日々是好日

9月7日(土)高野山自主研修

昨日の疲れも取れていないのに、今朝も早起きして研修に行った。今日は高野山研修。11月に2回高野山ツアーが入っているので、和歌山を専門にしているガイドさんに案内をお願いした。参加者は私を含めてガイドが5名。それからナターシャにも声をかけた。日本にいる間に、ぜひ行っておく場所ですよとお誘いした。

私は新今宮から南海に乗った。南海高野線、橋本駅でガイドさんと落ち合い、さらに極楽橋まで小さな列車の旅。そこからはこのケーブルカーに乗った。


単線なのでここで、向こうからきたケーブルカーと行き違える。


うまくいった。


高野山駅に到着。涼しい。空気と温度が下界とは違う。


ここからはバス


この和菓子屋さんの前でバスを降りた。


大門が見えた。聖域への入り口。1872年まで高野山は女人禁制だった。


熱心にメモを取る参加者


「何しにきたの?」


「しっかり勉強していきや」


また、バスに乗って壇上伽藍へ。ここは空海が高野山を開山した際、真っ先に造営に取り組んだ場所で多くの宗教施設がある。コロナ前にラテンアメリカのゲストたちと来た時には、この伽藍の近くの宿坊に泊まった。

金堂


六角経蔵。時計回りに一回りさせるとお経を読んだ時と同じ徳を身につけることができると言われている。ブラタモリでタモリさんもうれしそうに回していた。


西塔


高野槙


根本大塔


壇上伽藍の見学は終わり。


町石(ちょうせき)。壇上伽藍から空海の母が住んでいた慈尊院まで1町(約109メートル)ごとに町石と呼ばれる五輪の石柱180基が建てられている。参拝者の道しるべになってきた。三番目を意味する『三』という文字が見える。


またバスに乗り昼食会場へ。『みやま』


ガイドさんが精進料理を予約してくれていた。


もちろん、ごま豆腐をいただいた。


記念写真。ここから男性ベテランガイドが参加。英語ガイドだが、3〜4カ国語を話せるそうだ。今は高野山ガイドに飽きてきて、仏教を極めておられる。


食後は奥の院ウォーク。ここ、中の橋から弘法大師さんの御廟まで歩いた。


普通の人のお墓もあるが、企業が建てたユニークな慰霊碑が数多くある。これは新明和工業。戦前は戦闘機を作っていたが、戦後はロケット? アポロ11号の部品を製造したそうだ。


日本しろあり対策協会のの慰霊碑。シロアリさん、命を奪ってごめんなさい。


高野山はどんな宗派も受け入れる。朝鮮風のお墓。


日産自動車の慰霊碑


上島コーヒー。コーヒーカップの中は茶色い大理石。


3本の杉の木がくっついちゃった。


徳川秀忠の妻『お江』の五輪塔の前で。これが高野山で最大の五輪塔。


五つの石は下から、地、水、火、風、空を表すと言われている。「空をどう訳したらいいのかいつも困る」と男性ガイドさんに尋ねた。「spaceと言ってから、日本語には訳しにくいがvoidなども言ってみたら」と教えてもらった。


壊れた五輪塔。これは5つのうち『水』の石。中は空洞。亡くなった人の髪の毛や爪などを入れることがあったそうだ。



この橋の向こうは最も聖なる場所。写真撮影は禁止。即身成仏した弘法大師さんがいらっしゃる。ブラタモリのカメラも入れなかった。


川に沿って、仏様がずらりと並んでいる。仏様の頭に水をかけている人が多いが、本当は卒塔婆に水をかけるそうだ。


御廟を見学し、また屋外に出た。庶民が作った五輪塔。何かを建築するために土を掘ると、このような五輪塔がいくらでも出てくるそうだ。手の届く下の方の五輪塔には帽子や前掛けがつけられている。


一つの石を五輪にする。


時間が押してきたが、最後の訪問地、金剛峯寺へ。


屋根の上には、雨水をためる桶がある。


大きな高野杉


弘法大師が書いたと伝えられている文字。


台所


ネズミ対策。棚に置かれた食べ物を狙ったネズミが和紙から滑り落ちるようになっている。


中の橋を渡っていく僧侶たち


バスに乗って高野山駅に到着。駅舎の2階からの景色。


帰りのケーブルカー。充実した長い1日だった。みなさま、ありがとう。


杉浦さん、お見事です!






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