賀茂の百山
登った山:二十六夜山(310.4m) 基準点名:妻良村 三等三角点
平成26年12月13日 晴 メンバー:単独 所要時間:3時間11分 距離:GPSにて計測=7.79km
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吉田入口上10:46---妻良への峠11:03---305mピーク11:33---コル11:41---二十六夜山11:50---南南西尾根変針点12:17
---遊歩道へ12:30---南谷川浜12:44---遊歩道入口(妻良側)13:25---出発点へ 13:57
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本日のログ
本日は二十六夜山を目指します。
何回か登っていますがログの記録がありませんのでGPSにより記録をとります。
吉田入口に車を止め堀割の道を下って行きます。
道沿いに咲くアロエの花です。
ここ吉田では良質なアロエを使用した六次産業化が行われておりアロエ畑が目立ちます。
目の前に立ちはだかる山は305mピークの山で、二十六夜山はこの山の裏側に聳えたっていますのでここからは見えていません。
電柱右側が峠道となっていますが、以前から比べるとかなり荒れ果てています。
峠は草ボウボウで胡椒の蔓で一面が覆われています。
以前お地蔵様が設置されていましたがすぐに見つけることはできませんでした。
そのお地蔵さまは胡椒の蔓に覆われ見えなかったのです。
周辺に張った蔓を取り除き半分土に埋もれたお地蔵様が出現しました。
周囲を石で囲ってあるので状態は良いですがお顔はあまり判別できません。
峠から尾根筋を登って行きましたが倒木や蔓で難儀しました。
峠から右側に微かなトレースがあったのでそちらを辿って行けばよいかもです。
で、そのトレースを辿って行くと、このはっきりとした山道に出たと記憶しています。
二十六夜山への案内板が設置されていました。
その後、案内板は無くピンク色のマーキングテープがいたるところに付けられていました。
胡椒の赤い実です。
305mピークから下り、そのコルから二十六夜山を見上げています。
真っすぐ直登して行きます。
至るところに石切り場跡が現われます。
二十六夜山の頂きに到着しました。
頂には三等三角点が設置されており、基準点名は”妻良村”で310.4mです。
南豆風土誌の山岳図では二十六夜山では無く”旭山”と記されています。いつごろ何故旭山から二十六夜山へと変わったのでしょうか。
国土地理院発行の地形図には二十六夜山なのです。
頂きの北側にも石切り場跡が残っています。
何故こんな重い石を切り出すのに310mの頂きで切り出したのでしょうか。運搬はどのような方法で行ったのでしょうか。
そんなことを考えながら
下山は南南西にある尾根を辿り250mコルから15mほど登り込んで北西へ変針し遊歩道へ下って行きます。
変針した斜面からの二十六夜山を見ています。
遊歩道に出まして
安山岩が風化した巨岩の間を縫って
南谷川浜へ出ました。
風がとても強いです。
大荒れです。
妻良から波勝崎の海岸線を見ています。
遊歩道全体は草等が刈り取られてきれいでしたが、柵や木の階段が腐りかけていたり、急傾斜地の歩道が流出していたりするところが何ヶ所かありました。
妻良側の遊歩道入口に出てきまして国道136号線を一色側へ戻ります。
妻良の由来案内
妻良集落です。
目の前に見える日和山、この後登ろうと思っていますが風が強いな~ぁ。
道沿いのお地蔵様です。
それにしても南伊豆周辺は古のお地蔵様が多いですね。
妻良トンネルを抜け吉田入口に止めてある車まで戻りますがトンネル中の風が冷たかった。
出発点が見えてきました。
時間は午後2時前ですので日和山へ行くことにしまして、二十六夜山探索終了します。
石切りの跡と見れば、あまり不思議さは感じません。
でもどうしてこんな高いところから石を切り出したのかは、やはり不明だと思います。
なぜでしょう。
私が勝手に石切り場跡と思っただけで何の確証もありません。しかし、到るところに切り出跡(長方形の石)があります。
南豆風土誌の山岳図では二十六夜山でなく旭山となっていますが、いつ頃に二十六夜山(国土地理院の地形図に記されている)になったのでしょうか?不思議です。