暑さが戻った
これは、入院中に見聞きして気がついた話しで恐縮ですが…。
巷でも、若い人たちを中心にスマホの○○Payでの支払いのみで、現金を持たないというか、お財布自体を持たない人たちがいるという。
病院でも、例にもれず20代の若い理学療法士さんの中には、既に現金を持ち歩いていないという人がいました。
確かに、キャッシュレス決済のみで現金を扱わない飲食店なども増えてきましたし。
政府自体が、デジタル社会・キャッシュレス社会を推進しているわけですし。
増して、お給料をスマホの電子マネー(デジタル給与で)払うっていう企業も出てきましたし、ますますキャッシュレス決済ばかりになって現金を持たなくなりますよね。
確かに、○○Payは便利ですけど…。
タクシーに乗ってても手持ちの現金(おつりのないようにとか)を気にしなくて良いですし。
かと思えば、なっち母のように現金主義でクレジットカード1枚すら持たないという人もいますしね。
まぁ、現金かキャッシュレスかの差には世代間の差がありそうですけど。
○○Payでなくても、クレジットカードやSuicaやPASMOなどの交通系電子カードくらいは使ってもいいんじゃないかなぁとなっちは思うんですけど…。
(なっち的には、クレジットカードもリボ払いやキャッシングはしないというのが基本ですけど。)
ただねー。
ネット社会もますます複雑になってきて、ウィルス感染でなくてもシステム障害がちょくちょく起こったりするし。
海外と比べても災害の多い日本列島でキャッシュレス決済のみで現金を一切持たないというのはいかがなもんでしょうねー
海外のキャッシュレス先進国では、「生まれてから現金を触ったことがない」という若い人たちもいるそうですが、災害の多いこの日本で同様にするべきとは思えないんですけど…。
本当は、硬貨も取り混ぜて持ってほしいところですけど硬貨は重たいから、せめて1000円札で3枚=3000円くらいはいつも携帯していてほしい。
それで、急場は何とかしのげるかと…。
なっち的には、臨機応変にどっちも使う・持つというのがいいと思うんですけどね。
余談ですが、なっちの自治体で○○Payで自治体内の商店で使えるプレミアム商品券をやっているんですけど。
近所のスーパーでも使えるし、お得感もあるから一瞬やってみようなと思ったんですけどやっぱりやめておきました。
買い物は、ヘルパーさんに行ってもらうことが多いのでこのケースでは現金払いでいくことにしました。(臨機応変ですね。)
この件については、お話ししようか止めようか迷いましたがなっち自身の区切りをつけたくて書くことにしました。
前回お話しましたなっちの入院期間中に、実はなっち母が旅立ちました。
去年の10月頃だったかしら、今回のなっちの入院前に特養に入居していたなっち母に一度めの急性心不全があって救急車で搬送ということがありました。
このときは大丈夫で、10日ほどの入院で済んだのですけど。
なので、なっちの入院中に「もしも」のときには、義姉(兄の妻)に連絡が行くようにお願いしてあったんですけど、なぜかなっちのところに連絡が来ました。
一報めは真夜中に特養からで、なっちが全荷重になって歩行訓練を始めて1週間くらいのときで…。
難しい二者択一を迫られました。
再度の心不全ということもあり、認知症高齢者ということもあり、現実問題として、病院での治療を希望するか、それとも特養のままホームドクターの治療を希望するかという難題でした。
入院中の一患者に真夜中に聞くことかい…と思いながらも、まだ歩けないし、時間稼ぎではないけれど、持ち直すことを祈って今回も救急搬送してもらって病院での治療を希望しました。
次に連絡が有ったのは、搬送先の病院からでした。
どこまで治療しますか? 気管挿管や心臓マッサージをしますか?という質問です。
一度目の搬送のときも聞かれたことだし…と「気管挿管や心臓マッサージはしなくていいです。」「お薬とかダメージの少ない治療でお願いします。」と答えた。(冷たいように感じますか?)
