下書きに一つだけ書き留めていたものがあったので何時までも有るのはやだなと思ってとりあえず投稿します。にしても今日更新多いな…
ブログ記事上げてから何回か経ってるが
肝心な発達障害についてのいつから発達障害と言われた事からか
あとは学生時代の話とか
自分自身のために書いておこうか
現在、俺は ADHD、アスペルガーの2つを持ち合わしてるらしい
大人版のウィスクをやった結果ね
あとそのウィスクをやった病院の先生とセカンドオピニオン的やつでもう1つのいつも通ってる精神科先生診断結果を言い渡されました。
結果にはあぁ…やっぱりそうだよなぁ…
落ちちまったのかなぁ自分 としょんぼり…
という事でじゃあ今までの人生ってどんなもんだったんだい君!
って感じでツラツラ〜と書いていこうか
こんな人生もあるんだな とか
コイツよりは私の方がマシね!!
行動にドン引きしたわ!
なんて思ってくれれば幸いです
そしてその感想をコメントしてくれたらなお有難い
今後の自分の生きていく何かに繋がるならば
ではでは
まず初めて自分が発達障害だって事が分かったのは小学校3年生
以前から
母親はウチの子はどこかおかしい、でもそれがなんなのかは分からない
と微かに思ってたらしく言葉を喋れるようになったのも一般よりも少し遅く
保育園でもまず群れない
1人でいるのが好き
何とか戦隊 仮面ライダーごっこ等もやらない
僕は工事現場で活躍する重機が大好きなんだけど
ひたすらそのおもちゃで1人砂遊び
そんな俺を見て親は
ん?なんかおかしい…?
そんな事ないか… うーん、🤔💭
溶け込めないだけかな?
まあ、まだちびっ子だしこれくらいのことは何処もそうだ
といった感じだったらしい
で、小学校に入り
そこでまず勉強、授業、言葉
一般人よりも理解するという事がまあまあ遅れを取ってる という事を担任の先生が親に報告するそして気付く
だがまだ6歳だしこういうのは大いにして有るからそこまで問題視はされなかったらしい
で、小学3年生になった時
ここで新たな担任の先生が親にもしかしたらアスペルガー症候群かもしれません よかったら検査受けてみませんか?と伝える
親も看護師である為
そういうものの知識に関しては理解があるのでさっそく病院で受ける事に
ウィスクをやり
で、アスペルガー症候群という診断結果が出た
で、思い返せば小学3年生の頃
勉強に関しては本当についていけなくなっていた それと内気な性格 いじられると怒る けど結局弱い そのせいでなめられて半端ないほど虐められた。 担任は見て見ぬふりをしていたのを今でも夢に出てくる
マジ殺意が湧く🔪😇
そしてあまりのいじめに俺は切れて椅子を投げたりして自己防衛をしふざけんなよ虐めないでよ!!!とワーーッとなってしまった。
そして担任がやはりおかしいコイツ!認定しやがってさらにイジメはエスカレートandやはりアスペルガーだなと印象つけられることに😇
※この頃から怒りという物のコントロールが不可能になりつつありました。
結果、毎週木曜日
給食を食べたら 俺は病院へ通うことになりました。
アスペルガーとかある子達が通う小児科かな?
そこで毎週、先生が俺に色の着いた積み木をこれ通りに組み立ててとか計算問題とかちょっと運動するとか
そんな事をさせられてました。ウィスク毎週やるみたいな感じ
一体なんの意味があったのか
そんな極悪な2年間を過して
5年生の時クラス替えでいじめっ子たちと離れ虐められてたのにも関わらず仲良くしてくれた友達たちとクラスが同じになった (未だに毎週遊んでる)
その頃からちょっとずつ俺はアスペルガーである事を忘れていった。
特に不自由に感じた事は無かったし馬鹿だとしても支障は無いし元気に外で遊んでれば子供としては100点だからね
遊戯王とかポケモンとかスマブラとか友達の家に毎週みんなで集まって遊んでた飽きれば公園で駆け回ったりと楽しかったな〜むしろ今24歳になったからこそこれをやるべきだろと思うんだ
話を戻して
そして中学に入り
俺はある事に気付いた
俺自身が強くなれば虐められることなくね? と
中学は隣町の小学校からも来る
また小学3-4年みたく虐められては困ると思い
俺は暴力で全て解決することにした。
所謂、グレる 不良になった
というやつですね 自分で言うのもなんなんだ?と思うけど事実を書く (恥ずかしいが)
で、もう中学3年間で悪い事は全てやった
俺に歯向かうやつは先生だろうと年上だろうと年下だろうと同い年だろうと全て暴力で痛めつけ自分の下においた
正直に言うと怒りをコントロール出来ない人です
頭に血が上ると何かを痛めつけるか壊すまでキレます
当時の俺アンガーマネジメント受けろってな
今はそんな事も無くなって怒ることによって人を傷つけるのは勿論、自分自身も疲れるし後悔する
なので基本的にはもう怒らなくなりましたね イラッとすることはあっても即ギレとはならない
で、
小学校で虐められたのにも関わらず仲良くしてくれた友達は相変わらず仲良くずっと遊んでた。
そして友達の身に何かあるとすぐさま助け それをやった奴を殴るという
なんかもう偽善者か独裁者か
なんか良いことやってるようで悪でしかねえな
とにかく嫌な事あると即ギレ手が出る
お前は鮫肌か?
