「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

突撃コレクター

2013年02月27日 21時05分17秒 | 「妙」な「見」聞のある朋の不思議話

こんばんは。

基本的に、わたしはコレクターである。コレクターが高じて、ブランドショッピングと勘違いされることが多いのだが、基本的にコレクターである。

過去としては、ウェッジウッドにこだわった際には、何とも、ウェッジウッドのあるシリーズをどか買いしたことがあり、よくよく考えると、いつかは使うしと思って買ったのだが、あれから20年間、出番なしである。

その後は、フェンディに突撃したことがあり、かばんだけで、数十個、ポーチ、スカーフ、スカーフ小物、凄まじい買い方をしたことがあった。基本的に、これらは安かったり、海外の免税品店で出張の際に自身が買うことが多く、とにかく多く所持していた。現時点では、これら、捨てた。スカーフは、相変わらず愛用している。

他に突撃したというと、ビーニーベア。これは、大型の段ボール箱にぎっしり詰めても入りきらないほど所持している。ぬいぐるみ関係で言えば、他に気になるブランドがあり、あるブランドのぬいぐるみを息子たちに一匹ずつ買い与えて、先日、シンガポールで、ヨーロッパのぬいぐるみを発見し、あまりのかわいさに、購入してきた。いかん、いかんと思うが、既にベッドは、ぬいぐるみで溢れている。

他に突撃したというと、シャネルか。エルメスも一緒で、重いので、却下。フェラガモを愛用していたが、その前に愛用していたのは、バーバリーである。もはや、全身バーバリーというような状態で、暮らしていたのだが、残念なことに、着ると「キャラが立っている」と母親に言われるので、自粛している。傘は折り畳み傘も含めて、全てバーバリーであったりする。

トリイバーチは、実はあまり好きではなく、デジカメケース位しか持っていない。

他は、どうなんだろう。ソビエトの食器が欲しくて突撃していったことがあったり、収集癖がすごいのと、主人が出張に行く際に、変なものを買って帰ってくるので、割と家の中、カオスである。

ものすごい勢いで突撃していったというと、実はブランドの宝飾品には手を出したことがない。持っているもので何かと言われれば、唯一、ティファニーだろうか。実は宝飾品は、出来上がりにこだわりがあるので、現在は、クラフトマンに頼んで作ってもらったりしている。デザインを起こすのはわたしだ。

そんなんで、突撃部隊としては、IPAD,IPOD,こんなところもある。パソコンも多く所持している。その癖、スマホを持たないで、ガラケーであったり、妙にコンビニには行かない性質だったり、変なところの支出が厳しい。

他、骨董品を集めていた頃があった。目利きであったのだが、実は骨董品には、本当に歴史的価値のあるものは、自身の手に負えないことが分かった。自身が買えるような気軽な値段ではなく、自身が所持すると、ろくなことがない。と言うわけで、骨董品はあまり所持しないようになった。

そう言えば、バカラに凝っていたり、ルクルーゼに凝った事もあった。有田焼が好きなのと織部が好きなので、割と恐ろしい金額の食器を揃えて所持しているが、使ったためしはない。気に入って大事に使っていたものは、姑と主人が割った。故に、和食器は、買い足しできないという性質上、凄く高くつくので、あまり揃えていない。そんな中で、中華料理系の食器なんかは一通りあったりする。

カトラリーに凝った事もあった。しかし、凝ると、カトラリーは重い。親が、シルバーの食器やシルバーのカトラリーや、シルバーの茶ひつなんか、持っていて、彼らは休日にそれらを磨いたり、チェコ系の凝ったカットのガラス食器を磨くことをこの上なく大事にしていたが、わたしは、磨くのが面倒なので、あまり持っていない。ワイングラスは、一度バカラで揃えたが、実は、転勤で引越し会社に割られてしまい、それ以降、結局は、父がくれたワイングラスとか、会社で貰ったワイングラスとか、そんなものでお茶を濁している。

子供関係で言うと、突撃して言ったのは、機関車トーマスセットだった。初めにベーシックを買い込んで、毎月毎月通っては、買い足して、結局はその当時の全てのイベント、全ての登場機関車を買い込み、8畳の部屋にいっぱい広がるようなそんな馬鹿な買い方をした。ある、外資系にお勤めの息子の友人のお父さんが、わたしと張り合おうとして、自身もコレクターになったのだが、わたしの異様な揃え方に、脱帽ですと仰っていた。恐らくだが、30万以上はつぎ込んだと思う。

他には、珍しいミニカーなんか、収集している。ドイツだったり、イギリスだったり、アメリカだったり。マニア垂涎の品なども持っているが、実は先日、震災の子供たちに、半分ほど寄付として送ってしまった。

他は、アトワースのクリサリンのフィギュア。この系統で行くと、仏壇セット、墓、そして、神棚セットも買ったな。結局、仏壇は、おりんとか残して、箱は捨てた。位牌も捨てた。神棚も捨てた。人間一番大事なのは、自身の心を清くすることだと気づいてからは、形だけのスピリチュアルは嫌になった。

他に突撃した・・・・というと、車の改造であったであろうか。日産だった頃は、よく、車に改造を加えた。最近、ホンダになって、改造するのがめんどくさくなって、普通に乗っている。特にカスタマイズした点はない。改造を加えてた頃は、燃費が悪かったが、今は、凄まじくいい。

その他はねぇ。

 

あぁ、ティファニーの食器も買ったわ。

 

飾るとこねーけどな。

 

それと、絵もよく、リトグラフを買った。リトグラフではない場合は、なんか色々買っている。

 

その他としては、楽器も買った。これもコレクションかと思うほど、バイオリンは4台、シンセサイザー10台、フルート1台、クラリネット1台、ブロックフレーテ8台、これらは、預けていた場所があったのだが、先日、その場所が改築するとの事で、過去の楽器をどうするかと問い合わせが来た。ブロックフレーテは、紫檀だったり黒檀だったり、結構高級なものだったのだが、管理が面倒なので、廃棄した。同様にバイオリンも今のところは練習用しかない。息子関係で、ドラムは買った。

 

そんなんで、馬鹿みたいなコレクションを無駄に誇っていて、周りから、その購買欲について苦笑されることがある。だけれど、基本的に、こういうものは、買って、大事に残し、次世代に引き継ぐこととしているので、そんな感じであろうか。母や、祖母から引き継いだものもあるので、それらも、次世代に引き継ぐこととする。

 

そういう点では、婚家は引き継ぐものは何一つとしてないので、まぁ、しゃーねーわ。文化の違いって事で、時々、こんなわたしだが、

 

兄の家に出かけて、兄のコレクションを見て、たまげることがある(笑)。

 

兄は、発達障害とか、アスペ顕著な人なので、(わたしも自分をぎりぎりの人だとは思う)、こだわりは強い。こだわっている兄を見ていると、わたしのコレクションの金額は、一つ一つが安いなと思うことがある。

 

さて、わたしの一番のコレクションと言うか、高いものは、結婚するときに、実家から掻っ攫った、現時点も評価額500万円の皿である。

 

あと、古物商からいい加減で買った5万円位の茶器が、実は、2000万するお宝であった時、茶をしばくことはないので、売ってしまおうとして、兄に引き止められたことがある。

そういう点から言うと、恐らく、わたしは目利きなんだろうけれど、所謂一般に価値があるものに対しては、あまり興味がないようである。

段ボール箱いっぱいのくまのぬいぐるみを大事にしているところを見ていると、恐らく、コレクターとして、目線が子供感覚なのではないかと思う。

最後に、スピリチュアルグッズは、おおよそあらかた買った。(笑)。買ったけれど、役にたたねーわ。己がしっかりしなきゃ、道具だけいっちょまえでも仕方ないし、己がしっかりすると、道具なんて要らなくなる。

