2004/01/05(月)
7時に目が覚める。支度をして出かける。今日から仕事のところも多いのだろう2号線は通勤の車で混雑している。尾道大橋を渡り8時40分向島立花臨海公園の駐車場に車を止める。ここの駐車場はいつもお世話になる。因島大橋にあがる階段からスタートする。
自転車では何度も来たが、因島大橋を歩いて渡るのは3年振り2度目である。しまなみスタンプラリーに参加したとき以来。
ぎしぎしと揺れる橋はあまり気持ちいいものではない。白亜に輝く大浜崎灯台と朝陽に光る海を見下ろしながら因島へ。歩き始めは寒いので重ね着をするのだが30分もすると暑くなり、結局一日中リュックの荷物になる。いつものことで致し方ない。今日は因島の南側を歩こうと思っている。因島水軍スカイラインを辿り地蔵鼻を回って帰るつもりである。
大浜町の家並みを過ぎ左に二つ並んだ八重小島、向島高見山の鉄塔を、左前方に横島のドルフィンビーチを眺める。足を止め低めの防波堤からすぐ下を覗くと、なんと大きなチヌがいるではないか。体を斜めにしてコンクリートの岸壁に張り付いた藻をついばんでいる。一瞬魚の屍骸が漂っているのかと思った。40センチもあろうか、水族館以外で泳いでいるこんなに大きな魚を目の前で見るのは初めてである。いるもんだなこんなのが。私の存在など気にもしないように銀色の鱗をひるがえしふわりと泳ぐ姿は美しくもある。こんどチヌを食べることがあったらお前のことを思い出すだろうな。性質の悪い釣り人なんかの針にかかるなよ。元気でナ。
大きく右に回りこみ中庄の町に入る。大規模の干拓がしてある。工場や畑、団地が出来ている。海岸に出てしばらくいくと道は上りになり蜜柑畑が斜面に広がる。梶ノ鼻を見下ろし曲がりくねった斜面中腹の細い道を歩く。
野鳥の鳴き声が大きく聞こえ、鳴声の方に目を凝らす。小さな鳥が盛んに尾羽を上下させている。12倍のカメラがほしいところである。道は下って回り込み、鏡浦を望む。大型犬の吠え声が聞こえ港に入るのは止める。私、犬は苦手なのだ。鏡浦を通り過ぎ展望のよい休憩所で昼飯にする。鳥の声と漁船のエンジン音だけが聞こえる。今年の正月は天気に恵まれ暖かい。
深く入込む入江は水軍の隠れ場所には事欠かなかったであろう。帆を張りほら貝を吹き鳴らし進む船団を思い、戦国の世を描いてみる。小さな入江の家並みや神社に水軍の末裔を誇る矜持を垣間見る。
椋浦を過ぎ展望台まで来ると景色は大きく変わり、地蔵鼻の向こうに弓削島が望める。眺めはいい。大きなヘアピンの道が浜まで降りて、そのまま真っ直ぐに伸びる。日当たりのよい道端には、はや水仙が咲き始めている。
三庄の集落に入るころ時計は13時になっている。地蔵鼻へ向けて左に道をとる。造船所を外から覗くと、フェリーボートが形になっている。造船も近くで見るのははじめてである。地蔵尊に下りる階段の道筋に、たくさんの小さな地蔵が道端の窪に所狭しと祭ってある。海岸の細い歩道の突端に真ん丸い大きな石が見える。その昔村上水軍の船奉行が捕らえた美しい娘を、思い通りにならぬと切り捨てた。娘の亡霊に悩まされこの岩に地蔵尊を彫り、霊を慰めた。娘を恋焦がれていた若者がことを知りこの海に身を投げる。地蔵尊がそのときに流した涙が小さな石となりあたりに散らばった。女性がその小石を拾い願掛けをすると、さまざまな望みや願いが叶えられるとの言い伝えが信仰を芽生えさせた。私も家内の健康を祈り小さな小石を拾って帰ることにした。
土生までの長い道のりに閉口しながら日立造船所の鉄を打つ音を聞き歩く。土生でうどんを腹に入れる。15時30分。残りの距離を考えると少し焦りが出る。うどん屋のおばさんが帰り道を教えてくれる。最短の道筋を一生懸命に教えてくれた。
さてガンバッテ歩こう。因島大橋まで帰った頃にはあたりは真っ暗。ぎしぎしと不気味な音が響き誰もいない橋はなんとも寂しく心細い。しかし、膝も何とか耐えてくれたので思わぬ距離があったにもかかわらず歩きとおせた。車のところに帰り着いたのが18時10分。
9時間ほど歩いた勘定になるので約40kmの距離であろう。久しぶりの歩きでいきなり40kmは結構きつかった。我が家に帰ったのが19時。右足の小指は大きな肉刺(まめ)になり、サポーターをはずした膝はガクガクである。でもちょっと自信かな。