そしてその時に小学校で俺をいじめたヤツらも全員殴り飛ばした。
もうそうなると学校全体で厄介人間認定
2ヶ月に1回は親を呼ばれる
もちろん勉強なんてほぼしない
そして馬鹿が出来上がった
そんな自由奔放な事も自分も
中学3年の春に現実を叩きつけられた
そう、高校受験だ
仲良かった友達もグレてたり勉強が不得意だったりもしたんだが俺よりかは全然マシで地元の高校へ行くとみんな言った
で、そうなると
その高校俺も行く!!!!!となるわけ
(てか中卒はさすがに嫌だから高校は絶対行くと決めてた)
でももう中学校側からしたらただの迷惑な奴なのよ
遊んでばっかで勉強をまともにしてこない、問題起こすわ で
当時中学のほぼ全員の先生から嫌われて高校へ行くのを阻止された
阻止したり裏で親と繋がって俺に高校を行かせないよう説得しようと試みたクソ教師もいた。全員シバいた。
心入れ替えた直後 クラスに戻って国語の授業しっかり受けててその問題がどうしても分からなくて先生に聞きに言ったんだよね そしたら〇〇君(俺の名前)さ今日真面目に受けてないから無理なんだよ やだよ教えない
それ言われた瞬間、女教師だろうと関係なく思いっきり顔面ぶん殴った。
でもこれをやったことにより悔しさだけが残って暴力じゃ解決にならねえなとようやく気づいて
何としても行ってやる、受かって全員手のひら返しさせてやると誓い悪さもそこから一切しなくなった。
だが、そんなんで好かれるはずがない
でも3人だけ俺の事を見捨てない先生がいた。
クラスからも追い出された俺は体育とホームルーム以外
青空教室という虐められて不登校になった子や障害がある子がいるクラスに行く事になった。
(ちなみにその3人がその教室で授業をやってる先生)
で、毎日そこから本当に基礎中の基礎から俺は勉強をし直して行った
先生にテストの問題用紙50枚刷ってもらって毎日家に帰って深夜3時まで猛勉強した。
けど俺はやはり壁に再びぶち当たる
いや?今までの自由奔放に遊びまくってたツケが回ってきたというのが正しいだろう
いくら教えて貰っても勉強が全く覚えられないし計算問題も全く出来ない
というか全てが出来なかった。
辛うじて社会や国語は暗記問題だったり文書を何とか読みといて答えられるのでそこで点を稼いでた。(20〜60点くらい)
なので毎日50枚やり方とかじゃなく暗記のためにやってた。
で、中学3年のテスト合計点で俺は100点行くのが3、4回?だけあとは2桁
しかも合計点ですから5教科で
もう前期受験は無理だよね
それでも諦めず何とかやれるところまでは徹底的にやろうと決め
年明けすぐに志望校の前期試験がやってきた。
この、前期試験は面接、この学校でやりたい事や部活等を作文にして書くという内容
そして1番の合格審査対象は
中学のテスト合計点や内申点、部活でどんな成績残したかと出席日数である
全先生にお前はダメ 落ちるからとマジで言われてきた だからこそと
ここで落ちたら俺に明日は無いと強く思い
全力で挑んだ
そして前期試験に落ちた
まあ、今考えれば落ちるよな
出席日数は余裕で足りてる、部活で成績残してもいるがあとの全て出来てなかったんだもん
ここから先生達の嫌な攻撃も始まる
そして行こうといって言った友達たちは全員受かった。
だからこそもう俺は絶望しかないわけ
そして俺は常に 死にたい、もう無理だ俺はと常に口にするようになってしまった。
でも勉強だけは辞めなかった 後期に今以上の努力して全てかけるしかねえ
と、親に落ちた連絡をし2人で泣いた。
そして次の日から
帰ってから勉強する3年の勉強全網羅するため一日70枚やる様になった。。
それを見た父親は俺にイカれてる……………
おかしい…………………とドン引きしてた
と同時に追い込みかけすぎてストレス爆発して親とマジ喧嘩 家の寝室の壁を俺の胴体ぐらいの穴をあけ
3階から今飛び降りて死んでやるよ
からのI can fly
えーーちなみに私の故郷雪国ででして雪が凄いんですね
興奮してるから雪降ってて積もってるの知らないから着地先が雪の中という
未遂で終わるなんとも今思い出すと笑える結末 ※当時は笑えません
親に精神科行けと言われ拒否