恐縮なことに、IPODの中身は、200万ほどのコンテンツが入っている。

馬鹿も大概にしろとは、母も言わない。これは、恐らく、母の実家の文化なのだから。

しかし、ぬいぐるみは、かわええ。(笑)。

 

 

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キルナー変形

2012年09月18日 18時28分45秒 | 「妙」な「見」聞のある朋の不思議話

こんばんは。

実はわたし、手の小指が一本曲がっているんです。元々生まれたときには、まっすぐだったんですが、小学校5年生のときに、いじめにあい、いじめた男の子が、わたしの手を足で拭いている雑巾ごと踏みまして、こともあろうに、ねじったんですよ。

それで、わたしの小指が翌日には腫れ上がり、あれこれやっているうちに、結局は、手術してもまっすぐにはならないだろうと言う事になり、父はその日、「初めて放火したい気分がわかった」と申しておりました。

何で、父がそこまで思いつめたかと申しますと、わたしの母方と父方には、極度に強い斜指症というのが遺伝していまして、父もそうで、母もそうなんですね。伯父やいろいろな人の指を見たんですが、存命中だった祖母も祖父もそう。これ、キルナー変形という、まぁ、言ってしまえば、猫の尻尾にかぎ尻尾がありまして、これを「キンク」と呼ぶのですが、初めてこの尻尾を見た外国の人は、サムライが、猫の尻尾を刀で切ったとか、切らないとか、そういう逸話があるんですが、似たようなもんなんですよ。

で、父は娘の外見に異様にこだわりがありまして、生まれたときに、最初に見たのが、指。

それで、キルナー変形ではなかったので、良かったと胸をなでおろしていたにも関わらず、なんとおてんばな娘は、学校の猛者と対決し、その挙句が、なんとも、雑巾ごと踏まれてねじられた。しかも、手術して元に戻らないと聞いた日には、父は、卒倒する有様。

何度も何度も、悔し涙を聞かされて、先日、家族で食事をしてたとき、ふと、息子の手が気になったわたし。

キルナー変形かな、どうなのかな。

 

息子は、キルナー変形がわからず、薬指の長さと人差し指の長さかと思ったらしいのですが、母の焦点はそこにあらず。

 

両方ともキルナー変形ではなかったんですね。良かったわぁ、これは、パパに似たんだね、良かった良かったと呟いているわたしに主人が、

 

 

「キルナー変形って言うの?僕もほら、曲がってるんだよ。まっすぐな遺伝は、君からだと思う。」

 

 

・・・・・・・・・・そこには、にっこり笑って、両手を差し出す主人の満面の笑顔。曲がった小指。

 

あっあっ、わたし、確か、あなたの指先の綺麗さに惚れて結婚したはずなのに、ええ?だって、白くてとても長い指を持って・・・・

 

「だから、白くてすみませんけれど、長いですよ。小指は曲がってるんですけれどね。」と主人。

 

 

美しい指を持ったお姫様を作ろうと思った父の野望は、孫の手に反映されました。

 

 

結構、多いんだな、キルナー変形。いじめの後遺症って形で、見るたびに父がイライラしてたんですが、確かに美しい息子らの手が曲がったら、母ちゃんも流石に考え込んじゃうなぁなんて、話をしてたら、主人が、複雑そうな顔をして、曲がってて困ってたことあったの?と聞くんですね。元々わたしは手が小さいので、右手の曲がりは、実は、リコーダーの一番下を押すのに苦労したんですよ。曲がってからは、凄く難しくなってしまって。シンセサイザーだと、これもまた、困るんですよね。

まぁ、息子は、困るとか困らないの前に、リコーダーが下手なので、そこから考えなくちゃいけないんですが、そんな話がありました。

 

 

 

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小児のフライト時の睡眠薬

2012年08月28日 16時41分32秒 | 「妙」な「見」聞のある朋の不思議話

こんばんは。

駐在で、NYに渡る時、1歳の長男が騒がないかどうかが心配だったのですよ。長いフライトの先で待っているのは、親も心細い生活でしょう。それで、思い切って、小児科医に、フライトに乗る時に、小児が飲ませてもらえるという睡眠薬はないかと尋ねてみたんですよ。家は引き払って、実家にお世話になること、一ヶ月。実家近くの新しくできた医者に行ったんです。

 

そしたら、小児科医が、睡眠薬・・・・睡眠薬ねぇ。アモバンとか?バルビタールとか?っていうんですね。

 

それ、思いっきり、睡眠薬ですって答えたんですよ。

 

こんなの出して、フライト中に息が止まったらどうするんだと。もう少し、フレンドリーな薬はないのかと。そもそも、バルビタールとかは、外科手術のときに麻酔科医が調節して与える麻酔にも使用されるんです。これを、使用して、合う量じゃなかったらどうするんだと。NYで、いきなり、医者に駆け込めというのかと。

うっすら、考えていたのが、医者に読めたのか、君、そういう睡眠薬ってどういうのか調べてきたら出すよって仰るんですね。

 

結局、その小児科医には、それ以上お話しなくて、他で、そもそも、二子玉川でかかっていたお医者さんに相談したんですよ。そしたら、普通の顔をして、あぁ、睡眠薬っていうか、抗ヒスタミン剤ねと。ただ、寝る子と寝ない子がいるんだよと。それと、眠っても、4時間でくっきりはっきり目が覚めて、起きちゃうことってあるんだよ。いいように言われているけれど、欧米の人は、乗せる前に、延々と子供を遊ばせておくから、すぐ寝る。

けれど、不安定なまま行くと、この薬で、途中起きちゃうことがあるし、凄く寝起きが機嫌が悪くなる薬なんだよ。君、最善の努力は尽くすんだよ?あっそれと、アモバンとか、バルビタールなんか持って行ったら、どんな事になるかわからないので、持って行かないんだよ?。

そういう風に医者は言うんですね。

まぁ、行ってみて思いましたが、うんと遊ばせて、うんとろれつが回らないほど、引きずり倒して、そしたら結構寝るんですよ。けれど、長男なんて、そこまでしたけれど、出発した場所がリゾートだったりしたら、楽しすぎて帰りたくないって、英語と日本語で叫び始めて、疲れもあってか、よりいっそう雄たけびでね。薬なんか、キカンのデスわ。更にタクシーで帰宅して、自宅が見えたら、大泣きですよ。

冷や汗かきましたよ。

結構、その後も、息子に、抗ヒスタミン剤与えることあったんですが、実は、これ飲ませると、よく寝てくれて、ホントに4時間後に起きて、更なるハイテンションになったことがあったんです。母親の私は枕を抱えて、眠りに落ちそうなとき、息子たちは、ケロケロケロッピーのように叫んでベッドを跳ねる。あれは、ホント、動悸と息切れで、死ぬかと思いました。それからですか。与えないほうが、長いことに気づきまして、与えなくなったです。

その当時の知り合いで、米国から帰ってこられた方も、やはり、お子さんに愛用していました。

ただ、米国では、大人が眠れないって言うと、やはりファーストチョイスは、アレルギー剤なのです。昔は、睡魔がやってきて、死ぬかと思った程の睡魔が襲ってくる抗ヒスタミン剤がありまして、やはり、眠くなってはいけない人が、普通に使用して、事故を起こしてしまったことがあり、そのタブレットの販売は中止になったんです。ですが、眠れないときには、やはり、アレルギー剤をナースプラクティショナーが仰るのですが、実は、弊害がありましてね。

