日本の史実と世界史

日本人に大切な史実の理解。

メディアに騙されない為の戦後史理解とは。

2019-12-21 | 日記
敗戦から戦後日本の歴史は、大きく歪曲させらている。

日清戦争、日露戦争を経て第一次大戦まで、日本は覇権国であった。
しかし覇権国となったのは、欧州列強、イギリス/フランス/ポルトガル
/スペインなど加えてロシアらの植民地侵略に立ち向かった結果である。

清は日清戦争の後、台湾・遼東半島・膨湖諸島を日本へ割譲し、
清より租借していた満洲を、ロシアが日露戦争後に戦時賠償として
日本へ割譲し、1905年から朝鮮半島も日本の施政下に置かれる。
1919年の「第一次大戦」終戦まで日本は戦強国であった。

しかし22年の間に、手筋の悪い戦をする国家へと変容してしまった。 

1941年、大東亜戦争開戦、英米露清と東アジア周辺国と鎬を削るのだが、
東アジアで起こる様々な紛争を悪化するような選択を続け、1945年日本は
遂に米連合国群に敗戦する。

林千勝氏は著書「日米戦争を策謀したのは誰だ!」の中で、
日本軍や高級官僚・メディア中枢にコミュニストが潜り込んでいたことを
詳らかにしている。

また、近衛文麿がコミュニストを手玉に取りながら、
昭和天皇に敗戦の汚名を被せ、共産主義者の敗戦革命を利用し
その罪を背負わせる形で陛下を蟄居させようと目論んだ。
1940年に組織した近衛新党大政翼賛会となり、軍国主義に拍車を掛けた。

朝日新聞は、尾崎秀実風見章・関口秦らによって、国民を好戦的に煽り続けた。
1936年近衛文麿は、NHK第2代総裁に就任し、
国家の情報統制と日本民衆へのプロパガンダを行った。

知識階層へ積極的に浸透工作を繰り広げたのが共産主義者コミンテルンである。

しかし、なぜ知識階層は斯くも赤く染まってしまったのかと
疑問を紐解く時、朝鮮半島の併呑によって反日分子を抱え込んで
しまったのではないかとの疑念が擡げてくる。

1904年「第一次日韓協約」の折、朝鮮王族の高宗はロシアに
密使を送り最後まで離反工作を続けた。朝鮮の両班も
日本に併呑されることに嫌悪感を持つものが多数いたとしても頷ける。

創氏改名を求めた朝鮮人が反日の怨念を抱え、共産親派として
帝国の役人になったとしても不思議はない。

時は下、敗戦後の日本はGHQによって1952年まで、
政府内の日本人一万人によって思想の検閲が行われていた。

政界・官僚・学会・実業界・メディアから20万人の保守派を追放し、
代わりに反日左翼・共産親派に首を挿げ替えた。

  1945年10月22日:日本教育制度に対する管理政策
  同30日:教員及び教育関係者の調査、除外、認可の関する件
  同年12月15日:いわゆる「神道指令」
  同月31日:修身、日本歴史及び地理停止に関する件

上記は、GHQが傀儡政権に命じた指令である。

以下に記すのは、GHQの思想検閲に阿って、
左翼的な歴史歪曲を行い、広く日本人に嘘の
歴史(日本を貶めるGHQ反日史観)を吹聴した恥ずべき面々だ。
米国の検閲に恭順を示し、敗戦利得者として大東亜戦争の敗戦下に
生活の糧を求めた。日本国民として恥ずべき最も愚かな人々だ。

 南原繁 矢内原忠雄 大内兵衛 滝川幸辰 都留重人

 和辻哲郎 白鳥庫吉 江上波夫 井上光貞 田中卓

 直木孝次郎 古田武彦 上田正昭


長浜浩明氏は著書「日本の誕生」で神武東征を
考古学や科学的な調査を複合的に積み上げて
「記紀」や「ふることふみ/古事記」から日本の
正史を伝え、売国歴史学者の矛盾と不純を詳らかにしている。

2019年、我が国の万年ポンコツ野党は「さくらを見る会」の名簿資料の
シュレッダー屑のパズルを紐解きながら、北朝鮮のミサイル発射には
目を覆い、中国の香港人への人権蹂躙や、ウイグル人の虐殺や臓器収奪は
知らんふりだ。

近衛が共産親派を囲ったNHKや、朝日/毎日の敗戦革命的プロパガンダ日報は、
香港もウイグルも尖閣も沖縄も台湾も、すべて我々に実像を伝えない。

市井の我らが自ら歴史を取り戻す努力をお怠れば、
左巻きに容易に騙されることになる。