しかし、なぜ義姉の携帯には連絡がつかないのか…
電話もショートメールも…。
まぁ、現実問題として義姉に連絡が行ったとしても、〝嫁〟の立場としては答えにくい質問ばかりですよね。
あらためて、なっちに最初に連絡が来て良かったんだと思いました。
義姉が仕事に行く前の早朝になって、義姉の家電にかけたらやっと連絡がついて、義姉に病院へ行ってもらうことに。
(義姉に聞いたら、携帯の機種変をしたのでハジカレていたのかも…とのことでした。オイオイ)
駆け付けた義姉によると、なっち母にも会えてお話しもしてそうで、その後一般病棟にも移ったのですが、その数日後に三度目の心不全でなっち母は旅立ちました。
なっちは入院中で、兄は県外ということもあり。
すべてが義姉任せになってしまったので、本当に簡素に義姉にも負担が少ない方法でいいから…とお願いしていたんですけど、なんと市営の火葬場が2週間持ちという事態に。(時期にもよるそうですが大変混んでました。)
不謹慎に聞こえるかもしれませんが、この待ち時間がなっちには有難くも助けになりました。
その後の2週間で、リハビリをびっちりガンバって、何とかそこそこ歩ける様になって、タクシーに乗ってカートを押して最後のお別れに行ってきました。
家族が逝くと、「寂しいですね。」とかよく聞かれますが。
これがなんと言いますか、なっち的には「ホッとした。」というのが本音でしょうか。
入院中も、ゆっくり入院していられませんでしたかからねぇ。
去年も今年も。
今は、貯まった郵便物を整理して、なっち母関係の手続きしないといけない書類がどっさり。
少しずつ処理しているところです。
人がひとり亡くなると、こんなにも手続きしないといけない書類があるとは初めて知りました。
なので今回は、マイナンバーカードを作って置いてよかったと痛感しましたね。(政府の回し者じゃないですけどねー。)
住民票はもちろん、戸籍謄本や印鑑証明書など必要な書類がコンビニのマルチコピー機でまとめて手に入るから。
区役所だと、昼休みはやっていないとか、書類によって窓口が異なりそのたびにいちいち申請書を書かなくちゃならない…という手間がコンビニのマルチコピー機にはないし。
年金事務所もすごーく混んでて予約は7月になったばかりなのに「8月以降になります」と言われ、郵送で申請&届け出を済ませましたし。
何より微妙に遠くて、且つ辺鄙なところにある区役所や年金事務所に行かなくて済む…というのはなっちには大いに助かりました。
ということで、これにてなっちの介護生活は終了です。
蒸し蒸し薄くもり
ご無沙汰としておりま~す。
3か月半ぶりに無事に退院してきましたぁ
4月の下旬に、ツツジが咲き誇る中リハビリ病院に転院してから、約2か月間のリハビリでそこそこ歩けるようになって帰ってきました。
今回は、去年の大腿骨骨折で1年経ってもくっ付かなかったので、右大腿骨の骨折部分に左膝の人工関節で出た骨を移植してくっ付けようというオペ&リハビリ入院でした。
移植した右大腿骨は、術後8週間の荷重制限があり、また人工膝関節となった左足も車椅子⇔ベッドの乗り移りには軸足を担って頑張ってましたが、8週間歩いていないと筋力は思った以上に弱まります。
荷重制限が明け、イザッ歩行訓練が始まってもほんのちょっとしか歩けない。
短い距離を歩いただけで、足の全体の筋肉や腱?がこわばり疲れてしまう。
そんな、こわばった筋肉をほぐすマッサージ&筋トレ&歩行訓練の日々を過ごしていました。
ちなみに、リハビリ病院は人工関節や足の骨折などですと保険適用で入院できる期間が90日間という日数制限がありますが。(脊椎の手術や脳血管麻痺系ですと180日間)
去年は、術後2週間でリハビリ病院に転院して全荷重になるまで13週間もかかり、タイムリミットの90日が迫る残り10日間ほどの歩行訓練での退院となりました。
ほとんど歩けませんでしたねぇ。
なので、退院するときは車で1時間くらいかかるところリハビリ病院から自宅までタクシーで帰ってきたくらいでした。(退院後の通院もずっとタクシー通院が続きました。)
だから今年は、「電車やバスなど公共交通機関を使って帰りたい」とリハビリ病院に転院した日から希望を伝えてました。
リハビリ病院のPTさんに聞きましたが、「筋肉ができるのも筋トレして2週間から」だそうで。
通りで、去年は歩けなかったわけですね。
今年は、リハビリしてて全荷重になってから3週間くらい経ったころから歩ける距離もグッと伸びたし、何より歩き方もペンギン歩きから膝を使ったスムースな感じに変わってきました。
全荷重になって4週間後には、お出掛けリハビリがあります。
駅⇔病院間のシャトルバスに乗って、電車をひと駅だけ乗って買い物などして、またシャトルバスで帰ってくるという、日常を想定したリハビリです。(もち、PT・OTさん付きです。)
このとき、杖ではなく座れるショッピングカートを押してのお出掛けリハビリで、エレベーターや上下のエスカレーターもチャレンジして問題なかったし、
シャトルバスのステップも大丈夫だったし、「私、意外とイケるじゃん」と自信になりました。
そして、全荷重となって1か月ちょっとで退院となり、最初の希望通り駅まではタクシーで行って電車⇒バスを使って、乗り換えもちゃんと歩けたし、気分良く帰ってきました。
ついでに、近所のスーパーにも寄ってきました。
(何せ、冷蔵庫も空っぽだし、疲れたしランチにすぐに食べられるものがほしくて。)
「これで日常もバッチリ」と思っていたら、翌日はなんと足の全てが筋肉痛って感じで、またペンギン歩きになってしまいました
うーん、ただ公共交通機関を使って帰って来ただけじゃん
「入院生活と日常は違うのね」と痛感させられた体験でした。
この筋肉痛とは、痛くても動かさないと良くならないから我慢してちょこちょこ歩いて1週間ほど続いたでしょうか。
今は、歩けるけどもうちょっと筋力がつくと良いなぁと思っているところです。