翌日の寝起きが極めて悪いんです。朝、だるくて起きられないんです。

実は、そういう弊害がありまして、その当時のアレルギー剤を愛用してたわたしは、朝の寝起きの悪さに悩んでいたんですが、そのアレルギー剤を使わないと寝起きがよくなることに気づいてからは飲んでないです。その後、日本で花粉症になったのですが、アレルギー剤で寝起きが悪いものも若干ありましたが、現在は、そういうことが少ないものを飲んでいます。

息子たちもそうですね。

なので、間違って、バルビタールの処方箋とか、アモバンとか、なんか、精神薬系統の薬の処方箋を、フライト用の簡易な睡眠薬のつもりでお願いしたら、出されてしまった場合には、ちゃんと医者と相談してからにしてください。それで大丈夫といわれても、絶対はないです。無論ですが、抗ヒスタミンも、絶対ではないので、よく検討してください。

できれば、海外で留学経験のある医者に尋ねるとよろしいかと思います。わたしも、医者を変えてみたのは、ほのかな疑問があったからです。

ちなみに、駐在するとき、準備したものは、息子用の一か月分の風邪のお薬でした。これも、十分使い方を教わっていただきましたが、使わなかったです(苦笑)。準備しすぎると、事象は起きず、準備しないと、立て続けに不幸が起きるっていい見本のようなものですね。

 

ところで、我が家の次男を連れて、帰国することになったわけですが、その前に、次男がどういう人なのか、短距離のフライトで確認してみました。バシネットも大丈夫でした。それで、帰国に挑んだわけですが、実際は、日系の飛行機のバシネットに、若干3ヶ月なのに、溢れて、足が飛び出ている様子を見て、親たる私たちは、深いため息をつき、普段はよく寝る子だったのですが、いかんせん、ぐずり続け、地道に、つらい思いをし、

日本について、宿泊先まで、かなり長かったです。

 

もう、あんな苦労はしたくないと思いましたが、その後、しばらく、抗ヒスタミンを使いましたが、逆効果を知ってからは、余計に、ホント、死ぬほど遊ばせて、走らせて、色々させてから連れて行くようになっています。成田に車で行って、車を預けるシステムも理解が深まりました。

今年も大晦日には、この夏、行けなかったシンガポールに行く予定なんですが、死ぬほど引きずり倒してから乗せようと思っています。薬は、無論、親の安心面もあるのですが、最善の策を尽くしてから飲ませるべきです。

なので、実は、子供が生まれてから、満足に免税品店をのぞいた記憶がないんで、今回は期待しています(笑)。

 

 

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きぃちゃんの夏

2012年07月18日 10時24分17秒 | 「妙」な「見」聞のある朋の不思議話

こんばんは。

きいちゃんは、私の兄のあだ名である。彼は、バスターキートン(リンク先動画)が好きで、彼のアクションを真似するところから、キートンのミニチュア版ということで、きぃちゃんになった。きぃちゃんは、朋兄であるところから、非常に無茶なアクションを取って見せることがあり、何と、昔は、布団を下に引いておいて、3階から飛び降りてみるという離れ業を使う人でもあったし、足に魚の目ができたとして、いきなり、自分の足をナイフでえぐって、妹を失神させた人間でもある。

きぃちゃんは、プラモデルが大好きで、小学校三年生までの夏は、虫かごを抱えて、目黒にある「角田の森」に出かけていく人だった。

角田の森とは、とても広大な敷地を持っていらっしゃる人がいて、庭に自生の林があった。林というより森。そこに行くと、本当に色々な虫が採れる。きぃちゃんは、目黒に住んでいた時代、そこの敷地に住まう老人に話をして、遊びに行かせて頂いていた。朝早く起きて、虫をチェックし、学校から帰ってきたら、虫かごを抱えて、角田の森へ。明けても暮れても、きぃちゃんの頭の中には、虫しかなかったのだが、きぃちゃんは、小学校四年生になって、青山にある昆虫標本を作るお店の導きもあって、やっと大きな、昆虫標本を作った。そこでやっと、虫を止めて、今度は、プラモデルに熱中するようになった。母方の実家に行っても虫採り、魚釣りキチガイのきぃちゃんを満足させた森は、その後、この老人に、跡取りがいなかったために、現在、国有地化されている。

 

さて、ぷらもに目覚めた、きぃちゃんの向かうは、渋谷模型。

 

もう、きぃちゃんのことだから、多少は、キ印(キチガイという意味でうちでは呼ぶ)なので、このコレクションにはまったら、制覇するまでがきぃちゃんのドリーム満載なわけ。きぃちゃんは、極めるまで、諦めるという事を知らない。そういう全ての意味をこめてのきぃちゃんなわけだから、きぃちゃんは、お小遣いを貰って、殆ど暇な日は、模型屋に、あれこれ、目論見をしに出入りしていたのだ。

そこへ、妹の私に「プラモ作ってみたい」と言い出されて、きぃちゃん、小学校六年生になったころ、2年生の妹を連れて、渋谷模型に行く事となった。時は夏。うだるような暑さの中、実母は倒れて、かなり憔悴気味。私たちに、お金をくれて、しばらく、渋谷模型に行ってこいという。きぃちゃんにしてみたら、もうラッキー。きぃちゃんは、奇しくも、中学受験の勉強を始めたところなので、少々ストレスがあった。(彼は、小学校6年生の春に中学受験勉強を始めた)

そこで、二人で、渋谷模型を訪ねた。お金持って。

ところが、その日、きぃちゃんが「ちわーっす」とお店に入ると、店員さんが、きぃちゃんを一瞥したっきり話しかけても来ない。しきりにきぃちゃんの後ろを見て、あん?って感じで黙っている。きぃちゃんは、咄嗟に思ったという。これは、妹の朋が邪魔なんだ。朋がいなければ、もっと楽しい話が出来るのに。きぃちゃんは、瞬時に考えた。朋にお金をやって、ジュースを飲んできてもらおう。そしたら、楽しく過ごせるし。

「朋。70円やるから、チェリオを飲みに行って来い。」

「え?兄ちゃん。わたしも今日は買いに着たんだよ?」

「いいから。いいから。朋、いいのを選んで置いてやるから、行ってこいよ。俺は、妹がかわいいから、チェリオを飲ませたいんだ。」

「そっか・・・。んじゃ、私、チェリオ飲んでくる。兄ちゃんお金頂戴?」

 

さて、邪魔な妹を排除した後は、きぃちゃんは、待望のマニアタイムを迎えるはずだった。

 

・・・・・・・・・・・しかし、邪魔な妹がいなくなっても、相変わらず、店員さんは、無言だったという。きぃちゃんは、不思議に思って、色々話しかけてみるんだけれど、店員さんは相手にしてくれない。しきりに後ろを見て、あん?という感じで佇んでいるだけだったという。きぃちゃんの頭の中は、邪魔な妹がいるんじゃないかと思って、振り返ってみたけれど、根が単純な妹は、チェリオを飲めと言われたら、確かに、例え、渋谷中歩き回っても、チェリオを探して飲むようなそんな子であるので、帰ってくるような気配はない。

んじゃ、なんで今日は相手にされないんだろう。軍資金もあるのに。

 

きぃちゃんは、そこで、なんで、今日はあんまり教えてくれないのかと聞いてみたという。すると、店員さんは、今日はせっかく、親子連れで着たんだから、親子で買いなさいとそんな、わけの分からない話をする。きぃちゃんの頭は???になった。今日は、妹と二人で買いに来た。いつものように眺めているだけじゃない。買いに着たんだ。大人とは着ていない。

