直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

フジテレビとデモ

2011年09月04日 | ちょこのひとかけ


ここのところ、フジテレビをきっかけとした、
草の根市民活動が盛んになっているようです。
最近では偏向放送に反対するデモも行われ、
初動6000人から、最終的には3万8千人にものぼる人が集まったそうです。

でも、です。
わたしもうわさを聞いて新聞とテレビを気にしていましたが、
そんなのは当日にはちっとも報道されませんでした。
……本当にそんなデモ、あったのでしょうか?
報道もされていないし、本当はなかったのでは?

というのにも象徴されるのが、偏向放送です。
実際にデモは行われました。わたしは数えていないので知りませんが、
6000から38000人もがほぼひとつの志の元集まったのに、
なぜ、どのテレビ局も放送しなかったのでしょうか?

と考えれば簡単に思いつくのが、『放送したくないから』。
テレビ局にデモが来た、なんてこと、
テレビ局からすれば放送したいようなものでないのは明らかです。
じゃあ、テレビ局が流すのは? と考えると、こちらも簡単で
『放送したいから』。
つまり、テレビ局は放送したいものを流して、
放送したくないものを流しません。

たとえば、トヨタがスポンサーになっているニュース番組では、
トヨタ関係の人間が犯罪で放送されることになったとき、
社名は基本的に出ません。
昔なにかの事件の時は、「自動車工場で働く男性が~」などと
置き換えられていたはずです。
NHKでも、NHKに関係した人間が犯罪を犯してつかまれば
「放送業務にたずさわったことのある男~」とかになり、
読売テレビでは読売新聞の配達員が配達中に犯罪でも犯せば、
「新聞配達員の男が~」とでも言うでしょう。
このように、テレビ局は放送したいものを流して、
放送したくないものを流しません。

それは、デモでもそうです。
これくらいのデモになれば、ライバルの他社が報道しても
おかしくないネタのはずですが、それすら行われないというのが
とても不自然で恐ろしいです。

集まった人数も、4000人と書かれていたり、それ以外だったりと
少なく書かれていることが多いようです。

たとえば、
『フジテレビ デモ 3000人』
『フジテレビ デモ 4000人』
『フジテレビ デモ 5000人』
『フジテレビ デモ 8000人』
『フジテレビ デモ 1万人』
『フジテレビ デモ 3万8千人』
で検索してみると、いろいろ出てきます。

ここではデモの数をきりがいい1万人としましょう。
1万人といえば、3000人の3倍以上です。
3000人と報道されてしまえば、デモに参加した7000人の人間が
消えてしまうことになります。

……ですが。そのデモは、警察の許可をとって行われ、
現場に警察もきていたようです。
ならなぜ、人数を警察に聞いて、数のすりあわせを行わないのでしょうか。
これほど露出する媒体によって人数が異なるのはなぜなのでしょうか?


このデモについていろいろ調べていくと、
なかなかおもしろい文章に出会えます。
そのほとんどが紋切り型になっているところがまた興味深いです。

たとえば、ソース(情報源)について。
「デモが1万人というのは、参加者からの情報だからあてにならない。
ソースがはっきりしていない」
なんて意見もあるようです。
……じゃあ、デモが1万人でないというソースは?
デモが3000人、4000人だというソースは?
確固としたソースがあるなら、なぜ1000人も幅があってしまうのでしょう?

テレビが確固としたソースに基づいて作っているのかといえば、
そうではありません。
デモは申請を出していたのですから、取材でもして
それぞれの放送局が人数を数えたってよかったはずです。
そしてそれぞれを放送した結果、
あるテレビ局が3000人と数えて、別のテレビ局が4000人と数えたのなら、
少なくとも3000人はいて、多かったら4000人くらいはいたのだろう
という推測もできるようになります。
でも、それはしていません。

たとえばテレビで放送する、
どこかの人気メニューの1位が『冷やし韓国』。
好きな鍋料理の1位は全世代で『キムチ鍋』。
本当でしょうか? このソースは?
ご近所で、会社で周りの人に聞いたとき、
鍋物ではキムチ鍋が好きなんて本当に言うでしょうか?

