(31)原因療法
医療機関を受診したらどうなりますか?
低周波公害の被害者は、いろいろな症状があるのですから、当然医療機関を受診します。しかし、それで満足できた被害者はまずありません。そこで医者のはしごが始まります。A内科からB内科、C内科。内科がだめなら耳鼻科、眼科、整形外科、精神科。開業医がだめなら大病院。すべて徒労に終わります。
すべての医療機関での受診結果は、被害者の本来の疾患を除けば異常なしです。いくら詳細な検査をしてもらってもです。原因が内にあるのでなく外にあるのですから当然です。
そこで対症療法です。頭痛に痛み止め、イライラに精神安定剤、不眠に睡眠薬ときます。それで治るわけはありませんから、やがて医者を替えますが同じこと。いたずらに、痛み止め、精神安定剤、睡眠薬の山を築くだけです。
治療の基本は原因療法です。外から来る物理的原因に対して、こんな化学的薬剤が有効なはずはありません。
原因を除けといっても、それを医者に要求するのは酷かもしれません。しかし、被害者が自分の症状と低周波音との関連を熟知しており、そうした状況についていくら熱弁を奮っても、聞く耳を持たない医者が実に多いのです。
医師は公害患者を救わない。救ってくれるのは、ごく一部の医師だけという我が国の公害問題の悲しい現実は、低周波公害とて例外ではありません。
(32)隣の被害の謎
音源の人が平気なのに、なぜ隣が文句を言うのですか?
すべての音は、距離が離れるにつれて小さくなります。音を出している音源のところで一番音が大きく、隣の家まで行けば、当然音は小さくなります。音源の人のところでどうもないのに、なぜ隣が文句を言うのかというのは、加害者側だけでなく、第三者も、そして口に出さなくとも恐らく行政側も抱いている疑問です。イヤ、被害者もしばしばそう思っています。苦しいのだが、自分のことだから、あるいはカネ儲けのことだから、暖房・冷房の快適をもたらすから、辛抱しているのだろうと。
しかし低周波公害は、原則として、音源には発生せず、隣近所・周辺に被害が出るのは厳然たる事実です。隣近所に迷惑をかけながら、加害者が気が付いていないことも多いのです。
なぜそうなのか。理由はいろいろ考えられます。
① やはり人間は本質的に身勝手な存在で、自分のメリットになることには寛大、メリットのないことには厳格です。
② 低周波音の被害は静かな環境で起こりやすいように、被害者が静かな心身の状況にある時起こりやすいのです。騒音を出している工場の場合、工場側はガチャガチャと忙しく立ち回っているのに対し、隣は静穏な日常生活を送っているとすれば、工場側は平気、隣は苦しくて耐えられないというのが基本的パターンです。
脊椎動物には、生体の意思と無関係に、内臓・血管・腺などの機能を自動的に調節する自律神経という神経系があります。
自律神経には交感神経と副交感神経とがあり、互いに相反する働きをすることによって、体の働きの平衡を自動的に保っています。
交感神経は活動に適した状態を作り出し、副交感神経は休養に適した状態を作りだします。交感神経はエネルギーを消費する方向、副交感神経はエネルギーを貯える方向で、両者相まって初めてうまくいき、健康も保たれるのです。
低周波音に対しては、交感神経が緊張している状況では平気であり、副交感神経が緊張している状況では鋭敏であるとみられます。活動している時は平気ですが、休養している時はたまらんというわけです。
③ 一般に労働基準は環境基準より10倍、時に1 0 0倍厳しく設定されています。その理由は、
イ 労働関係はカネ儲けですが、環境関係は一文にもなりませんから、労働関係は辛抱して当然。
ロ 労働は一日8時間、休日あり。しかし環境関係は1日24時間、休日なしが基本です。工場が24時間、年中無休でも労働者は交替していますが、住民は交替なしです。
ハ 労働者は採用時に検診を受けますから、労働環境に不適当な人は初めから除外されていますが、住民には居住の適否をきめる検診はありません。
ニ 労働者は、もし自分の労働環境が不適当と思えば、配置替えを申し出るなり、やめていったりします。住民はそう簡単に移転することはできません。
ですから工場では、低周波音に鋭敏な者は淘汰されて、ニブイのが残ることになりますが、住民はそうはなりません。
④ 妙な音がしてくれば、、この音はなんだろうと耳を澄ませす。
それは人間の本能的な行動です。意識を集中し、感性を高めて、判断しようとします。静かにして思索する体制にあれば、なおさらそのことに注意し続けます。“鋭敏化”はこうして起こると考えられます。ところが音源側は、この音は何かと思索する必要はなく、したがって鋭敏化する必然はありません。
また、加害者にとってもし不快きわまる音であれば、それを止める自由を持っています。しかし被害者は、その音がなにかということがわかっても、それを操作する自由を持たないのです。苦しい時だけとめていただければ、どうもない時はどうぞご遠慮なくと、臨機応変にというわけにもいかないでしょう。
⑤ 実は以上述べて来たことは、それほど重要な理由ではないかもしれません。一番のポイントは、騒音対策をすれば余計苦しくなるという現象にあります。
普通騒音と低周波音と両方あれば、低周波音の方が少ない減衰で隣へやってきます。そして隣家の壁や戸に反射、吸収された残りが部屋の中に入って来ます。そこでは普通騒音は著しく低下していますが、低周波音はそれほど低下していません。相対的に低周波音の方が大きく、その差が大きいということが、本家本元ではそれほどでない低周波音の被害が隣では強く出る主な理由と考えます。
被害者が苦しい時、ラジオやテレビをつけて大きな音で聞くと楽になります。冷房をつけてその機械音を聞いたら楽になるという被害者もいます。そういった音を一緒くたにして聞いているのが音源側で、それらの音抜きでじっくり低周波音を聞かされているのが被害者側です。つらいはずです。
(33)被害を受けたら
低周波公害の被害に気がついた時は、まずどうしたらよいのでしょうか?
「騒音被害者の会」を創始された佐野芳子さんは、近隣騒音について、「被害を感じたら、すぐに相手に伝えなさい」といっておられます。至言だと思います。低周波公害も同じです。
日本人の性格として、「近所同士お互い様」という遠慮か強く、なかなかそうは割り切りにくいのですが、すぐに、そしてサラッと伝えるのが、問題解決のためにも大事なことです。
ある人が、隣のエアコンの音をじっと我慢していましたら、ある日その隣の奥さんが用事で訪ねて来た時、「アラ、お宅のこの音、なんですの?」。ガマンでなくてマンガです。
なまじ辛抱していますと、だんだんたまらなくなってきます。とうとう我慢しきれなくなって相手に伝える頃には、すでにこちらの感情も平静を失っており、平和な交渉が困難になりがちです。
初めて工場が動き出した時には、相手も、この音は隣近所に迷惑がかからないかと気を使うものです。その時に訴えてこそ、対処しやすいのです。随分日が経ってからの恐れながらでは、すでに仕事が軌道に乗っており、建設や機械の業者とも縁遠くなってしまっていますから、そこから一からやり直すのは大儀なわけです。なんとか簡単に逃げられないかと思うのも人情です。この状況は、家庭用のエアコンやボイラーであっても同じです。
火事ともめごとは初期消火に限ります。
(34)必ず記録を
加害者側と交渉しましたがうまくいきません。どうしたらよいのでしょうか?
初期消火が不成功に終わった時、長期戦を覚悟しなければなりません。基準を持たず、測定も困難で、相手にも第三者にもわかりにくい低周波音の被害を、どう理解させるかが大切になります。
もちろんそれ以前に、自分の被害が単なる騒音被害ではなく、それとは異質な低周波公害であることを被害者本人が自覚していなければ、話になりません。
被害を訴えるのが自分一人である場合も少なくありません。自分以外のすべての人が、その被害をわからない時、感覚異常者扱いならまだましな方で、訴えた行政から精神科受診をすすめられた被害者さえあります。幻聴・幻覚のたぐいと判断されたのでしょう。
基準を持たないということは、役人が頼みにする規範がないということです。測定が困難ということは、客観的な数字が得られないということです。あるのは被害者の主観に頼る“舌先三寸”だけでは、いかにも弱いのです。戦況極めて不利です。
そこで、まず自分の被害を逐一記録することをお勧めします。記録とは主観の客観化です。世界一の識字率を誇る我が国です。自分で自分のことを記録するのですから、誰にでもできるはずです。費用もわずか、時間もそれほどかかりません。
ところが現実はそうではありません。しゃべることは得意でも、書くことが苦手という人が、とくに女性に目立ちます。しゃべることなら、少し位いい加減でも取り繕ってしゃべれますが、書く時はそうはいきません。後に残るからです。不正確なところは、いちいち調べて正確を期さなければなりません。それが面倒なのでしょうか。しかし、そこが大事なところなのです。
見知らぬ低周波公害被害者から時々電話が掛かってきます。どんな経路でこちらを知ったのか、随分遠隔の人からもかかってくることがあります。積年の恨みがたまっていますから、しゃべりだすととまりません。30分位はまたたく間ですが、それでもそれ位の時間では、こちらは正確に状況を把握できません。そこで、詳しく書いて郵送してくれるように頼みます。
ところが電話であれだけ熱烈に訴えていた人の半数以上は、それきりウンともスンとも言ってきません。それ程現代人は、書くことが苦手になっているのです。書くくらいなら、低周波公害を辛抱した方がましということなのでしょうか。
事実の把握がいささか不正確な上に、時間がアレヨアレヨという間に過ぎて記憶が失われていったら、もうどうにもなりません。そんな状況で、このわかりにくい被害を第三者に理解してもらおうなんて、虫がよすぎます。
書くということは、事実や知識を正確にするだけでなく、頭の中にゴチャゴチャと入っている知識や考えを交通整理してくれます。その際、それまで主観的であった個々の事象を客観的に見直すことになります。さらに、そこに思索という要素が加わります。こうしたことが、戦いを勝利に導く原動力になるのです。
公害日誌という言葉があります。正確な記録が長年月積み重ねられれば、もう立派な客観そのものです。裁判所でも通用します。
(35)周囲を固めよ
記録の次に低周波公害被害者がやることは何ですか?
公害闘争は戦争です。戦いに勝つにはできるだけ味方を集めることです。これに対し、敵は相手の公害源だけではありません。行政ら他の第三者も、むしろ敵側と思っておく必要があります。
その中で戦いに勝つためには、周囲を固める必要があります。夫(あるいは妻)や家族が信じていないのに、外部の人に信じてもらおうというのは到底無理です。
個人差がひどい関係で、わからない者にわからすことは無理ですが、自分が苦しいということだけは、家族にしっかりわかってもらう必要があります。「私はどうもありません。アレだけがギャアギャア言ってるんですわ」では、負けです。
それよりもっと大事なのは、近所に同じような被害者がいないかを調べることです。同じ被害者が他にもう一人でもおれば、戦力は十倍にもなります。もっと3人、4人、5人となれば百人力。戦いは極めて有利になります。もちろん、もう感覚異常者、精神病者に扱われることはありません。
医学の世界では、非常に珍しい病気が発生した時、1人だけではなにも言えません。しかし同じ状況下で、珍しい病気が2人発生すれば、その状況が原因である可能性が高いとします。そしてもし3人発生すれば、その状況が原因と断定してよいとしています。
同じような被害者が、自分以外にも近所にいるということは、それほど大切なことです。複数化は客観化なのです。
(36)測定は行政に
測定をどうしたらよいのでしょうか?
測定値を得ることは、低周波公害解決にとって最大の難関です。低周波公害の被害者は皆ここでハタと困ってしまいます。
しかし行政がなんと言おうと、これは行政がやるべきです。これこそ行政の最重要の仕事です。
真面目に国税や地方税を支払い、しかも自分が何も悪いことをしていないのに低周波公害に苦しめられている人を、行政が放置するのは許せないことです。「業者に測ってもらえ」などとは、行政の義務放棄です。もしそれが許されるなら、その高額の測定費用を支払えない貧乏人はどうなるのですか。泣き寝入りするか、サラ金に駆け込むしかないということですか。これは憲法違反です。
日本国憲法 第14条(法の下の平等、ほか)
① すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
こうした現況を打ち破るためにも、しつこく行政に測定を要求すべきです。これは国民のための行政改善運動となることでしょう。行政に低周波音測定機器の購入の必要を痛感させ、引いては「年間30例」の環境庁の愚劣を打ち破ることになるでしょう。
都道府県だけでなく、府県庁所在地と地方中核都市位は測定能力を持つべきであり、環境庁は「年間30例」の100倍も低周波公害苦情があることを認識すべきです。
(37)協力者を求める
交渉をどのよう進めたらよいのでしょうか?
一般に庶民はこうした交渉事に不慣れで下手です。しかし世間には、こういう事が上手で好きな人が結構いるものです。そういう人が知人におれば、協力してもらえばよいでしょう。
しかし、人の口車に乗って気軽に頼まないことです。カネ儲けのための協力であったり、最悪ヤクザ関係であったりすれば、低周波公害よりその方が厄介なことになりかねません。
官庁関係がからみますから、議員の方に協力してもらう人が多いようです。この場合もただ「あの人知っている」だけではダメで、庶民の味方になる人か、企業やカネにつく人かを見分けておかないと、味方と思っていたらいつの間にか敵側に回っていて、泣き寝入りを迫られてはなんにもなりません。
おカネは掛かりますが、弁護士に頼むのが一番のスジでしょう。しかし、これも人選に注意が必要です。敵側に回ることはないにしても、多くの弁護士は低周波公害の知識を持ちませんから、これを新しく学習して理解する意欲を持つ人でなければなりません。
忙し過ぎる有名弁護士は、その点で不安があります。また老齢になりますと、一般に新しい知識に弱くなるものです。そうした点を考慮しなければなりません。その点複数の弁護士のいる法律事務所なら、向こうが適当な弁護士を選んでくれるでしょう。
弁護士であれば、もはや相手側や行政にバカにされることもありませんし、将来裁判になっても大丈夫です。
(38)裁判に訴える
最後は裁判ということですか?
交渉がうまくいかない、サア、裁判だ、となりがちですが、事は簡単ではありません。なるべくなら避けたいと思います。
できるだけ行政の場で、たとえば公害審査会とか、調停委員会とか、なにかルートがあれば、それの利用をお勧めします。
それがダメなら、簡易裁判所の調停申立てです。
それでもダメな時、民事訴訟ということになります。これには、騒音の差し止めを求める裁判と、損害の賠償を求める裁判とがありますが、普通は両方を兼ねた訴えになります。
私が裁判をなるべく避けたいとする理由は、以下の通りです。
① 時間が長く掛かります。その間、相手は低周波音の出し放題ですから、それを何年も歯を食いしばって耐えねばならないことになります。あきらめたら負けです。我慢比べです。
それに一審だけですむ保証がなく、控訴になればまた何年も掛かります。さらに最高裁判所もあります。
② 年数が掛かるにつれて、おカネも掛かります。その間の景気
の変動と関係なく、必要なカネは必要なのです。
③ 一部の裁判官の資質に問題を感じます。官僚的、非常識、世間知らず、体制迎合などです。弱い庶民の苦しみがわかってくれるのか不安ですが、裁判官を選ぶことができません。
④ 損害賠償はまだ認められやすいですが、差し止めはなかなか認められません。これは原告の願いと正反対です。
(39)逃げ出すこと
低周波公害の帰結はどうなりますか?
普通騒音と違って低周波音の対策は極めて困難で、対策が逆効果となることもしばしばです。その上鋭敏化という現象がありますから、被害の出た後から僅かな低減対策に成功してもこの鋭敏化に追い着かず、被害者の満足を得ることはまずありません。
こうして、加害者側は「これだけ誠意をもって対策しているのにまだ文句をいうか」となり、「おかしいのと違うか」「いやがらせではないか」「カネが目的に違いない」となります。
被害者側は「これだけ苦しいのになにもやってくれない」「対策したというばかりで、少しも楽にならないではないか」となり、お互いに不信を募らせます。
これに行政の無策と無責任が加われば、争いごとはますます深刻になり、解決のメドがつきません。
これが多くの低周波公害の悲しい帰結ですから、騒音対策まがいの対策をまず考える常識は、初めから放棄するのが賢明です。
まず、逃げ出すことを考えるのです。加害者側が逃げ出すか、被害者側が逃げ出すかです。これが根本対策であり、原因療法です。
初めから逃げ出すことまで考えなくても、なんとか対策できるだろうと考えるのは、低周波公害に関してはアマイと言わざるを得ません。効き目のない対策をさんざんやった上で、相互不信を募らせてしまっては、逃げるに逃げられなくなります。
「三十六計逃げるにしかず」です。
(管理人補足)逃げるも困難、留まるも困難。逃げ出したくとも逃げ出せない場合も多いように思います。低周波音に敏感な者にはもう「終の棲家」に落ち着くことなどできないのかもしれません。この本は1994年の発行で、当時は現在とは状況が随分異なっており、汐見先生が現在の住環境をご覧になれば、どのように仰ったかなと思います。2000年代に入って、省エネ型のエコ給湯器が普及し、被害に気が付いたときに、複数台の省エネ給湯器に取り囲まれていたというようなこともあります。また新しい家庭用製品(床暖房、太陽光発電、24時間換気システム)が次から次へと出現し、一般住宅でも、いくつもの機械が長時間稼働しています。逃げ出した先でも再び近隣の機械に悩まされ、結局、転々と避難を繰り返す方もいらっしゃいます。また、鋭敏化のあまり、山中での車中泊を選択されている方もいます。
とはいうものの、もし可能であれば、そして安全な場所があれば、出来るだけ早く自宅から離れ、睡眠を十分とって、健康を回復してから、今後のことを考えていただきたいです。
(40)低周波人間
低周波音に鋭敏な低周波人間は、この社会に適合できない劣った人なのではありませんか?
アフリカのある原住民は物凄く聴覚が発達していて、日本人が到底聞き取れない音まで聞き取るそうです。それは彼等の聴覚が進歩しているというより、私たち文明人と称する連中の聴覚が退化したというべきでしょう。
さすがの文明人も、彼等が文明人の聞き取れない音まで聞き取ることを、軽蔑したり、感覚異常者扱いはしません。尊敬とは言わないまでも、驚嘆します。しかし、低周波人間の驚嘆すべき感覚の鋭敏さは、軽蔑され、感覚異常者とさげすまれます。
このアフリカの原住民は、恐らく低周波音に対しても驚くべき感知力を持っているだろうと想像されますが、彼等のこうした鋭い聴覚や感知力は、危険をいち早く察知したり、逆に獲物をいち早く発見したりして、生存に極めて有用です。彼等にだってこうした感覚に個人差があるにきまっていますから、感覚の鋭い人は重宝され尊敬されることでしょう。
機械文明の未発達であった頃、低周波音源とは地震、津波、噴火など恐ろしいものばかりでした。その時、低周波音の感知能力の優れた低周波人間は、感覚優秀者として尊敬されたことでしょう。そして有用であればこそ、低周波音感知能力の鋭敏化は、望ましいことであったに違いありません。現代になって、手の裏を返したように劣ったものとみなすのがおかしいのです。
(41)騒音地獄
経済活動が活発化し社会が活性化すれば、世の中が騒がしくなるのはやむをえないのではありませんか?
アフリカの大地が静かなのは別格として、西欧文明諸国も日本ほどは騒がしくないと聞きます。フランスでは、アパートの夜の物音にうるさく、抜き足、差し足で行動して、ドアの開け閉めにも注意し、夜中はトイレを流さないというのですから、随分生活の不便を忍んで共同生活のルールを守っているようです。
それに比べると日本は騒音天国です。「タバコのポイ捨て」で訓練された反社会性は、騒音に至って遺憾なく発揮されております。フローリングとか称してマンションの自室の床をわざわざ騒音構造に改造し、階下の住民の迷惑を顧みないなどは朝飯前のことです。
なにしろ“騒音おもちや”で英才教育され、学校に行けば住宅街に鳴り響くマイクの音、家に戻ればテレビゲーム、長じては暴走族は別格としてもくるま騒音、ロックにパチンコ、通勤の駅の電車の発着時の絶叫。都会の騒音を逃れて観光地に行けば、くだらない流行歌の大音響が山野にこだましています。
アメリカ人の目からみれば、あの東京でも清潔なんだそうです。ところが、東京の騒音にはびっくりするらしく、日本人の騒音不感症は世界に冠たるもののようです。
1974年の平塚市の「ピアノ殺人事件」で死刑判決を受けた犯人は、この騒音地獄に生きることに絶望して上告を拒否しました。
騒音地獄はそれ以上に低周波音地獄でもあります。
(42)便利中毒文明
科学の発達による文明の進歩は、人類に恩恵をもたらしているのではありませんか?