ところが店員さんは、きぃちゃんに、何度も、そこに居る親御さんに聞きなさいという。

「あの・・・・僕、今日は親と着ていないんですが。」

「ホラいるだろう、あそこのコーナーに立っている人、お前の親だろう。」

「違います。僕の親は、今日は寝ているし、第一、あんなどこか、吹っ飛んだ外見じゃありません。」

「さっき一緒に着ただろう。妹さんと三人で。」

「うちの人じゃありません。」

「んじゃ、誰なんだろうな。」

「知りませんよ。」

その吹っ飛んだ外見の人は、きぃちゃんが、緑のコーナーに移れば、緑のコーナーに来て、赤のコーナーに行くと、赤のコーナーに来る。

きぃちゃんは、完全に怖くなってしまった。知り合いではないし、妹を連れて早く帰ったほうがいいんだろう。妹はどうした。あぁ、チェリオなんて言わなきゃ良かった。あいつは、チェリオを飲んでこいと言うと、本気でチェリオを飲めるまで、歩くような子だ。まさか、道玄坂や、宮益坂、あっちこっちフラフラしてないよな、大丈夫だよな。というか、KYな妹よ早く帰れ。

きぃちゃんは、プラモに熱中した振りをして、やり過ごすこととし、妹が戻ってくるのを待ったという。心細くて辛かったと後に語るところを見ると、余程堪えたのだと思う。しかし、きぃちゃんがきぃちゃんなところは、店を出て行って、妹の行方を捜すのではなく、プラモは見つつ、怖い思いをしてまででも、妹を待つことだった。

程なくして、妹が戻ってきた。

「兄ちゃん、チェリオ飲んできた。美味しかった。あれは美味しいね。」

店内に入ってきた妹に、さっと、兄であるきぃちゃんが近寄って言った。

「あのひとがぁ、近寄ってきてぇ、困るんだよぉ。」(テンパっている)

 

・・・・・・・・・・・爆裂天然妹は、そこをさっと見て、きぃちゃんに言ったという。

 

「おにいちゃん。傷痍軍人でも、幽霊は幽霊だよ。そんなんに、驚かされてどうすんの。」

 

 

・・・・・・・・・・きぃちゃんの見た吹っ飛んだ外見は、妹の朋からしてみると、明らかにわかりやすい傷痍軍人であった。しかも、生きている率が極めて低そうな外見なので、妹は即座に、幽霊認定として、構わなくなってしまった。きぃちゃんが、え?幽霊?って思ったときには、既にお店から、その姿あったものがいなくなっていた。

 

きぃちゃんは、それから無言になり、わたしのためにプラモを選んでくれたんだよねと言う妹に分けのわからない事を言いはじめた。そして、プラモ屋さんから妹の手をつかんでダッシュで出て、家に早く戻った。母親は怒ったが、きぃちゃんは、その晩、高熱を出してわけわからない事をわめきながら寝込んだ。わたしには、きぃちゃんがプラモ屋に行って、熱を出して寝込んだという記憶しかないのだが、後々、きぃちゃんに聞いてみると、そういう話だったらしい。

 

きぃちゃんは、それっきり、わたしをプラモ屋に連れて行くことはなくなり、夏を境目にして、きぃちゃんは、受験で忙しくなり、気がつくと、彼の興味は、よそに移ってしまったので、プラモへの情熱は、疎かになってしまった。でも、きぃちゃんは、未だに、朋とどこかへ行くとろくなことがないとは言う。

 

きぃちゃんの夏。日本の夏。奇しくも、実は、あの日は、終戦記念日だった。

 

 

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ふくろうのネクタイは、不苦労だ。

2012年07月17日 17時57分52秒 | 「妙」な「見」聞のある朋の不思議話
動物シリーズ フクロウモチーフ ネクタイ(日本製)
うちにあるのは、金色のネクタイで、もう少しモチーフが大きいです。玉川高島屋で買い求めました。その当時、真剣な顔つきのおばあちゃんの口調に、本気で、これは、「隠れたる 本当の金儲けに繋がる話」かと思っちゃいましたけれど(笑)、縁起物ですわね。わたしは、紺色のほうが好きなんですけれど、これも、一種の風水のような話ですね。
メーカー情報なし

こんばんは。

今日は暑かったですねぇ。暑さが堪えましたよ。

さて、うちの主人は、実は15年ほど前に、ネクタイの柄にこだわっておりましてね。動物モチーフが好きだったんですね。だから、色々なネクタイを彼に贈ったんですよ。トトロとか、ピングーとか、今、見てみると、ドラえもんもありますね。こんなくだけたネクタイをしていっても怒られない客先まわりだったのか、客は自分だったのか。他に、彼が得意としたネクタイは、しろくまの柄だったり、パンダだったり。オオカミだったり、他にもありましたよ。

それで、クリスマスのプレゼントに悩んでいた私に、ご亭主がそんなに動物モチーフが好きなら、これがいいよと、あるお婆さんが言うんですよ。

 

聞けば、ふくろうモチーフなんですね。これで、ゴールドがいいよ。そう、真顔で言うんですよ。

 

なんでかって調べてみたら、ふくろうは、不苦労に通じて、苦労しない縁起物なんですね。しかも、ネクタイが金じゃ、金に苦労しない縁起物ナンバーワンですよね。あの当時、別にスピでもニューエイジでもなかったんですが、とかく動物モチーフにこだわる主人の度肝を抜きたくて、贈ったつもりなんですが。彼は驚きましたね。ktkr(キタコレ)、ふくろうかと、バーバリーのパンダ柄のネクタイより、予想斜め上だなと(笑)。

 

ところで、彼氏はその後、社内でDUDAし、新しい客先にはネクタイを選ぶ事となったらしいのですが、相変わらず、時々、ふくろうだけは着けているようです。ふくろうは、気に入っているんだ?と先日聞いてみたら、エライ人にお目にかかるのに、ピングーは流石にまずいだろうという亭主になりまして。

 

少し、どこかでお作法を覚えてきたようでよかったです(笑)。

 

ふくろう、何か困っていることがあったら、ネクタイ柄にもちょっと考えをはせてください。お年寄にもウケのいいネクタイです。だって、そもそも、どこかのお婆さんが言う話でしょう?老人受けはいいんですよ。TPOが厳しい業界なら、なお更ではありますね。鳩山さんが、金のストライプのネクタイなら、こっちは、

 

金のふくろうのネクタイで勝負だ!( ´ー`)ドヤ顔

 

って感じですかね(笑)。

ちなみに、金のふくろうを、お婆さん宅で見かけたことがあります。純金で作ってありましたっけね。金に困らないお守りだと仰っていらっしゃったのですが、実は、純金って凄く重いはずなんですよ。それが、簡単に子供の私が移動できたってことは、そのふくろうは、ダミーのふくろうだったんだと思うんですが、それでも、中抜きして作ったとしても、今も価値のあるふくろうでしたわね。

あぁ、その教えてくれたお婆さんですか。裕福な、名のあるお宅のいいお婆ちゃまでしたよ。イタリアのマンマを髣髴させるゴットマザーっぷりでしたけれどね。

 

 

 

 朋

 

ピングーとか、トトロとか、ドラえもんは、とっておいて、息子が大学生になって合コンに行き始めたら着けさせるといいんじゃないですかね。それでも、ちゃんとした、どこかのブランドのネクタイなんですよ?(笑)。パンダ、しろくまでさえもが、バーバリーなんですから、後は推して知るべし(笑)。

