根橋俊夫

農業、町おこし、自然保護活動などで、見たこと、感じたこと、考えていることなどについて発信します。

我田引水と一所懸命

2013-05-11 19:51:37 | 日記
今年は、約1.8haの稲作経営を行うため、田植えの準備を行っている真っ最中。田んぼが全部で15枚になるので、それぞれの田んぼの個性を頭に入れて、代掻きや施肥を設計しなくてはならないので、肉体よりも頭が疲れる。特に、いままで休耕田であったところを新たに水田にする場合、水と土がなじまないことから、代掻きが大変な作業になっている。つまり、いくら水を入れてもなかなか水が上がってこないため代掻きができない。20アールの田んぼに5日間昼夜を分かたず水を入れても、水が土にしみこまないため仕事がはかどらない。そうこうしているうちに、誰かが私の田んぼの水を止めてしまった。自分の田んぼに優先的に引水するためだ。水路管理などはみんなで協力し合ってやっているのだが、いざ自分の田のことになるとそこまで踏み込んでやってしまう人がいるのだ。「我田引水」を目の当たりにしてことわざの真意が理解できたが、そこまでやらせてしまう根本原因が、現行憲法以前の小作農民が、制度的に追い込まれていた、「一所懸命」がそうさせているのかと思うとなぜか怒りの気持ちもしぼんでいく。
 若いころ、高名な民法学者の講義で「一所懸命」の意味について教えていただいたが、つい60数年前までは、一枚の田んぼの米の出来具合が家族のいのちと暮らしを左右していた時代を考えると、その時代を生きてきた高齢者の方々の行動は、まさに命がけであると気迫さえ感じてしまう。
 稲作のための地域共同体としての作業は、今日では、水路の管理、「水揚げ」という導水のための共同作業など限られたものになっているが、構成員の連帯と個人的利害をうまく調整してきた仕組みが「○○区」や「○○耕地」といわれる人々のつながりの本体であると改めて実感している。ひいては、これが日本という国家を形成している人々のつながりのベースだと思うが、TPP
の導入で稲作経営が壊滅したら人々の絆はどうなってしまうのだろうか?