たとえばCD売り上げ。
あれの1位は本当に1位でしょうか?
たとえば視聴率。視聴率は本当に視聴の率を
正しく測定できているのでしょうか?
何社も視聴率を図る会社があって、
それぞれで取り合ったデータを比較していて
恣意や捏造がないと証明できているものでしょうか?

たとえば原発事故。メルトダウンが起こっているのは
すでにわかっているのに、とことんまで隠して放送していました。
これはソースもかなりあくどかったですが、
わからないものでもなかったはずです。

このように、テレビといってもソースがまともであるとは限りません。
でも、テレビを愛する側の人間は、ネットの情報は不確実で
ソースもろくにない、信頼に足るものではないと
言いたくなるようです。
なお、この『言いたくなるようです』はわたしの主観であり、
データなんてありません。
この文章はわたしの主観に基づいて、
ろくなデータには基づいていませんので話半分で見てください。

ネットのソースは不確実。
でも、テレビのソースだっていいかげん。
なら、テレビがネットの不確実さを言える根拠はどこにあるのでしょう?

そんなことを言い始めると、出てくる言葉があります。
「嫌なら見るな」

テレビ局が公共の電波で捏造なり洗脳なり、
瑕疵を与えるための放送を流しているのに
「見るな」とは言っていい言葉ではありません。
テレビに関わらない人間が誰かに対して言うのならわかりますが、
テレビに関わる人間が言うのは違います。

たとえば、とあるテレビで15分くらいおきに津波警鐘を出したとしましょう。
「○○地域に津波が到来する恐れがあります。
すぐに非難してください」
などとテレビで言うわけです。
それを見て信じた人は高台に逃げるかもしれません。
でも逃げてももちろん何もなく、
そこでテレビ局に文句を言いたくなるのはわかると思います。
でも、そこでテレビ局は言います。
「嫌なら見るな」
と。
「津波警報でなく津波警鐘で、独自の規格だから放送しても問題はない。
信じるほうが悪い。嫌なら見るな」
と。
これはまかりとおるでしょうか?

たとえば中年男性が女子高の前で全裸になり、
下校してくる女子高生に性器を見せ付けながら言うわけです。
「嫌なら見るな」
これは、正論でしょうか?

実際、それはありえないと思います。
家の中なら、裸でいたって問題はありません。
会社の中だけなら、捏造番組を流しても問題はありません。
問題になるのは、多く他人の目に触れる場所、
つまり公共の場に出すことです。
自分から道義的なりなんなりで問題のあるものを
公共の場に出しておきながら「嫌なら見るな」は
あまりにも自分勝手です。

しかもこれのおかしいところは、
他人には言うくせに、自分にはあてはめないところです。

調べればいろいろ出てくると思いますが、
マスメディア関係の人間が、
多く「デモはおかしい。テレビが嫌なら見るな」と
言ったり書いたりしています。

ならなぜ、デモが嫌ならデモを見るのをやめないのでしょうか?
ネットの中からデモが出てきたのがおかしくて、
ネットはくだらないものだというのなら、
なぜネットを見るのをやめないのでしょうか?
くだらない、見る価値のないものなら見なければいいのに。
見る価値がないと思っているんだから、
最初から見ずに気づかなければいいのに。

嫌なら見るなと言いながら、
嫌なネットを見て文句を言うのはなぜなのでしょう?

そもそも、この構図自体おかしいです。
一般の人よりは名の知れた、メディアに関わる人間は、
多くの人間が自分のものを読むだろうということを前提に
愚痴をこぼしています。
有名人のツイッターなりブログなりだったら、
1日1万人からの人が見ていることだってざらです。

「嫌なら見るな」は、「反対の声を上げずに黙っていろ」ということ。
反対の声をあげるなら、見ずに自分だけの胸にしまって
声を上げないようにすればいい、と
メディアの人間は言っています。