行ったらなんか全ての物事ストップさせられると思った。
で、強制的に連行
で、
初 鬱病診断
結果が出ましたとさ
だがめげない
途中超バカ私立高校へ滑り止めのため担任と親の説得により嫌々受験した。
その高校は頭髪検査があり髪の毛をクソ短くしなきゃ行けないし
あと、単純に遠すぎる 始発で電車に乗らなきゃ行けないし朝に弱い俺は無理です。
当然行きたくなったので適当にやったのになぜか受かった
当然、俺は志望校に行きたいので前期試験で落ちてもめげずに勉強はする
とにかく学校行って青空教室で勉強
教頭先生も授業してくれて一緒に手伝ってくれた。
何かと先生の間では話題になってしまう
俺はとにかく今手伝ってくれる先生たちの力を借りて毎日頑張った。
肩ぐらいまで伸ばしてた長かった髪の毛もバッサリ切って制服も着崩さずただの中学生にやっとなった。
※前期受験の時は勿論制服ちゃんと着崩さずに着てましたよ
遅せぇよってな
そして後期受験当日
今までの蓄えた力を出し切った
もう自分にある力を精一杯ね
そして後期受験は終わり
その日からもうすっかりつっかえてた物が無くなって勉強というストレスも無くなったわけで
鬱の症状も綺麗になくなった。
合格発表までの期間溜まってたストレスを解放するかのように遊びまくった。
ちなみに合格発表は卒業式の翌日です
って事で中学卒業式
特にこれといって思い出はないけど
過去に俺はクラス全員に向かっててめえらは敵だ死ね!!!!と言った事がある
それでも普通に俺を受け入れる半分くらいのクラスメイト
中には俺を怖がったり、すぐ暴れるから嫌いだと言う人もいたが…
卒業式の後クラス全員で焼肉屋で打ち上げをした時に話したこと無かったクラスメイトと初めて話したり
皆対応が気を使うとかは一切無しに結果今更だけどクラスメイトと仲良くなった
そして翌日
とうとう来た 志望校、合格発表
俺はその日寝れなかった
落ちたら中学から電話があると言うことは聞いていた。
とにかく電話が鳴るのが怖くて
そして合格発表の番号を見に行くことすら怖くて親に見に行ってもらった
そしたら
親が あるよ!!!番号あるよ!!!
受かったよ!!!!!!!!!
って
もうね、腹からよっしゃああああ!
って声出た
ばあちゃんと泣きながら握手交わしたもん
がむしゃらに努力したかいがあったな
そんで滑り止めで受けてた高校の辞退届けを出すために中学校へ行ったら
全先生が、俺に駆け寄ってきて
おめでとうと祝福
あんなにお前は無理だって言った先生達がだ
それ見た事か!全員手のひら返しだ!
あそこまで綺麗に決まった手のひら返しは初だ
そしてなによりてめえらの考えを覆してやった
ってのが何より嬉しかった
そんなこんなで春休みになり遊びまくって晴れて志望校に入学というわけだ
で、1つ言いたいことがある
中学の時迷惑かけた方たちが僕には数え切れないほど居る
本当にあの時はすいませんでした。
俺の感情ひとつで何もかもめちゃくちゃやったりと本当に沢山の人に苦労させたと思います。
今更振り返ってなにいってんだこの野郎って全員思うかもしれない
そして、そんな俺の暴れっぷりに当時怯えてた人も居るはず
これ読んでる人もこういう身勝手な人の被害にあったことある人居ると思う
多少あの頃よりかは考えも何もかも成長したからこそ
今、心から謝りたいです。
本当にすいませんでした
それと、こうやって過去の行いの悪さが今現在の自分に繋がってるのかなと多少思います。
だとしたら俺はどの位、懺悔したらいいんだろうとたまに悩みます。
未だに友達付き合いしてるやつらと中学の思い出話をするんだが
未だに当時の事で腹から笑えるエピソードが沢山あって24歳になっても毎回話の同じところの同じ場所で笑う
辛い事も怒られた事も沢山ありましたがまあ、こんな中学時代の話も生きていく上では必要なのかもね
ここでアンジェラ・アキの歌が流れそう
で、
ここからが人生のボーナスタイムの始まり
人生をグラフに表すと高校でピークを迎えた
その高校の話はまた気が向いたら
てか、発達障害はどこいったんだよってな
この頃もうすっかり忘れていた
ただの経歴の話になっちゃったな
ま、いっか 好きなこと書いてるだけだし