6月2日の夕方、突如Twitterのトレンドワードに《手越くんがお弁当の寄付》《シングルマザー》が浮上した。現在、芸能活動休止中のNEWS・手越祐也が、シングルマザーとその子供にお弁当を無償で届けるボランティア活動に励んでいたという。実際にお弁当を届けられた人たちの驚きと喜びのツイートが拡散していったようだ。
やらない善より、やる偽善
そういう論調もチラホラ見かける。
手越氏の活動も、「INGプロジェクト2020〜お弁当でシングルマザーの力に〜」そのものも、それで直接的に被を受ける人がいるわけではないし、勇気づけられてる人もいるのだろうから、『良き事』だろうと思う。この活動自体を批判するつもりはない。
だが、こういうのを目にするたびにステレオタイプの隙間にいる人たちの事を考えてしまう。
『なぜ、シングルマザーなのか。シングルファザーは?』と。
『なぜ、シングルマザーなのか。シングルファザーは?』と。
シングルファザー家庭だって“お金がないからオムツと夕飯どっちを買おうか”という悩みを抱えている人はいるだろうし、父親が手越氏のファンである可能性だってあり得るだろう。そういう人たちは対象外なの?と思ってしまう。
そこには一般的な男女の収入格差からくるステレオタイプ的なシングルマザー像が根底にある。
件の活動は発起人がシングルマザー家庭で育ったからという動機からして対象が"お母さん"であるということに違和感は無いし、この手の活動全てにそういう公平性を求めるべきことでは無い。
だが、ともすれば独身家庭、両親と子供のいる家庭、シングルマザー/シングルファザー家庭、老人夫婦という色々な家族の形を、ステレオタイプ的に捉えてしまいがちではないだろうか。
こういう記事を見るにつけ、フォーカスの当たらない隙間にいる人たちはどう思うのだろうと考えてしまう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます