2011年3月11日金曜日 午後2時46分
大きな。それはもうとても大きな
今まで生きてきた中で感じたことはないとんでもない揺れ方。
数日後、この地震は『東日本大震災』と名付けられた。
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※今回のテキストは去年震災後5日間、電気の無い生活を送って居たため
その後PCが使えるようになってから一気に書き上げた物の一部です。
そしてその日、猫たちにも被害があった部分だけを抽出&加筆して
掲載しています。
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私はこの日この時間、実は歯医者に居た。
信じられないような長い揺れと恐怖を感じながら収まるのを待った。
外に出た後のパニックは地元の人間より、外から見てる人の方が
詳しいと思う。
なぜかと言えば、ほとんどの人達の地震によるパニック、
そして津波。
すべての電源が無くなっていたため電話はもちろん通じない、
だからラジオのみの情報源の中急いで帰らなければいけないと
瞬間的に判断した。幸い歯医者から家まで車で5分とかからない。
エレベーターの止まったマンションを階段で7階まで駆け上がり
息も整わないウチにドアを開けた瞬間
目の前には惨状が拡がっていた。
ウチは玄関を開けると3mぐらい廊下があり
その先にリビング。そしてつきあたりにTVがある。
まだブラウン管の26インチクラスの重いTV。それが吹っ飛んでた。
今までどんなに大きな地震がきても
倒れることはおろかずれることも無かったものが倒れてた。
中からはパニックを起こしてる相方の声。
相方:「ひわが…ひわが居ない!!!」
私 :「ななみはっ?」
相方:「コタツの中っ!」
”ひわ”とはメスのキジ猫。
”ななみ”とはオスの白黒猫。
ななみは震度3以上の地震なら確実にリビングの
コタツの下に入る猫なので安心してたし、
今回もしっかり避難してくれてた。
しかし…
相方:「ひわがそっちのほうに行くのが見えたけど
全然見あたらないっ!!」
そっちとは、仕事部屋の事。
急いで仕事部屋に行ってみると、リビングのTVどころではない。
足場が全くなくなっていた。
基本的に、棚と机と本とPCがある部屋。
その棚の上のモノがすべて下に落ちていた。
本もデスクトップPCも下に落ちてた。
仕事部屋に逃げていったのが見えた上に
足の踏み場も無い部屋の状態。その中にひわが逃げたと言うのだ。
自分自身もパニックに近い状態になってた。
私 :「ひわーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
「何処だひわーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
上に乗っかってるモノをかきわけ、
先に重いモノの下を重点的にかきわけて探し続けた。
私 :「ひわーーーーーーーーっ!!」
「返事しろーーーーーーーーっ!!!」
なんの反応もない。
他の部屋もチェックしてみる。
ひわはキジ猫で、近づいてくるときも音を立てず
隠れるときは人間の想像してる以外の所で
見つけることがある猫。
だから、部屋の隅々まで探したけどやっぱり見つからない。
私 :「ひわーーーーーーーーーーーーっ!!」
「何処なんだよっ!!ひわーーーーーーっ!!!」
だんだん涙声になってきてる自分に気がついた。
下敷きになってるんじゃないか?
潰れてるんじゃないか?
余計なことを考えはじめた。
自分では30分も捜してたか。
もしかしたらたったの3分なのか一時間なのかももうもう解らない。
とにかく見あたらない。
探してる最中も余震が続く。
その余震もデカイ。
いちいち部屋から逃げ出さなくてはならない。
ひわを探すために低い位置でかきわけてる状態で
ひとつ間違えば、自分もまた下敷きになってしまう。
でもそんなことはおかまい無しで探し続けた。
何度も別な部屋じゃないかと行ったりきたり。
しかし全然見つからない。
そんな中、仕事場のカーテンのある所をチェックしたとき
ベランダに出る側の窓が少し開いてるのが見えた。
開いてること自体カーテンで隠れてて気がつかなかった。
普段決して開けることの無いデッドスペース側の窓。
10cm未満ではあったが案にそれを想像出来る幅。
私 :「外だっ!!」
そう叫んだけど、確信があった訳では無い。
ただ、そこに猫が通れるであろうスペースがあっただけ。
コレはきっと、
自分的に希望的な叫びであったと思う。
相方がリビング側の窓からベランダに出て、
仕事場側の窓の方に行く、
エアコンの室外機の裏をみてもそこには居ない。
相方:「居ないよっ!」
半分逆ギレされたかのように怒鳴られたが
私も後を追ってベランダにでた。
7階のベランダの手すりを越え、一階の庭までのぞき込む。
落ちたのではないかと思ってもみた。
でも下にも居ない。居ては困る!
そう思いながらエアコンの室外機とは反対側の
ゴミ箱のある方をみた。
そしてそのゴミ箱の影から
小さく丸くなってるキジ柄の毛が見えた。
私 :「い…居たっ!!!」
ひわを見つけた。
良かった。
涙が出た。
思い出しながらコレを書いてる今でさえ
目に涙があふれてきた。
助かった。
怪我も無い。
小さくなって震えてた。
とにかく良かった。生きてて良かった。
猫2匹を各自のバスケットに押し込み、いつでも
マンションから脱出し、青空駐車の車に乗り込む
準備も出来た。
ココでやっと冷静に部屋の中を見渡す事になる。
FAX、アイロン、自転車、ありとあらゆる本、
そして重いPC。
ドイツ製の加湿器も下に落ちてしまい
その中に入ってた5L近くの水が本の上からぶかっかり
かなりの数の資料がダメになった。
後で解ったのは、スチールラック棚は倒れなかったモノの
足がぐにゃりと歪んでいた。
もしこれが倒れていたら人間だって危なかった。
前から宮城県沖地震の来る確率が数年以内に90%を超えてることもあり
いろいろな準備はできていた。
猫関係もそう。
水はもちろんのこと猫餌、猫砂。バスケットやケージ。
特に猫砂は、水が流せなくなったトイレの代わりに人間が使うことも
考えて居るためそこそこ準備をしていた。
仙台は一部下水施設が壊れていたため、トイレすら使えない事があった。
でも猫砂は十分使える(トイレに流さずゴミとして捨てることができる)
何とか生活状態が安定するまでの間困ることは無かった。
だからここで警鐘しておきたい。
自分の命を守ることが一番だが、家族を守るのも一番です。
猫だって犬だって家族です。
必ず「震災時の避難」まで想像して行動して下さい。
車に最低限の衣食住に関する物を積んでおく。
その時、ペットの物も積んでおいて下さい。
必ず逃げるときは一緒に逃げて下さい。
*今回の福島の原発関連の時、
*
*有無を言わさず突然当局から集められ避難させられ、その後で
*
*「しばらく家に帰れません」と言われてしまった福島の人達。
*
*その時、残された”家族”達がどうなったか。
*
*映像では決して放送のできない状態になってた事を知っておいて下さい。
みんな悲しい思いをしてきたのです。
だから一緒に逃げて下さい。
被災した人間でないといえない事もあると思ったので
ここに掲載しようと決めました。
それを見て頂きたく、当時の部屋の中の写真も掲載します。
リビング1(TVを直した後)
リビング2
割れた招き猫達
キッチン
仕事部屋1(これで猫が見つかった後)
仕事部屋2
仕事部屋3
仕事部屋1のこの仕事部屋にひわが逃げ込んだのだ。
思い出しても恐ろしい。
そしてこの部屋の右のカーテンの後ろのサッシが開いていた。
それがひわのが助かった避難通路だった訳です。
そして改めて、”頭より高い位置に重い物を載せない”
”ペットの入って良い部屋、そうでない部屋の徹底”
”できる事なら崩れる物の無い部屋の確保(その後数日間の居住空間)”
準備がムリでも「心がけ」だけで十分冷静に動けるようになります。
気をつけて!!
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