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circumcision ~ちょっと待て、それは割礼じゃないのか~

2012年05月27日 21時02分57秒 | 「妙」な「見」聞のある朋の不思議話

こんばんは。

本日最後も魔羅ネタで。

 

うち、次男を産んだとき、ほんと、暇なときにペロッと読んであった本が助かりましたよ。なんせ、日本語が話せる医師についていたつもりが、土壇場で、日本語が話せない、しかも、日本人と関わったことがはじめての医者に当たるとは思いませんでしたからね。

陣痛が始まるまでに、ちょっと、ざっと、産む時必要な英語を覚えておいたんですよ。

おかげで、無痛分娩もOKだったし、(その時は、36ページに書いてある、あれを読んでぇって主人に叫びました。)手続きの書類も大体分かった。問題は、オンスとグラムの重さ換算と、インチとセンチの換算と、出血量なんか聞いたりとかして。

粛々と進める項目の中に、コードブラッド(臍帯血ですね)のこととか、まぁ色々ありまして、勘を働かせていくわけですよ。

その中に、circumcision。こういう言葉があって、わっかを何かするらしい。ってことまでは見当がついた。母である私は、割礼項目ばかり探していて、割礼が中々ない。そんな時に残ったこの項目。希望するか否か。主人が、何だか分からないから、希望しようというのですが、私は、割礼項目が上がっていないので、初めて言葉として、

「こっ・・・これは、割礼じゃないかな。」

って言ったんです。circumcision、丸い感じにしてくれる・・・。

 

 

・・・・・・・皮むきしかありえねぇ。

 

という訳で、次男君は、子供の頃から剥けている男とならずに済んだのは、母親の魔羅雑学のおかげでした。

 

 

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刺青 ~カタギを捨てる意志~

2012年05月27日 17時36分43秒 | 「妙」な「見」聞のある朋の不思議話

こんにちは。

個人的に興味があって、すぐアンダーグラウンドの世界に引き込まれるので、マイご主人から怒られることよくあります。刺青に関して、皆さんの考えと私の考えの相違についてちょっと考えて見ました。恐らく皆さんの考えは、Tatooか、刺青かって感じだと思いますが、良く世間で、仰天するようなTatooを彫っている人は、「自分に自信がなかったので、自分改革のつもりで彫った」と申します。

これは、Tatooや、ピアス、身体改造の人によく見られる兆候です。前に、「蛇にピアス」という本が出ていましたが、スプリットタンというのは、舌が二つに分かれているのですが、こういう人が、接客業には向かないってのは、流石にご理解いただけると思います。

刺青も、和彫りに関して言いますと、和彫りを入れるってことは、カタギを捨てるという意思表明で行うことが多いんですね。無論ですが、大衆に受け入れられるような状態ではなくなります。不自由な生活の中の自由を享受して生きていく生き方になるので、カタギを捨てる、つまり、まともな職につけなくなっても、社会の生活の中で、日陰の人生を歩むことを自分に決意して彫るんですよ。

あなたに子供ができたとき、アウトローをたまに見て自分への教師とするのは分かりますよ、ですが、アウトローに子供を完全に任せたいと思うひとは少ないんじゃないでしょうかね。それこそ、ひっつめ髪のかっちかっちが良く教師になって、人間味の面白さや、社会というモノを知らない子供に成長しますけれどね。だからって、初回がいきなり、刺青を見せて子供を恐喝するような教師である必要ないし、教師であれば、誰もが、人生のお手本を期待しても仕方がないと思います。

カタギを捨てるってことで、和彫りを入れてくれる彫師さんの知り合いは、無論ですが、アカラサマにできないお客さんばかり。

アンダーグラウンドもさることながら、SMの女王がやってくることも、Mの女性がやってくる、男がやってくることも、それはそれなりに、パンチが効いているんですよ。それを、いきなり子供に見せたら、危険過ぎないでしょうかね。

私がこういう世界を知ったのは、実は高校生のときなんです。それまで、谷口潤一郎あたりで、刺青については理解していましたけれどね。それ以上踏み込まれたのは、私の友人のお母さんがそういう嗜好で、性癖で、自分の娘と同じ年齢の子でも平気で、手を出すそういう環境にあったんですね。それで、そういう事に興味があった私は、迷わずついていきました。

ですけれど、見てみたかっただけで、実際にはやっていません。彫師の方に色々話を聞いて、深くどん引いてしまったのも仕方ありません。友人に、あなたは、刺青があるの?それとも、スカトロとか、レズが得意なの?と率直に聞いてみたんですが、友人は、軽く微笑んで、それはお母さんと伯父さんの趣味って言い切ったんですね。んま、ここんち、後に自宅に火を放つんですわ。まこと、狂気な世界でしたよ。

うちの母も騙されて、娘が襲われて、そこの家中のふすまやガラスを叩き割って帰ってきたときは、驚いていましてね。まぁ、薄々噂にはなっていたらしいんですよ。

けれど、刺青って、こういうアンダーグラウンドな世界に繋がり易いんですね。しているひとが少なくて、見せる所が少なければ、必然とお付き合いも偏ってきます。それを、子供の教育という場や、カタギの人と接する場に、配置しておくこと自体が、違うんですよ。かたぎを捨てたんですよ。カタギを捨てたら、シャツがめくれて見られたら、最悪は、会社を辞めること自体、発想がいきわたらないんでしょうか。

ついでに言えば、昔の日本人は、割と入れ墨が多かったらしいです。鯨面(実際字は違うんですが)という彫りを起こしていたこともありますし、前科モノに刺青を行っていたことがありました。強いて言えば、刺青を行って、どんどん字が出来上がると、犬という字になって、それを超えた犯罪を犯した場合には、処刑するということも過去にありました。前科があるたびに、腕に、円を書いて、一本、二本とした形跡もありますね。

それ以上に、カタギではないひとが刺青を彫るには理由がありまして、こうした人たちが、抗争や戦争にいくじゃないですか。最悪、識別不可能な体になって帰ってくるんですよ。それを見分けるのに、刺青を必要としていたことはありました。tatooのような甘い考えじゃなくて、抗争に行って、識別不可能な体になるって想像できるでしょう。コンクリに生埋めにされるとか、耳だけ取っていくとか(耳に特有の印があった場合)、そりゃ、普通に考えが及ばないほど、犯罪がひめたる世界が近くなるのは、刺青なんですよ。

それを、してて当たり前とか、自由とか言うのであれば、やはり、ちょっと尋常じゃないですね。つまり、日常の生活で、識別不可能な体になって帰ってくるとか、ドラム缶の中で焼いていたからだの一部の刺青で判別がついたとか、そういう事がざらに、ある人とお付き合いするってことですよね?。ただ、戦後直後の日本にはあったんですよ。今はどうだか知りませんよ?今のことは、今の人たちに聞かなくちゃ。私は昭和の話をしているだけで、現在のブラック企業のことなんて知りませんよ?だけれど、そういうイメージが、根深くついて、見た人皆を不愉快にさせるのであれば、やはり、刺青を入れる時の覚悟はして欲しいと思うんですよね。

後先に戻りようのない覚悟ってモノが、甘すぎるんじゃないですか。

Tatooでも、時々、好きな男の字を彫って、消しに来る人って多いんですがね。何が何でも一緒にいるって決意は、緑の神と呼ばれる離婚届を何枚でも書ききっちゃうくらいの修羅場をドンドン乗り越えなくてはならないんです。婚姻届だけでも、既に、戻れないと思っている人も多いんですが、今の人は、決意を覆すのが早いです。決意というのは、覆してはならないんです。

