今、横浜開港資料館では横浜ノスタルジア 『コクリコ坂から』 の時代を見ると題し 背景画展が開催されていました。
背景画が展示されている室内です。
それでは昭和30年代の 『コクリコ坂から』 の背景画をご覧ください。
昭和38年頃の桜木町駅
むか~しむか~し、私が二十代のころの横浜/桜木町の海側は三菱重工の横浜ドックが稼動していました。
山下公園や港を一望できる場所には、開業当時の面影をそのまま残したホテルニューグランドが灯りをともし続けています。
山下公園から見た横浜三塔でしょうか。
汽笛が聞こえてきそうです。
映画で出てくるコクリコの坂の風景、今の時代と違ってゆったり時がながれているような~気がします。
そして現在の大桟橋
横浜には何度か足を運んでいますが、ここ山下公園や大桟橋には久しく来たことがありませんでした。
昨日は日本郵船の「飛鳥」が停泊していましたが、本日は全長183.4mの「ぱしふぃっく びいなす号」が停泊していました。
瀬戸内海を経由し韓国への船旅が始まるようです。
2002年に 新たに完成した、横浜港大さん橋国際客船ターミナルと横浜の街並み
三菱ドックがあった工場地帯周辺は、横浜ランドマークタワーなどの高層ビル群が林立し横浜の港を飾っています。
ロレンスマルケスを彷彿させる風景です。
再度大海原を航海してみたくなりました。
私が一番長い航海を経験したのは、西豪州のポートウオルコットにて鉄鉱石を積込みケープタウン経由で大西洋を北上、ジブラルタル海峡を通過し
イタリアのタラント港へ入港した時でした。記憶は定かではありませんが20日以上は航海したような?記憶があります。
大桟橋反対側には航海訓練所の練習船日本丸が停泊中です。
気品のある練習船日本丸のブリッジ
奥には横浜ベイブリッジが見えています。先日の那須岳山行ではここを通過して行きました。
今横浜には『御安航を祈る』のUW旗(旗旒信号)が歩道の街路灯にたくさん掲揚されています。
このUW旗(旗旒信号)には潮の香りがし、若かりし頃の記憶を刺激させてくれました。
何度か航海中に社船同士が大海原ですれ違うとき、UW旗を掲げ汽笛を鳴らし手を大きく振り航海の無事を祈ったのです。
大海原に道はありませんが最短距離を目指し航海する商船は、自ずと航路が狭まり太平洋、大西洋、インド洋でよく社船とすれ違うことがありました。
街路灯に掲げられた、そのUW旗(旗旒信号)がとても懐かしく思い出されたのです。
横浜では 「コクリコ坂から」を上映中で、UW旗に惹かれストーリの分からない「コクリコ坂から」を見たのでした。
そして、船乗りだったころのあの大海原の記憶が鮮明に浮かび上がて来たのでした。
UW旗が掲載されている奥の建物は、試験会場となっていた横浜第2港湾庁舎の建物です。筆記試験や口述試験を何度か受けに
訪れました。とても懐かしいです。
時は三十数年前の出来事でした。
そして色々な見聞を広めさせてもらいました。
今はすっかり潮の香りが抜け、海から山への魅力にのめり込んでいる私です。
大型客船から海外の旅行客たちがフレンドリーに話しかけて下さり、そのたびに異国情緒を感じていた事を思い出します。
それにしても、船乗りさんだったとは。
私の勝手な想像では、Mさんは学校の先生とかでは無いかと思っておりました。
人に歴史ありですね。