7時に目が覚める。支度をして出かける。今日から仕事のところも多いのだろう2号線は通勤の車で混雑している。尾道大橋を渡り8時40分向島立花臨海公園の駐車場に車を止める。ここの駐車場はいつもお世話になる。因島大橋にあがる階段からスタートする。
自転車では何度も来たが、因島大橋を歩いて渡るのは3年振り2度目である。しまなみスタンプラリーに参加したとき以来。
ぎしぎしと揺れる橋はあまり気持ちいいものではない。白亜に輝く大浜崎灯台と朝陽に光る海を見下ろしながら因島へ。歩き始めは寒いので重ね着をするのだが30分もすると暑くなり、結局一日中リュックの荷物になる。いつものことで致し方ない。今日は因島の南側を歩こうと思っている。因島水軍スカイラインを辿り地蔵鼻を回って帰るつもりである。
大浜町の家並みを過ぎ左に二つ並んだ八重小島、向島高見山の鉄塔を、左前方に横島のドルフィンビーチを眺める。足を止め低めの防波堤からすぐ下を覗くと、なんと大きなチヌがいるではないか。体を斜めにしてコンクリートの岸壁に張り付いた藻をついばんでいる。一瞬魚の屍骸が漂っているのかと思った。40センチもあろうか、水族館以外で泳いでいるこんなに大きな魚を目の前で見るのは初めてである。いるもんだなこんなのが。私の存在など気にもしないように銀色の鱗をひるがえしふわりと泳ぐ姿は美しくもある。こんどチヌを食べることがあったらお前のことを思い出すだろうな。性質の悪い釣り人なんかの針にかかるなよ。元気でナ。
大きく右に回りこみ中庄の町に入る。大規模の干拓がしてある。工場や畑、団地が出来ている。海岸に出てしばらくいくと道は上りになり蜜柑畑が斜面に広がる。梶ノ鼻を見下ろし曲がりくねった斜面中腹の細い道を歩く。
野鳥の鳴き声が大きく聞こえ、鳴声の方に目を凝らす。小さな鳥が盛んに尾羽を上下させている。12倍のカメラがほしいところである。道は下って回り込み、鏡浦を望む。大型犬の吠え声が聞こえ港に入るのは止める。私、犬は苦手なのだ。鏡浦を通り過ぎ展望のよい休憩所で昼飯にする。鳥の声と漁船のエンジン音だけが聞こえる。今年の正月は天気に恵まれ暖かい。
深く入込む入江は水軍の隠れ場所には事欠かなかったであろう。帆を張りほら貝を吹き鳴らし進む船団を思い、戦国の世を描いてみる。小さな入江の家並みや神社に水軍の末裔を誇る矜持を垣間見る。
椋浦を過ぎ展望台まで来ると景色は大きく変わり、地蔵鼻の向こうに弓削島が望める。眺めはいい。大きなヘアピンの道が浜まで降りて、そのまま真っ直ぐに伸びる。日当たりのよい道端には、はや水仙が咲き始めている。
三庄の集落に入るころ時計は13時になっている。地蔵鼻へ向けて左に道をとる。造船所を外から覗くと、フェリーボートが形になっている。造船も近くで見るのははじめてである。地蔵尊に下りる階段の道筋に、たくさんの小さな地蔵が道端の窪に所狭しと祭ってある。海岸の細い歩道の突端に真ん丸い大きな石が見える。その昔村上水軍の船奉行が捕らえた美しい娘を、思い通りにならぬと切り捨てた。娘の亡霊に悩まされこの岩に地蔵尊を彫り、霊を慰めた。娘を恋焦がれていた若者がことを知りこの海に身を投げる。地蔵尊がそのときに流した涙が小さな石となりあたりに散らばった。女性がその小石を拾い願掛けをすると、さまざまな望みや願いが叶えられるとの言い伝えが信仰を芽生えさせた。私も家内の健康を祈り小さな小石を拾って帰ることにした。
土生までの長い道のりに閉口しながら日立造船所の鉄を打つ音を聞き歩く。土生でうどんを腹に入れる。15時30分。残りの距離を考えると少し焦りが出る。うどん屋のおばさんが帰り道を教えてくれる。最短の道筋を一生懸命に教えてくれた。
さてガンバッテ歩こう。因島大橋まで帰った頃にはあたりは真っ暗。ぎしぎしと不気味な音が響き誰もいない橋はなんとも寂しく心細い。しかし、膝も何とか耐えてくれたので思わぬ距離があったにもかかわらず歩きとおせた。車のところに帰り着いたのが18時10分。
9時間ほど歩いた勘定になるので約40kmの距離であろう。久しぶりの歩きでいきなり40kmは結構きつかった。我が家に帰ったのが19時。右足の小指は大きな肉刺(まめ)になり、サポーターをはずした膝はガクガクである。でもちょっと自信かな。