一生日陰者でいいと決めた覚悟は、自己陶酔でしたってことじゃ困るんです。その尻拭いは、ご自身で行うこと。Tatooにせよ、和彫りにせよ、接客業にて相手に不穏な思いをさせたら終わりです。あればあったで、そのせいにどんどんされるのですが、それも、仕方ないことだと思って、覚悟を決めてください。

 

昭和の時代、エンコつめて、元に戻してくださいーって、外科医に駆け込むひと沢山見ました。

 

覚悟ってモノの表し方は、何も刺青である必要はないんじゃないでしょうか。そして、覚悟も考えないで、人に尻をぬぐってもらおうと思うほうが間違いなのではないでしょうか。覚悟は、決めたからには遂行してください。これは、一種の自傷行為なんですから。

 

 

 

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学校選択制から考える人気校のあり方

2012年05月18日 20時40分00秒 | 「妙」な「見」聞のある朋の不思議話

こんばんは。

学校選択制について、色々とニュースが出ております。

ちなみに、私が子供の頃のお受験や、中学受験は、親の見栄から来たことは大きいのですが、現時点では、本気で公立校のカリキュラムについて不安視されています。そんなところで、ちょっと私の話を聞いていただいていいですか。

私は中学のとき、一回転校しましてね。転校した後の学校は、実は、人気ではなくて凄く荒れた学校だったんですよ。ほんと、生徒が傘で天井をど突きまして、天井に穴がぼこぼこ空いていた学校でもありまして、非常にヤンキーのカラーや、在日さんのカラーの強い学校でした。こんな学校に、越境して出て行く人こそあれ、越境して入ってくる人がいるとは思えなかったのですが、実は、越境して入ってきている人がいました。

その当時は、その方が言うには、自分のところは、ここよりもっとひどいってことだったんですが、実際には、うちよりいい学校だったんですよ。なんで越境してきたかって言いますとね。中学の時の内申点をよくしたいと思うんだとしたらね。人気校は、偏差値が高い人ばかりがいて、内申がよくならないでしょう。だから、あえて、悪い学校に入って、そこでトップになれば、内申は高くなるわけですよ。

高校受験したいときは、あえてランク下の学校に入って、内申が本当によくなれば、もっと目指す学校に入りやすいって、そういう考えだったんですね。

 

選択制にして、人気校には意識が集まると言いますが、私立を中学受験するときには、実は、既に小学校6年生で、高校受験並みの能力を身につけることが必要なんですよ。だから、そこでうんと勉強させておいて、あえて、普通の公立に入って、そこで内申の点をいい点で貰って、ついでに、三年間、今まであった知識で大丈夫なので、更に研鑽を積むなり、大学受験への視野を広げるなり。

そして、高校受験で覇者になれるってわけですよ。

 

だから、時々、中学受験を受けて、受からなくなって、あれこれ考える人が多いのですが、私が思うには、そこで高校を視野に入れて、いいカリキュラムの学校ではない私学に無理やり入れるより、これは、一旦、公立で自制心を養って、子供の情操教育で悪環境に耐える子供を作るのもひとつですわ。

どう、親のあなたが思うかは、別ですけれど。選択制を逆手に取った人がいたって話ですわ。

 

ちなみに、その学校では、トップを私ともうひとりの女の子が争っていまして、他のお子さんで内申の殆どは取られてしまい、そこのお子さんは、普通の学校にお進みになりました。私の負けず嫌いは、有名な話なので、凄い煽られ感が学校全体にあったという話は、卒業時に聞きました。

 

内申が、「相対」だった頃のお話です。敗者復活戦は、中学受験、高校受験の場合、色々あったってことですね。

 

 

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ラブホテル文化がフランスへ

2012年05月10日 20時10分57秒 | 「妙」な「見」聞のある朋の不思議話

こんばんは。

妙な見聞に載せるのはまだ早いかもしれない。だけれど、一つ知っておきたい。

日本人であれば、思春期一度はお世話になるというラブホテル。子供の頃の朋ちゃんは、目黒エンペラーというお城のような建造物を見て、母親にこう聞いたという。「お母さん、なんで東京にお泊りするの?あんな素敵なところなら、私も行って見たいな。」しかし、母は言った。「あんなところは、遠くから出てきた人が泊まる所さね。お前は東京住まいなんだから・・・云々かんぬん」

今思えば、お母さんは嘘つきだった(笑)。

そんな朋ちゃんも大きくなり人の意図することを知るようになり、非常に手厚くこの文化に慣れ親しんだ。特に、主人とは目黒エンペラーが潰れるという噂を聞いた日に、こんな話をしたことを覚えている。

「部屋にね、合体用のゴンドラがあって、壁には四十八手が書いてあるんだって。」

「凄いな、それ。ホントにあったら、ビックりだ。」

だが、うら寂れたホテルの見物に行く程余裕がない生活ゆえ、潰れていくのをひっそりと見送った。大人になったら絶対行くんだって思ってたもんな。

ところが、そんなラブホテル文化が、フランスに輸出されたようである。

部屋のシリーズには、ジャポンから、色々な国のエキサイティングな仕様となって、曲解したエロティシズムを知ることとなりそうだ。しかし、私のイメージした目黒エンペラーとこの写真の部屋はよくあっている。私はこういうモノが書いてある室内が目黒エンペラーだと思っていたのだ。目黒エンペラーの有名さは、直子の代筆というソフトでも味わえた。

直子の代筆とは、TPOを単語で選んで、文章を作るソフトである。慶弔に非常に役に立つので、亡き父が愛用していたのだが、実はそこに、どこであいますか?という項目があって、目黒エンペラーという選択肢があった。密会である(笑)。

最近は、ブティックホテルなど呼ばれているが、あまりに低価格な為に、ゴールデンウィークになると、小さな子供連れの人が泊まる事もあると言う。

 

・・・・・・・・うーん。それは流石にどうかな。結構、変な施設の事って記憶に残るよ。

 

だって、カラオケがついて、風呂が変で、やけに妙な香りのする部屋じゃないの。

 

いや、使っている人は、これからも存分に使っていただきたいよ。日本の誇る伝統だ。勿論、堪能していただきたい(笑)。十分に味わって欲しいね。無論、そこで展開するランブルフィッシュはおいといて、なんせ、アミューズメントホテルと言っていいような文化だからね。

展望風呂つき、カラオケつき、ゲーム、ドンドンゴージャスな内容になる(パチンコがあった時は、何しにここに来ているのかと呆然とした)のが日本だが、フランスでは、4畳しかない部屋での事らしいからね。テルマエもない、シャワーのみらしい。

フランス文化と日本文化のホットな交流に乾杯。

 

 

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ホットドッグの名の由来 ~しまった、このイメージでいまひとつなのか~

2012年03月02日 13時08分04秒 | 「妙」な「見」聞のある朋の不思議話

こんにちは。

東海岸で、よく野球を見に行くことがありました。

野球場に行くのに、みんななんでグローブしているんだろうと思ったんですが、実は、打者の打った球が頻繁に外野席に入るんですね。取ったらもらえるんだそうです。私も外野席で見ていたのですが、いやぁ、息子を守る為に大変でしたよ。ちょくちょく、打った球が入ってくる。まぁ、それを込みでの娯楽だったんでしょうね。レッドソックスを見たり、ヤンキースを見たり、数回以上は足を運びました。