科学か人類を幸福にすると思い込むのは間違いです。人類を幸福にするかどうかは、科学の問題ではなく、科学者の問題です。
アインシュタインの天才が導き出したものは原子爆弾であり、その平和利用と称する高速増殖炉にいたる一連の原子力発電所の開発が、人類の恩恵であるかどうかも未知数です。
現在“地球環境の危機”か叫ばれています。正確には人類の危機”というべきです。それを加速しているものは、紛れもなく科学の発達による文明の進歩です。それによって大量の資源・エネルギーの浪費と大自然破壊か進行してきたのです。
近代物質文明の最高傑作は自動車です。その便利さは人々の心をとりこにしています。狭い日本の津々浦々に、六千万台のくるまが走り回っています。それが沿道の人たちをどれだけ苦しめているかを思い巡らす心のゆとりなど、露ほどもありません。
こうして我が国の大気汚染の主役は、工場からくるまに代わりました。騒音の主役もくるまです。くるまは我が国の現在の公害の最大の原因です。他方、交通事故は毎年一万数千人の死者と百万人近い負傷者を出し、家庭を突然の不幸に落とし入れています。いまや紛れもなく、くるまは国民最大の敵です。
しかしくるまのための道路は、掛け替えのない土地と自然を破壊しながら、延々と伸び続けています。くるまの乱用による膨大な資源・エネルギーの浪費は、くるま社会自体、あと何世代持つかもわからない状況ですが、そのすべてを無視して、くるまは増え続けているのです。
現代物質文明とは“欠陥商品の大量生産機構”の別名です。それが私たちの生活を便利にしたのは確かですが、私たちを幸福にしたかどうかは疑問です。犯罪の増加と巧妙化、広域化、凶悪化もまた文明の進歩がもたらしたものに他なりません。
私たちは飽くなき便利さの追求に夢中になっています。しかし、欲望には限度がありません。一つの欲望が達成されると、そこにはさらに大きな欲望が待っています。その欲望にブレーキを掛けない限り幸福はありませんが、“便利中毒文明”がそれを許しません。
低周波公害は、こうした文明の“落とし子”として生まれ、物質文明の発達とともに、ひそかに、しかし着実に被害を拡大しています。低周波公害は物質文明の“暗部の象徴”です。
低周波公害が、国や行政を含めて便利中毒社会から疎外されているのは、単に「聞こえにくい」とか「わかりにくい」からだけではありません。低周波公害がこの便利中毒社会のあり方、国のあり方を、根源から問うているからです。低周波公害の解決の困難さも、究極は、このことに根差しています。
釈尊の教えに「少欲知足」という言葉があります。「少欲」とは「まだ得ていないものに対して多くむさぼらない」こと。「知足」とは「すでに得たものが少なくとも満足する」ことです。
現代人に最も欠落している思想がこれです。無限の進歩が無限の幸福をもたらすかのごとき錯覚を、この際捨てねばなりません。
低周波公害はそれを訴えているのです。
(43)やさしさ欠乏症候群
究極、低周波公害の解決を妨げているものは何ですか?
現代社会の特徴は、機械化(便利さ)とスピード(時間欠乏感)と、それに必然的に付随する騒音(低周波音)地獄と欲望の肥大化です。これらが人の心を険しいものにしています。加えるに、幼児期からの早期騒音教育と、学校から学習塾までの徹底した左脳偏重教育です。これで国民にやさしい心が育ったら奇跡です。
こうしてやさしさ“欠乏症候群”がすっかり国民病になってしまいました。この“やさしさ欠乏症候群”の流行が低周波公害を多発させ、その解決を困難にし、被害者を追い詰めています。加害者側は、苦しむのはそっちの勝手と言わんばかりです。公害源に苦情を言いに行って、門前払いを食ったとか、アベコベに脅されたとか、嫌がらせを受けたとか、ひどい対応が横行します。
加えるに、周辺の隣人たちの“中立”という名の無関心です。人の不幸を内心喜んでいるみたいです。
エアコンは、本人には快適を、他人にはいやな音を約束します。冷房でいえば、中はより涼しく、外はより暑くです。くるまはかつて子供の遊び場の強奪に成功し、いまや公共交通機関を衰退させて交通弱者の足を奪いつつ、騒音と排気ガスを撒き散らしています。
低周波公害はこうした現代社会の不幸の象徴です。その被害者を救うものは、科学の力でも、法的な規制・基準でもありません。それは人々のやさしさと思いやりの心しかないことを、低周波公害の被害者は身に染みて知っているのです。
(付) 騒音公害との鑑別表 | ||
騒音 | 低周波音 | |
感覚 | 聞こえる | 感じる わかる |
被害の表現 | やかましい(うるさい) | 苦しい(うるさい) |
被害の実際 | 聴力障害(不定愁訴?) | 不定愁訴(不快感) |
被害の状況 | 戸外できつい | 室内できつい |
戸や窓 | 閉めたら楽 | 開けたら楽 |
テレビなど | 楽になるとは限らぬ | つけたら楽 |
個人差 | 少ない | 著しい |
普通騒音計 | 測定できる | 測定できない |
対策 耳栓 | 有効 | 無効(増悪) |
対策 防音壁 | 有効 | かえって増悪 |
対策 閉め切る | 有効 | かえって増悪 |
対策 防音室化 | 有効 | かえって増悪の恐れ |
対策 難易さ | 対策は容易 | 対策はきわめて困難 |
経過 | 慣れてくることもある | 鋭敏になっていく |
規制基準 | あり | なし |
低周波公害ハンドブック1
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