新・南大東島・沖縄の旅情・離島での生活・絶海の孤島では 2023年

2023年、11年振りに南大東島を再訪しました。その間、島の社会・生活がどのように変わっていったかを観察しました。

スナック「ジャンジャン」

2023-05-27 12:30:42 | 旅行

  歓楽街の入口近くに位置し、割烹喜作の隣りで営業しているのがスナック「ジャンジャン」である。席数が35の何の変哲もないスナックであるが、これまで続いているのは固定客が付いているのであろう。以前にお会いした中国大連出身のママさんが引き続き働いていた。11年前に撮影した当人の写真を見せたところ、大変驚いていた。突然現れた見知らぬ客から昔の写真を見せられたので、それは驚くことでしょう。ママさんは写真を他の顧客に見せて、「昔の私よ」と自慢していた。前回の旅行の時のママさんの顔は、フックラとしていて初々しさが残っていた。今回の撮影では頬が少し痩せていて、歳月の流れを感じさせられた。

 


スナック「アプローズ」

2023-05-25 13:18:35 | 旅行

  前回の旅行の時、営業していたのだが気が付かずに入店することが無かった店である。その理由は、一段目の写真にあるように、入口が横にあって見つけ難いことであった。通りに面した左半分は弁当店の「百ちゃん」の店舗となっていた。つまり、家屋の道路に面した部分は二つの飲食店が営業していて、後側が住居になっているようだ。この店の特徴は、店内が極端に細長いことである。カウンターの幅で左方向に空間が伸びていて、袋小路のようなボックス席が設えてあった。この日、10名位の中学校の同級生らしきグループで盛り上がっていた。狭くて行き詰まりのような部屋であっても、人数がピッタリ合えば、酔客同士が適度に密着でき、親睦会などの利用には便利かもしれない。

 


島の飲食店の悩みと問題点

2023-05-23 18:22:02 | 旅行

 島には十数店の飲食店が営業していて、それぞれ贔屓客がいてそれなりに繁盛しているようだ。店を大きくすることは望み薄だが、地道に経営していけば生活はできる。そんな平和な地元の飲食店であるが、それなりに悩みがある。また、本州には無い問題もあるようで、それらを項目に分けて説明する。
 【極めて良心的な明朗会計】
 前回の旅行の時、村役場の職員に「地元のスナックで安心して飲める店を紹介して欲しい」と尋ねたところ、「どの店も同じ値段ですよ。ぼったくることは絶対にない。もし、ぼられたら役場まで苦情を申しつけて下さい」と返事された。この回答はその通りであり、どの店でも明朗会計で、ぼられることは無かった。狭い島なので、ぼったくるような行為をすれば直ぐに島中に知れ渡ってしまう。新宿歌舞伎町のようなスナック、バーは、ここでは成り立たないのである。
 【酒代の値上げができない】
 前回の旅行の時、ビール(中ビン)はどの店でも千円であった。この島独特のルールで、お通し代やテーブルチャージは一切無い。従って、千円札一枚を持ってスナックに入れば、ビール一本で何時間も遊ぶことができる(店主からは嫌がれるが)。今回の旅行でもビール代はどの店も千円であった。11年間、ビール代は値上がっていなかった。日本国内ではデフレの嵐が続いていたが、南大東島でもデフレの影響を受けていた。
 ママさんからは、「この値段では儲からないけど、私の店だけ値上げする訳にもいかないので値段を据え置いているの」と聞かされた。価格協定のように、各飲食店のビール代が統一されている裏では、ママさんの悩みがあるようだ。しかし、他の酒代は微妙に値上げされていた。前回の旅行の時に撮影した写真の中に、偶然にもメニューが写っている写真があった。11年後のメニューと比較してみた。
       銘柄        2021年     2023年
   ジョニーウオーカー赤    9000円    12000円
   ジョニーウオーカー黒   12000円    13000円
   久米仙(泡盛・久米島)   6000円     8000円
   菊之露(泡盛・宮古島)   6000円     8000円
 この店の酒代が特別に高いということはなく、他の店もほぼ同じような酒代であった。この酒代の変化からすると、それほど大幅な値上げではない。ママさんが価格を変更するのは微妙に難しいところである。
 【チップ】
 酒代の値上げが難しくなると、スナックの方でも収入向上のための方策を考えざるを得なくなる。その方策とは「チップ」をねだることである。チップと言っても現金を貰うのではなく、「お茶を貰ってもよろしいですか」と尋ね、小さな缶入りのお茶をねだることである。原価数十円のお茶が千円の売上げになる。このチップの請求はどのスナックでも実行しているのではなさそうである。
 【店内でのケンカ」
 酒の出る飲食店のことであるため、店内でケンカが始まることもある。以前は警官を呼んで被害状況を報告していたが、駐在所の警官が一人勤務になったことから呼び出さないことになったらしい。店内でケンカが始まると、先ずは客全員でケンカしている二人を店外に押し出し、店の被害を少なくする。同時に、ケンカしている当人が務めている会社の社長を呼出して仲裁に当たらせる。社長が到着し、二人の頭を殴って喧嘩両成敗するとお終いになるそうだ。社長の指示には逆らうことはできず、これでケンカは納まるとのことだった。
 【店内喫煙】
 本州の飲食店では見ることができない島独特の習慣は、店内での喫煙である。どの店舗でもテーブルには灰皿が用意されていた。どうも島の喫煙者率は高いようで、女性でも喫煙する人が多いようである。このため、「店内禁煙」「店内分煙」などの表示をしたらたちまち来店者がいなくなる。また、各店舗の床面積が狭いため、喫煙室を設置できないという理由もあるようだ。何れにせよ、これから暫くの間、島は喫煙者にとって天国のようなものである。