ネイサンズというお店が、野球場近辺によくありましてね。

ここが、食べるのにさして時間のかからない、ホットドッグを売りましてね。そして、有名になったんですわ。

ところで、ホットドッグ。由来としては、フランクフルトドッグと呼ばれていたものが、ある漫画家さんの手によって、長いバンズに挟まれたダックスフントを描いた絵にかかれ、題名が、HOT DOGだったからとも言われます。

 

ですが、一番、ハンバーガーとともに、有名なファーストフードに、何故いまいちなりきれなかったかと言いますと、ソーセージが、性的に興奮していきりたった犬の魔羅に似ていたからで、ホットとは、自分が性的に興奮している時に使う言葉であり、興奮した犬、さかりのついた犬という名前のイメージが消せなかったからなんですね。

そんなことをいいますと、プリッツェルで有名な、アンティアンズというお店が私の住む場所の近所にあるのですが、私は好きなんですよ。だけれども、大概の男の子をお持ちのお母さん方と、

仮性◎◎

 

として呼んでいたりします。

 

元々は、おいしくて手軽に食べることが出来て、直ぐ食べ終わる品として、とてもいいメニューなのですが、今ひとつ、メジャーになりきれないのは、こんな理由があったからでした。

 

ところで、性的に興奮した時は、私、ホット(HOT)なのよで、意味が分かったんですが、真面目に気温が暑い時には、これは、何と言うのでしょうか。ウォーム(warm)ですかね。何も知らなかった頃、外人部隊の中で、サーバールームがTOO MUCH HOTだよという文章を話していたんですが、これは、サーバールームが、ワーォ、オタクの魅力をそそってそそって仕方ないねという意味に囚われても仕方なかったのかもしれません。

 

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粗チン計測機 ~月刊少年ジャンプについていた付録~

2012年02月27日 17時06分03秒 | 「妙」な「見」聞のある朋の不思議話

こんにちは。

学区内を徘徊する不審者の訪れで、春を感じる朋です。

息子の学校近辺では、コートに隠した粗チンをぶら下げて見せて歩く人や、女子の下着を盗みたいと思う人が出てきたようで、学校も覗き対策や、盗難対策に熱を入れております。

あの・・・・こういうと、私、はしたなく思えるのですが、実は、立った時の大きさってモノに興味があるんです。

あくまで、生物学的な立場からですよ(苦笑)。テストステロンの行く先がどうなるか知りたいのです。

テストステロンは、癌になりやすい体質なりにくい性質にても紹介しました。

これって、人種によっても硬さも形も違うんですよね。フィンランドに行ったとき、自分は女性用のサウナだと思って、奥へ行こうと思ったら、奥へ行くと、粗チンのおじさんたちが、サウナの中でうだっていたんですよ。いや驚きましたよ。男女共用のミストサウナとは。

これが、フリーセックスの国かと思いまして、さすがだと思ったんですが、私がそこで見たものは、しなびた粗チンばかりで、案外ミケランジェロって、正直に彫刻したんだなって感銘が深かったんですよ。日本だと、やっぱり、誇張気味な作品が多いですからね。確かに、海外などにも、一物を入れる袋に、しこたま、綿などを詰め込んで、あんことして膨らませたって言う記述が残っているんですがね。

まぁ、ホルモンの出方が、そのサイズを変えると言うのですが、実際には、ホルモンの強さにおける見た目と生存競争とは、あんまり縁がないようなんですが。見た目だけで何とかできるのは、動物まで。その動物でも、見た目だけではなく、徹底的に、雄の精神力を試しますからね。最後の決め手が、テストステロンにおける見た目ではなさそうなんですね。

巨乳の性格の悪い女と、貧乳の性格のいい女だったら、絶対私なら、貧乳を選びます。自身が貧乳だし(笑)。

 

さて、男の日本人ですと、起きたサイズが標準が13cmだったという発表が20年前以上にありましてね。実は、その当時の月刊ジャンプに、切って貼る筒が、おまけでついていたんです。大体、起きた時に、12センチから13センチ、ところによっては、15センチになるとありまして、当時、大学構内にそれをもって行って、

「ねぇねぇ、これ、作ってかぶせてさ、余る人ってどんだけいるのかな」って言ったんです。

 

 

瞬時に、男ばかりの大学構内に寒い風が吹きました。

 

 

 

そういう企画って、意外と男心をくすぐるので販売がアップした・・・・という話は聞いたことがありません。その当時は、アンアンが、セックス特集を組んで、毎度毎度、大当たりだったんですが、粗チン計測器は、実は、あまり有難くない企画だった・・・・・ってことで、月刊少年ジャンプは、その後、2007年に廃刊を迎えるのでした。

 

 

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地名に隠された「東京津波」

2012年02月20日 11時12分05秒 | 「妙」な「見」聞のある朋の不思議話
地名に隠された「東京津波」 (講談社プラスアルファ新書)
クリエーター情報なし
講談社

こんにちは。

地名に隠された「東京津波」って本を読んでみました。谷川彰英さんの本です。

谷川さん自体が、フィールドワーカーなんですね。元々、柳田國男さんの研究で博士号を取っていらっしゃる人なので、民俗学かと思いきや、地名を詳しく調べ上げた人なんですよ。今回は、東京の地名にちなんで、東京津波がきたらどうなるかなんて、予想でものを書いていらっしゃいますが、東京の地名の由来について、結構詳しく書いてあったりします。

他にも、奈良の地名の由来を調べた本などがありますが、東京の地名の由来は、確かに、本を読んでいると、3Dになって、私の目の前に東京が広がってきます。どこが土地の高さが高いのか、どこら辺が低いのか。何故こういう名前があるのか、どうしてこういう名前なのか、そういう疑問に答えてくれる本でしたね。

東京の高低差と申しますと、私の中に一番に飛び込んでくるのが、渋谷から銀座線に乗って青山に向かうところですかね。

私、幼い頃は、渋谷に近い学芸大学という駅に住んでおりました。そこから、浅草に行ったり、松戸に行ったりするのに、銀座線をよく使いました。一番記憶にあるのが、青山までは、地下を通っていた銀座線が、突如、渋谷の空中に浮かんで出てくるところです。私のイメージの中で、すっかり、地下鉄は、最後はそうやって上に上がってくるのだと長いこと思い込んでいましたが、

青山の地下の高さと、渋谷の地上三階の高さが、同じだったのですね。

それがかなりびっくりしました。

子供心に、道玄坂を登る事も、宮益坂を登る事も、結構きつい事だったんですが、確かに、それなりの高低差があったんですね。

東急東横線だって、地上二階ですが、銀座線はそれより高くて地上三階。井の頭線は、地上二階。玉川線(今の田園都市線)は、地下に凄くもぐるんですね。何で、もっと同じ高さに、合理的に、渋谷は、始発駅を集められないんだろうと思っていましたが、それはそれなりに、理由があったんです。

 

他に、溜池とか、上野、猿若町など、どんどん、津波なんて関係なしに、赤線方向で、この先生が地名の由来を話してくれる。その話が面白かったですよ。あぁ、なるほど。そこら辺のエセ民俗学者に聞く前に、面白いなぁと。そういう解釈もあるのかと。そう言えば、内藤新宿って言う言葉があったけれど、何の意味だったんだっけなってことも、書いてありました。

 

今度、奈良の地名の由来も読んでみたいと思っております。

 

 

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おはしカフェ・ガスト ~サイゼリヤのようなファミレス~

2012年02月19日 17時42分07秒 | 「妙」な「見」聞のある朋の不思議話

こんばんは。

このところ、外食と言えば、お好み焼きばかり。息子が焼きたがるので、焼肉屋じゃなくて、お好み焼き屋で焼肉食べてたりしてね。ちょっと、粉モノに飽きがきたので、おはしカフェ ガストに、ちょっと行ってみています。

