すぐ近くの家にも彼岸花が咲いていた
今日は母の93歳の誕生日
グループホームでお祝いをしてくれた
9月の誕生会は、母と90歳の方の2人
本当は面会謝絶だが、こういう時は入れてくれる
ケーキを持っていった
ローソクは大が9本、小が3本
ホームがプレゼントを用意してくれた
プレゼンターは元気な入居者
プレゼントの中身
プレゼントの中身
シャツとハーフパンツとお箸
93と書かれた帽子は、職員さんの手作り
93と書かれた帽子は、職員さんの手作り
100均に行けばこの手のものは売っている
母のことを考えながら、作ってくれた気持ちに感謝
お花は「花キューピット」に届けてもらった
認知症と診断されて、12年
もう何も分かっていないが、今日はなんとなく機嫌が良かった😊
9月の飾り
部屋に置いているアルバムを職員の方と見た
弁天町にあった市岡高等女学校のお友達と
母は前列の左端
卒業が近いときに、写真館に行って写したと聞いたような記憶がある
母たちは1945年に4年生で卒業した
空襲がひどくなったので、4年生も5年生と一緒に卒業した、と聞いている
ちなみに大阪大空襲は1945年3月
防空壕で、誰かが「ここは危ないから外に出よう」と言った
その時、外に出なかったら、死んでいただろう、と母から聞いたことがある
1人ずつポーズを取っている
母は下の右端
卒業後、ご友人たちがどのような人生を歩まれたかは知らないが
卒業後、ご友人たちがどのような人生を歩まれたかは知らないが
戦争に負ける直前なのに、表情が明るい
カミカゼが吹くと信じていたのか
若者とは、どんな時でも明るいものなのか
母は1941年に入学しているはずなので、ほとんどまともに勉強していない
英語の授業はすぐになくなったと聞いている
勤労奉仕で近くの軍需工場で働いたそうだ
工場から帰るとき、みんなで軍歌を歌ったのが、楽しかった思い出
花嫁さんと花婿さん。1952年頃かな?
家族写真の私は3歳くらい
全て、母の記憶には残っていない
認知症とは、悲しい病気だ