自分一人しか読まない日記に自分の愚痴を書くならともかく
何万人という人が読む場所で、
それを言うのはどうなのでしょうか。

「テレビの捏造・洗脳放送が嫌なら見るな。
声を上げずに一人の胸に抱え込んでいろ」
こういう内容を言った人が、
『ネットの動きを嫌なのに見て、
自分一人の胸のうちに抱えずに多くの人に声を出して伝えている』のです。

自分は声高に叫びながら、他人には黙れと言います。
声を上げるくらいなら、見ずに黙っていろと。

それなら、そう言っている本人こそ、そうすべきでしょう。
みんなの見るところで文句をこぼすくらいなら、
見ずに黙っていればいいのに。
嫌なら見るなが嫌なら見るな、というのが嫌なら見るな。
誰が見るべきでなく誰が言うべきでないのでしょうか。

「ばかと言うお前がばかなんだ」
「そうやってばかって言ったお前がばかなんだ」
「ばかだって言ったお前がばかだ」
みたいな、ばかばか合戦のようなばかばかしさです。


そもそも最近のデモはなぜ起こっているのかと言うと、
きっかけはフジテレビであるにしても、
テレビの捏造・洗脳・恣意的偏向放送への反発が高まったからです。

たとえばこの前のフィギュアスケート世界大会では、
大会の本来の開催地が日本であったものの、
震災の影響で開催が難しくなったため、ロシアで行われたそうです。
ロシアでは最初に行われるセレモニーで
日本への哀悼の意を表し、それに似つかわしい演技を行ったものの、
それらはカットされて放送されなかったそうです。

くわしくは
『フジ フィギュアスケート世界選手権 放送しないい』
あたりで検索してみてください。

またたとえば、サントリーは日本の広告で、
日本海のことを東海(日本海)と書いていました。
わたしも見て、それは日本企業としてどうなのだろうと思いましたが、
どうやら一回だけの間違いではなくて、
過去にも何度もやっていたそうです。

ほかにも、マスメディアでは『韓流』なんて言葉を目にします。
でも、韓流とはなんでしょうか?
米流ブームとか、英流ブームなんて言葉を聞いたことがあるでしょうか?
本当に韓流なんてブームがあり、はやっているのでしょうか?
新聞のテレビ欄に、『韓』の文字と比べて、
ほかの国の名前がどれだけ書かれているでしょうか?

こうして見てみると、なぜか韓国がらみのことばかりがあがってきます。
日本の政治家は、日本へ輸入される韓国産のキムチを、
3年間衛生検査を免除することを決めました。
たとえつばが入っていようが腐っていようが、
何一つ検査することなく輸入してよいとお墨付きをあたえました。
また、管内閣はやめぎわに朝鮮学校無償化を進めようとしました。
今は人権侵害救済法案を進めようとしています。

実際、テレビでも政治でも、韓国がらみ、朝鮮がらみでばかり
おかしなことが起こっています。
日本の国営放送であるNHKでさえ、なぜか日本嫌い、
反日放送をしているような印象を受けます。

そのため、そのおかしな部分に反対するのは、
見た目にはまるで、人種差別をする『反韓国』のように
見えてしまうでしょう。
でも、そうではないのです。


「今までも偏向放送はやってきたし、
それをいまさら言うのはおかしい」
というようなことを、述べた人がいました。
でも、それは過ちです。
熟年離婚の原因と同じようなもので、
今までだっておかしさも感じ、不満も感じていたのです。
それがたまりにたまって、いま噴きだしただけ。
たまりにたまった地層の力が一気にふきだして
地震を起こすのと似たようなものでもあります。

そう思うと今年の地震はいろいろ象徴的でしたが、
あの地震でも、フジテレビは被災者をしつこくつけまわし、
思いやりもないひどい言葉を吐いたりしていました。

「たかがテレビ局にデモするのなら、
ほかにもデモする先があるだろう」
というようなことを述べた人もいました。
たしかに、それはそうでしょう。
ほかにもデモされて当然のものもあります。
それへの怒りがたまれば、デモも別口で起こるはずです。
でもそれは、それぞれ一つ一つ別のもので、
それを誰かに言われることでもありません。