 


豊年祭のスケジュール

2023-05-21 19:53:00 | 旅行

 島では、毎年9月22日、23日の2日間に「豊年祭」が開催されている。豊作を祈願する内地の村で行われる秋祭りと似たような性格の祭で、大東神社で開催されている。この祭を目当てに観光客が来島し、同時に実家に里帰りする親戚もいて、この時は全島が賑やかになる。
 この祭が何時からどのような形体で始まったのかは、あまり明瞭ではない。あの重厚な南大東村志にも正確に記載されていない。資料を繋ぎ合わせていくと、だいたい次のような経過で発生したらしい。先ず、島の開拓者である玉置半右衛門が最初に南大東島に上陸したのが1900年1月23日であったことから、1月23日を記念日として祝っていた。しかし、1月は砂糖きびの収穫期で島中が多忙のため、その後は10月、9月などを祝日とするようになったが、何時の頃か9月22日、23日が祝日に決まったらしい。
 開拓初期の祝日ではどのような形態で祭を行っていたのか不明である。住人の人数が少なかったため、酒が出る祝宴程度ではなかったかと推測される。玉置は上陸してから暫くして、現在の大東神社がある丘の中腹に天照大御神を奉安した社殿を建立し、信仰の対象としていた。その後、島の人口が増加した明治の終わり頃になると、現在のような形態のお祭が行われていたのではないかと推測される。
 さらに日時が下り、1916年に島全体の土地が玉置商会から東洋製糖に譲渡されると製糖産業は爆発的に発展し、人口も4千人近くに増加した。そのような社会の変化により、東洋製糖は島内の社会インフラを整備していった。その一環で、1920年には神社を整備した。丘の中腹にあった社殿と拝殿を頂上に移し、伊勢皇大神宮から御神符を受け、鳥居も建立して「大神宮」と呼ぶようになった。社殿が建立された時に奉納された幟旗には「大正9年10月吉日」と染められている。この頃から現在の祭の形式がほぼ決まったのであろう。
 島の秋祭りは戦争末期の1944年だけは中止されたが、敗戦の1945年秋には早くも再開され、以降毎年実施されてきた。戦前、神社は「大神宮」と呼ばれたが、戦後は「大東神社」と改名された。戦前の国家神道の名残を修正するためであろう。同時に、祭の名称も「大神宮祭」から「大東神社祭」に変更された。村役場では「豊年祭」という名称を使用しているが、官公庁が特定の宗教団体の名称を使用することを避けたのではないかと思われる。
 下記に、2023年の豊年祭のスケジュールを掲載する。
  2023年9月22日(日)
    宵祭
     (1) 15時00分  神輿・山車、役場前に集合
     (2) 15時30分  神輿・山車、大東神社に向けて出発
  2023年9月23日(月)
    本祭
     (3)  8時30分  神輿・山車、役場前に集合
     (4)  9時00分  神輿・山車、大東神社に向けて出発
     (5)  9時00分  大東神社で式典開始
     (6) 10時00分  学童相撲開始
     (7) 13時30分  一般相撲開始
     (8) 18時15分  演芸開始
     (9) 21時00分  演芸終了
 初日の宵祭では、各集落の神輿・山車が役場前に集結し、一行は連なって大東神社まで移動する。神社で氏子達が御祓いを受けた後に、もと来た道を役場まで戻ることになる。往路は県道を役場から真っ直ぐ大東神社に移動するのだが、帰路は歓楽街に入り、飲食店などからご祝儀・お菓子を戴くことになる。ご祝儀は各集落の酒代に化け、お菓子は参加した子供たちに分けられる。その夜は氏子達は各集落にある集会場に集まり、親睦会と言う宴会が始まる。
 二日目の本祭でも、各集落の神輿・山車は大東神社まで移動し、神社で御祓いしてもらうことになる。その後、相撲大会が始まり、午前中は小中学生の相撲大会が行われ、午後は大人の相撲大会が行われる。夕方、日が落ちてからは村役場近くにある「ふれあい広場」に集まり、屋外で芸能大会が開催される。
 これが豊年祭の二日間の大まかなスケジュールである。具体的な内容については以下の章で詳しく説明する。