ええ?セレブなレストランとか、セレブなランチとか食べているんじゃないのかって?それが、思ったよりコストダウンだって?(笑)

 

昔はね、セレブなレストランとかよく行っていました。ただね、セレブなレストランは問題があって、カロリーが高いの。カロリーが控えめなセレブレストランを見つけて行った事もあるんですけれど、息子達は、ナイフが沢山並んでいるだけで、もう、頭がパンク状態。ただ、フォークとナイフで食べればいいだけなのに、どうしても、家では、お箸で食べているから、緊張するらしいんですね。

 

まぁ、仕方ない事です。そもそも、小学校一年生と三年生。

 

女の子だったら、セレブ色を味わいに行く事の方が楽しみでしょうけれど、彼らは、質より量の世界。焼肉にしても、いいタレより、柔らかくておいしい肉だったらなんだっていいって感じですからね。流石に、難しいものがありますな。ってなわけで、彼らと、現在、おはしカフェに行って、お箸で食べれる洋食を食べていたりします。

 

大体のお値段としては、パスタで、600円くらい。それに、400円くらいで、サラダバーをつけると、サラダバー食べ放題になるんですね。他のお店だと、1200円で食べれる量が、1000円をちょっと割り込むんですよ。リーズナブルですよね。

ただ、味付けが濃いんです。

結構塩味が聞いていて、そのおかげで、サラダバーの食が進む。ある家族が、「野菜でおなか一杯になるってこと、いいよね」って話していらっしゃいました。そうですね。昨今、吉野家とか、ハンバーガーショップで、肉と脂でおなかを満たすってこともありますが、野菜を多く摂る生活は心がけたいものです。

こういうところは、特定農家と一括で契約していて、それを集中料理場所に運び、誰がどうやっても、同じ味が再現できるところまでそこで調理して、冷凍をしてから、店舗に配るんですよ。店舗は、それを、温めるか、焼くか、そんな程度でOKな状態になるんですね。そうなると、無駄なものが少なくなりますしね。人件費を削減できますしね、その分、お客さんは、安いだけに入ってくれますしね。

昼時は、いつも、大賑わいですわ。

 

特定農家さんのお顔が見えるファミレスって言うのは、実は今のような状態のとき、ありがたかったりしますね。そして、気軽に何度も足が運べる。

 

それにしても、我が家として好きなのは、野菜のドレッシング。コーンドレッシングというのですが、コーンポタージュの濃厚な味が、どういう訳か、キャベツの千切りによくあいます。

 

それにしても、箸って、日本人の食生活では、欠かせないですからね。よく考えたもんです。

 

 

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節分の恵方巻き

2012年02月03日 13時17分53秒 | 「妙」な「見」聞のある朋の不思議話

こんにちは。

本日は、節分です。

恵方巻きについて、導きの板によって調べると、実は、大阪のおすし屋さんが、芸者さんたちに流行らせた縁起物であるという説を見つけました。そもそも、関西の風習だったのですが、これは、節分で家族団らんを囲んでいるだんなさん方が、早く自分の所に戻ってくるようにと、吉方向を向いて、だんなさんの魔羅を食べるという形で流行りだしたんだそうです。

なんだ、魔羅なら、やっぱ、恵方まきだけではダメだ。ふぐりのお稲荷さんを二つ食べないと(苦笑)。

 

ちなみに、私は、京樽の稲荷寿司が大好物です。安っぽい甘い味が、食欲をそそります。あぁ、そんな話ではないか(笑)。

 

どうせ、魔羅にするのなら、お寿司の巻物の中身も、精がつくものではなく、そういう・・・・エロティックさが欲しいと思う。昨今、恵方巻を見ていると、うなぎがよく入っている。精が良くつく。というか、関東に持ってきたのは、セブンイレブンだったような気がします。経済効果もさることながら、日本全国全国民が、吉方向を向いて、魔羅を食べる日になるわけですね。凄い日ですね。ウキウキしちゃう。(笑)。

 

んじゃ、願い事は何にしたらいいでしょうか。

 

私はホント、この手のネタが大好きです。本日、魔羅なんだよと、かぶりついて見せたら、うちのだんなさんは、帰ってこなくなるかもしれません(涙)ので、鬼は外で行っておきます。多少の鬼もいいもんですよ。でも、福は内。鬼が名前につく人は、鬼も内に入れないと、ご自身が出てしまう羽目になるので、鬼も内なんだそうです。

 

 

 

ちなみに、豆の代わりに恵方巻を流行らせたセブンイレブンの思惑は、恵方巻きの方が単価が高く、家族分買ってもらえるからって戦略だと聞いています。

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HEREHEIS ~HersheY'sのジョーク作品~

2011年12月20日 12時14分45秒 | 「妙」な「見」聞のある朋の不思議話

こんにちは。

実は、うちの次男が生まれたとき、お誕生祝いを皆さんから頂いたんです。特に、いつもお世話になる方がおりまして、私の主人が初めて海外出張をするといった時、恐る恐る、NYの事務所に電話をしたんです。サンフランシスコの受付の方は、アメリカ人だったのですが、その当時は、彼女に電話が繋がりましてね。主人が、電話してからこういうんです。

「日本人でよかったー。」って。

でも、その後、色々と本当に頭が上がらないほど、彼女にはお世話になります。私たちが、NY駐在の時、私が妊娠して悪阻が本当にひどくなった時、実は彼女が飛んで来てくださって、本当に一晩お世話になりました。もう、あまりにひどいので、産婦人科医も、私に帰国を勧めるほどでした。だけれど、2歳の長男の手を取って、二人で帰国するには、NYからは、日本は遠かったです。兄が、勤務する病院のベッドを空けて待っててくれたんですが、帰国して入院したら、恐らく、長男は、実母の手元に。

そうなると、これから先の生活がどうにもならないと思いましてね。

たった一人で決心する為に、そのお世話になった方が、私に時間をくれたんですよ。私、ぐっすりと寝て、何とか持ち直しました。その後、体調を崩す事はありませんでしたし、メキシコに行ったり、ペンシルバニアに行ったり、フロリダに行ったり、私、迷いが吹っ切れて、実母が来るまで、アメリカ生活の中で、できることは何でもしました。

その人たちに、次男が生まれたとき、お世話になった事に感謝をして、愛情こもったジョークの一発を、ぶつけたいと思いまして。こんな商品が、実は、NYで出産した病院にあったんです。

HersheY’sというのは、有名なチョコレート屋さんですが、これにぶつけて、HereHeis  Here He Is ここに彼がいるよって、「生まれました」グッズのチョコレートだったんですよ。私、即座に、これを見つけて、そのまま、オーダーしまして、

品名 XXXXX (次男の名前)

グラム数 3050g (次男の出生体重)

どこ産 (NY郊外)

時刻 (出生時刻)

含有物 100%Baby Boy

 

なんてことを決めてね。これ、作ったんですよ。

今までは、ずっと冷蔵庫に入れておいたんですけれど、もう、流石に食べ物ですし、チョコレートですし、外の紙だけとっておいて、そして中身は食べてみました。ダークチョコレートでした。

 

中々よかったアイディアでしたよ。

 

ちなみに女の子は、ピンクの紙に、HERESHEISになるようです。チョコレートの話で、思い出しました。

 

 

自分の家の写真を使おうと思ったんですが、息子の実名が入っているので、画像をネットで探してきて貼りました。

 

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