ほかにデモする先があるというのなら、
具体的にそれを示し、「俺がデモの先導をするからついてこい」
くらい言えばいいのにと思います。

最近のデモは、対フジテレビという単純な図式に見えますが、
その後ろにあるのはいままで傍若無人に振舞ってきた
テレビや各メディア、それを支える土壌を作ってきたもろもろで
あるのかもしれないと、わたしは考えるのです。


わたしは国粋主義ではありませんが、適当に日本は好きで、
日本語も好きです。
ですが、そのために他人を貶めたりすることはありません。

ルース・ベネディクトは日本の文化を
『恥の文化』と呼びました。
もちろんそれは、他国から見て恥だという意味ではなく、
日本人は自分を省みて恥じ入ることができ、
またその恥をかかないように生きようとする文化があるということです。

『おてんとさまが見てるから』、恥ずかしいことはしないようにし、
『だれもいなくても自分は自分を見てるから』
自分に恥ずかしくないように生きようとする、それが日本の文化です。
人の中にあって周りに恥ずかしくないように振舞おうとするため、
付和雷同、ことなかれ主義とも呼ばれる日本人が、
どうしても声をあげなければいけなかったというのは、
とても大きなことだとわたしは思います。

本当に日本人なら、今やっていることが
おてんとさまにみられても、自分の魂に見られても
恥ずかしくないことなのか考えてほしいです。

狂信愛国者なんて勘弁ですが、
日本を嫌いで、日本をけなし、日本人を貶める人なんかに
政治もメディアもやってほしくありません。


世界はとても恐ろしく、そして、悲しいです。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« レビュー:蒜山ジャージー 飲... | トップ | 大風過ぎて »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
嫌なら見るな ←(^^; (pqr)
2011-09-04 10:57:02
「嫌なら見るな」と言われる前にそもそも、十年くらいリアルタイムで見てないですw。TVなんてw。

今に及んでもリアルタイムでTV観てる人が多いと思ってる年寄りの古い体質故の傲慢かもですね。

前にもちらっと書きましたけど、今のTVでライブ性のある(ニュースとスポーツ)以外を時系列の枠に収めて放送する理由はまったくありません。

全部オンデマンドにすればいいんですよ。しかも現状では金取ってるし。CM入れての戦略思いつかないんですかね?某叫び声(ギャオー)のような。子供でも思いつきますよ。

ニュースは国営放送だけでいいと思います。結局、民間企業なのですから利益優先になってしまうのは明らかでしょうし。
国営放送は強制的に金をぼったくってる分、変なことすると大変なことになるので、その分民放よりはマシでしょう。
視聴する側も、ニュースでは事実があったのを確認するだけで、その後はネットで調べれば…と思います。解説番組とかは最悪です。

そもそも、民放の存在意義って、ドラマやアニメ等のコンテンツ作る以外に何かあるんでしょうかね?わたしには思いつきません。
リアルタイム性が意味なくしたら、どうするつもりなのでしょうか?

そういえば、選挙の時とか、各局笑える程に力入れてるけど誰も観ないです。ビデオ屋が儲かるってのわかっててての自己満足でしょうね…。

なんか…メディア界のフォロッピーディスク(しかも8インチ)が思い浮かんで…時代錯誤にも困ったもんです…。
返信する
Unknown (あまね)
2011-09-05 05:42:09

わたしはニュースは民放もやるべきだと思います。
一社独占はかならず腐ります。
そこで、いかさま情報を流す国営放送のうそを
民放が糾弾する、というような体系であって欲しいです。

たとえば、原発は安全、爆発しても問題なかったと
NHKが言うのはわかります。NHKは原発事故さえ
なかったことにしたいでしょうから。
でも、それに対して民放が追随するのが気持ち悪くてたまりません。
そこは民放だったら、安全ではない、
爆発していてすでに危険があるうのだと
放送してもよかったはずですし、そうすべきでした。
なのにそうできない、そうしないのは
メディアの裏にいやなものが共通してある気がして恐ろしいです。

個人的には

いんちきな国営放送
  ↑
  ↓対抗
民間放送←→民間放送

というのが理想です。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ちょこのひとかけ」カテゴリの最新記事