緊張で
普段あたっていた的にまったくあたらなくなる、
みたいなことがでてきて、ほんとに? と思っていましたが。
この前ポケモンGOをやっていたら――
話の意味が! 「言葉」でなく「心」で理解できた!
気分が変わってるって思ったときは、兄貴ッ!
すでにどうにもならなくなっているんだね!
と、ペッシばりにつぶやきました。
ポケモンGOで、ポケモンを捕まえるためにボールを投げると、
あたりかたによって、いいね、すごくいい、最高!
といった三段階評価が出ますが、
ミッションで、カーブ投げで最高を一回出せ、
すごくいいをカーブで三連続で出せ、といったようなものが出てきます。
それをやろう、と思った瞬間、
今まで『すごくいい』ばかりではずすのがめずらしい相手に対してさえ、
まったくあたらなくなったり、『いいね』すら出なくなったり
していたのです。
自分ひとりでやっていて、失うものが何もないときでさえ
こんなになるのですから、人前で、しかも大会で、
弓を引くとなれば、気分がちょっと変わって
まったくあたらなくなっても当然だと実感しました。
昔、ピアノの発表会だと、わたしは本番になったら
かーっと頭に気が集まって意識が広くなり、
練習では出なかった音を出せたり、運指ができたりしたので、
だめになる側の変化なんて考えていませんでした。
人の心とは不思議なものです。