前回の旅行の際、いくら捜しても見つからなかったのが理髪店であった。人が生活していれば髪の手入れは必要であり、どんな田舎町でも理髪店がある。だが、前回の時に在所集落をくまなく歩き回ったが、ついに見つけられなかった。
今回は地元の人に尋ねたので、理髪店は簡単に見つかった。在所集落のホテルよしざとの前にある坂を登り、ケンちゃんストアの斜め前にあった。一段目の写真がその理髪店である。何の標識もない普通の民家であった。以前は看板やサインが出ていたが、台風で吹き飛ばされたのでそのままにしている、とのことであった。現在は閉店状態で、昔からの顔なじみの客に頼まれた時だけ開店しているらしい。閉店になった理由は、店主が高齢になったことであるが、一番の理由は顧客が減少したことらしい。顧客が減ったのは、島内の若者は那覇市内の理髪店で整髪することが多いためである。若者が仕事で那覇に出張したついでに那覇の理髪店で整髪してくるのだそうです。また、最近では自宅で理髪できる散髪キットが通信販売されており、それを使って自分自身で散髪する男性も多いらしい。この理髪店の娘さんが現在理髪師の学校に通っていて、資格を取得したら今の店を継がせるつもりのことであった。
この他に、島には美容院が一軒存在しているが、この美容院も理髪店と同様に開店休業の状態で、古くからの客から要請があった時だけ営業しているらしい。女性としては、何かの用事で那覇に出掛けた時、地元より設備の整った那覇の美容院でパーマをかけたいという心理になるのではなかろうか。
2020年の統計によれば、全国に理容師は15万2千人、美容師は38万7千人存在している(理美容ニュース、HBM社発刊)。すると、理容師1名当たり401人の人口が、美容師1名当たり167人の人口が存在すれば理美容院の経営が成り立つことになる。南大東島の2020年における人口は、男が693人、女が508人となっている。すると、島では理容師が1.5名、美容師が3名生計を立てることができるマーケットが存在することになるが、そうなっていないのが実情である。
さて、過去の統計から島で開業していた美理容院について考察してみる。1959年の「南大東村勢要覧」によれば、当時は「あづま理容館」という理髪店と「きよこ美容院」という美容院があった。1960年の島の人口は男が1950人、女が1563人であったことから、経営するには十分な顧客がいたのであろう。店舗の数が少ないが、いずれの美理容院も複数の美理容師を雇用していたのではないかと推測される。
その10年後の1970年には琉球政府により「事業所基本調査」が実施され、南大東島にあった事業所が調査された。この調査で、在所集落には「喜友名理容店」「きよこ美容院」「浜里理容館」「アイデア理容店」が営業していた。理髪店が3店、美容院が1店ということになる。この年の人口は男が1391人、女が1200人と10年前より減少しているが、それでも4軒の美理容院の経営が成り立っていた。理容院が増えているのは「あづま理容館」の従業員が独立開業したからであろう。
このように50年前の島には複数の美理容院が存在し、それぞれ経営が成り立っていたが、現在では成り立たなくなった。その根本原因は、航空機の利用が容易になったからであろう。1960年代、70年代では、島から那覇に移動するには船便が大半であった。航空便あったが、運賃が高額であり、余り利用されていなかったようだ。1975年の航空便の乗降客数は年間1万3千人程度で、2021年の航空機の乗降客数は4万人強に増えている。島の人口が減少してるのに比べ、乗降客数が増えているのであるから航空便の利用率は極めて高くなったと判断できる。こうして那覇に出掛けるのが手軽になったことから、美理容院を島外で利用したくなる気持ちが判るであろう。
二段目の写真は理髪店の隣にあるあづま屋で、後ろの板壁を除いて三方が開放され、土間には古びた椅子が並べられていた。ここでは近所の老人が集まっておしゃべりを楽しんでいた。元々は理髪店の待合室であったが、現在ではお年寄りのたまり場になってしまた。都会ではこのような遊休地は見当たらず、お年寄りが気楽に集まる場所は無い。このような光景は、土地が空いている地方郡部でなければ見かけられないものである。