SONYのビデオカメラ「HDR-PJ40V」
半年ほど前に購入したビデオカメラ。
CANONのDVテープを使用するカメラをずっと使っていたのだが、実際故障もしていなかったのだが。
DVテープはどんなに長く撮影しても限界がある。長時間モードで撮影して、4時間ほどの録画が可能になってもバッテリが持たない。当時のカメラの追加バッテリはもう購入意欲が湧かなかった。古いので。
教え子の試合映像を撮影したい!
新型買おうと思い立ち、なぜか購入したのがこの機種。
SONY デジタルHDビデオカメラレコーダー PJ40V シルバー HDR-PJ40V/S
中学生の地区予選、胆振大会、全道大会と撮影をしてきた。
小学生の大会もほぼすべて撮影してきた。
先週の自分たちの試合もほぼすべて撮影してきた。
使い勝手がいい!
今どきのカメラであればどんな機種でもいいんだろうけどね。
撮影時間はバッテリーさえ持てば、不足することないし、PCにつなげばバックアップもDVD作成も簡単にできる。
わずかな不満が、外部接続の自由度が低いことかな?
まだましな方の機種なんだとは思うんだけど。
この高性能な機種が購入当時も5万円台で買ったことがすごい。
時代は変わったなあ、と痛感した。
ビデオというものは撮影されている一人の映像を、その他の人は撮影している映像と同様に見ていたわけである。見ていないのは撮影されている本人。
本人が見るために撮影しているのが、私の場合の撮影理由。
小学生20人に見せる場合、一人の映像は残る19人は見ていたわけで、試写会なんかはとてもつまらないものだったりする。
楽しく感じるのは本人だけ?
そして、試合映像は本人にとっては見たくない映像で、とても恥ずかしいものだ。
だって、かっこよく写っていないのだから。
自分の映像を私自身が見ても恥ずかしいのだ。
その恥ずかしさを恥ずかしくならないような状況に変化させるべく、撮影し確認をする。
要は練習に反映させる。
自分の未熟さを自分で確認するために撮影する。
記録として残すためではなく、未来の自分をよりよくするために撮影する。
私が撮影するバドミントンの映像ってそういう目的だから、家族が子どもの成長として残したりする場合とは根本的に目的が違う。
指導の一環なのだ。
でも、このビデオの映像に映る姿を何年か先に本人が見ることができたら、それは資料としての映像ではなく、記録としての映像なのではないかな。
将来、子どもたちが自分の試合の姿を見たとき、こういうときもあったなあ、と恥ずかしさではなく懐かしさを感じるように見ることができたとき、指導者である私はどういう思いでいるのだろう。
子どもたちの未来が幸せであることを願って。
将来見たときに、恥ずかしい映像になっていないことを願いたいね。
よくわからん文章だな。
深夜で頭がぼけているということで。
半年ほど前に購入したビデオカメラ。
CANONのDVテープを使用するカメラをずっと使っていたのだが、実際故障もしていなかったのだが。
DVテープはどんなに長く撮影しても限界がある。長時間モードで撮影して、4時間ほどの録画が可能になってもバッテリが持たない。当時のカメラの追加バッテリはもう購入意欲が湧かなかった。古いので。
教え子の試合映像を撮影したい!
新型買おうと思い立ち、なぜか購入したのがこの機種。
SONY デジタルHDビデオカメラレコーダー PJ40V シルバー HDR-PJ40V/S
中学生の地区予選、胆振大会、全道大会と撮影をしてきた。
小学生の大会もほぼすべて撮影してきた。
先週の自分たちの試合もほぼすべて撮影してきた。
使い勝手がいい!
今どきのカメラであればどんな機種でもいいんだろうけどね。
撮影時間はバッテリーさえ持てば、不足することないし、PCにつなげばバックアップもDVD作成も簡単にできる。
わずかな不満が、外部接続の自由度が低いことかな?
まだましな方の機種なんだとは思うんだけど。
この高性能な機種が購入当時も5万円台で買ったことがすごい。
時代は変わったなあ、と痛感した。
ビデオというものは撮影されている一人の映像を、その他の人は撮影している映像と同様に見ていたわけである。見ていないのは撮影されている本人。
本人が見るために撮影しているのが、私の場合の撮影理由。
小学生20人に見せる場合、一人の映像は残る19人は見ていたわけで、試写会なんかはとてもつまらないものだったりする。
楽しく感じるのは本人だけ?
そして、試合映像は本人にとっては見たくない映像で、とても恥ずかしいものだ。
だって、かっこよく写っていないのだから。
自分の映像を私自身が見ても恥ずかしいのだ。
その恥ずかしさを恥ずかしくならないような状況に変化させるべく、撮影し確認をする。
要は練習に反映させる。
自分の未熟さを自分で確認するために撮影する。
記録として残すためではなく、未来の自分をよりよくするために撮影する。
私が撮影するバドミントンの映像ってそういう目的だから、家族が子どもの成長として残したりする場合とは根本的に目的が違う。
指導の一環なのだ。
でも、このビデオの映像に映る姿を何年か先に本人が見ることができたら、それは資料としての映像ではなく、記録としての映像なのではないかな。
将来、子どもたちが自分の試合の姿を見たとき、こういうときもあったなあ、と恥ずかしさではなく懐かしさを感じるように見ることができたとき、指導者である私はどういう思いでいるのだろう。
子どもたちの未来が幸せであることを願って。
将来見たときに、恥ずかしい映像になっていないことを願いたいね。
よくわからん文章だな。
深夜で頭がぼけているということで。
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