 


宵祭 神輿と山車の行列

2023-05-19 19:28:19 | 旅行

  豊年祭の宵祭(9月22日)では、各集落の神輿と山車が村役場に集結し、ここから大東神社に向かうことから始まる。神輿と山車は、午後3時に村役場から一列になって出発する。それぞれの集落から神社に向かえば、村役場から遠い集落にとっては時間短縮になるかと思われる。だが、村役場に6集落の神輿が集結し、行列をすることに意義があるようだ。狭い島なのだが、北端にある旧東集落から村役場までは結構な距離がある。山車は各集落からトレーラーで牽引してくるため、移動に問題はない。神輿はトラックに乗せて運ぶようだ。
 神輿が大東神社に到着したなら、神主により御祓いを受け、神輿に神様を乗り移す。神様を乗せた神輿は宮出しされ、在所集落の歓楽街を練り歩くことになる。渡御(とぎょ)と呼ばれ、神輿に乗り移った神様が町内を巡行することになる。東京都内の神社では宮出しされた神輿は、各自の町内を練り歩くのだが、南大東島では全ての神輿は先ず歓楽街を練り歩くことに特徴がある。これは歓楽街にある飲食店、商店などからご祝儀を受け取るためである。歓楽街を通過してスーパーミナミのある交差点まで練り歩いた後、それぞれの神輿は各集落の集会所に安置される。これが宵祭における神輿の宮出しから巡行の日程である。その夜は各集会所で集落の人達が集まって直会となる。
 翌日の本祭(9月23日)では、各集会所の安置した神輿は再度村役場に集結させ、午前9時に大東神社に向かう。神社では神輿に乗り移っていた神様を降ろす宮入りの神事を行う。この一連の神事により南大東島の豊年祭は終了する。露払い、紋付き姿の先導や高張り提灯などは無い、大東神社の神事である。内地の神社で行われている神輿の巡行でも、それぞれ独自の日程で行っているのと同じである。
 一番目の写真は神輿を担いだ一団で、集落ごとに色違いの法被を着ていた。残暑の中、村役場から大東神社までは結構な距離があり、神輿を担いでいくのは大変なことある。
 二番目の写真は山車を引く幼児、小学生で、どこからこんなに多くの子供が出てきたのかと驚かされた。島の人口は1201人であるが、14歳以下の児童は183人である。人口比では15%以上になる(2022年9月現在)。全国の15歳未満の人口は1417万人で、全人口が1億2435万人であることから人口比率は11.4%と集計されている(2023年10月、総理府統計局)。また、島の65歳以上の高齢者は313人で、高齢化率は26%であり、全国平均の29.1%よりも低い。全国の地方では高齢者だけが居住する集落が増えている。しかし、南大東島は高齢化や小子化とはほど遠く、若者が多く住んでいる島なのである。
 三番目の写真は色紙などで飾られた山車であり、牽引するのは日頃農作業で使っているトラクターで、山車は砂糖きびを集荷するための台車ある。毎年のことなので、山車の飾りつけなどは慣れていて、派手な飾りが付けられていた。山車には太鼓、鉦などを積み込んであり、小中学生がお囃子をしていた。
 (注・なお、これらの写真は9月23日の行列を撮影したものである。22日の行列は飛行機の到着時間の関係で撮影できなかったので代用した。しかし、行列の内容は宵祭の時と同じである)