読む 富士そば

立ち食いそばチェーン「名代 富士そば」で見つけた珍そばをご紹介。

富士そば同人誌 制作前夜⑤ 『愛しの富士そば』が出て、発狂しかけた話

2023-11-28 12:13:36 | 日記

 BOOTHにて、富士そば同人誌「フジソバマニア」を出品しています。この記事では「フジソバマニア」を制作するに至った経緯をふりかえります。
 
富士そば同人誌 制作前夜④はこちら。


「冷し肉トマトそば」(前回参照)と出会った翌年、都内にある富士そばを全店制覇しました。続けて、2016年に念願の全店制覇を果たします。足かけ2年、いくらなんでも時間がかかりすぎです。締め切りを設定しなかったせいで、ズルズルと引き延ばしてしまいました。この頃から「富士そばライター」を(勝手に)名乗りはじめたのですが、本気を出せばもっと早くカタがついていたかもしれません。
 なんにせよ、満を持しての「富士そばライター」デビュー。吹けば飛ぶような一介のライターがとうとう光明を見出したのです。ここからどんどんキャリアを築いて、富士そばの第一人者を目指そう。若きライターは燃えていました。自分は日本で一番富士そばに詳しい、そんな自負すらありました。いや、増長していたと表現したほうが正しいでしょう。増長も増長、大増長です。

▲マニア必読の書『愛しの富士そば』

 しかし、天狗の鼻は思いも寄らないかたちでポッキリとへし折られます。あれは忘れもしない2017年の冬、なんと洋泉社より富士そばの公認ファンブックが販売されたのです。その名も『愛しの富士そば』。ド直球すぎるタイトルです。その報をネットニュースで知ったとき、私は文字通り膝から崩れ落ちました。
 本の帯には「自由すぎるメニューがうまい! 」の文字が……。
 いや、そんなこと俺も知ってるよ! 3年前から発信してるよ! いまさらだし! 著者は誰だ⁉︎ ライターの鈴木弘毅だ! 誰それ、知らないし! ギギギギギギギギギッ
 思考回路はショート寸前。もはや発狂寸前です。
 じつは、鈴木弘毅さんは立ちそば界では名の知れたライター。『東西「駅そば」探訪』や『「駅そば」読本』『ご当地「駅そば」探訪』など、立ち食いそば・駅そばに関わる著書を数多く持っているのです。おまけに、富士そばを贔屓にしており、毎日通うほど入れこんでいるのだとか。しかしながら、立ち食いそばに無頓着だった私は知る由もありませんでした。
 つまり、私が逆恨みに駆られたのは、無知ゆえの愚行。「井の中の蛙」とは、まさにこのこと。今となっては不勉強を恥じるばかりです。鈴木弘毅さんからすれば通り魔にあったようなものです。
 富士そばファンブックの登場もさることながら、目次を読んでさらに衝撃を受けました。「栄光の陰に挫折あり―幻のメニュー・お蔵入りメニューを糧に」「密着!富士そば24時―終夜営業ならではの、七色の表情」「ちょいと一杯富士そばビール紀行」など、あらゆる角度から富士そばの魅力を掘り下げているではありませんか。これほど中身の詰まった富士そば本は、後にも先にもこの一冊だけ。そう直感させるのに充分なクオリティと説得力でした。
 それゆえに私のショックは凄まじく、1ページめくるたびに劣等感に苛まれる始末。手に取ることさえままなりませんでした。結局、『愛しの富士そば』は購入早々、押し入れの奥に封印。気持ちを整理して、再び手に取れるまで1年ほどかかりました。
 改めて読んでみると、これが面白い。本邦初公開の情報が満載で、むさぼるように読みました。なかでも第3章「富士そばの半世紀~千里の道も、4店舗から~」は、読みごたえ抜群。創業から現在までの足跡を追った内容で、富士そばの解像度が一気に上がります。なぜ、もっと早く読まなかったのか。自身のケチなプライドを呪いました。
  今では『愛しの富士そば』は、私のバイブルのような存在です。富士そば関連の取材があるときは必ず読み返して、自身を奮い立たせています。もう10年近く富士そばを追いかけていますが、鈴木さんの富士そば愛にはまだまだ遠く及びません。

制作前夜⑥に続く


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富士そば原理主義|深淵なる珍そば・奇そばの世界


富士そば同人誌 制作前夜④ 初遭遇の「珍そば」に打ちのめされた話

2023-10-17 11:21:36 | 日記

 BOOTHにて、富士そば同人誌「フジソバマニア」を出品しています。この記事では「フジソバマニア」を制作するに至った経緯をふりかえります。
 
富士そば同人誌 制作前夜③はこちら。


 全店制覇を目指してしばらくは、とくに大きな発見はありませんでした。つゆの味にカルチャーショックを受けたものの(前回参照)、それ以外のことは割とすんなり順応していたように思います。ただ、店舗によってつゆの味や接客が見事にバラバラで、妙に感心したことを覚えています。『偉いぞ! 立ち食いそば』に書いてあったことは本当だったのか、と。
 店舗を巡りはじめて数ヶ月が経った2014年8月、大きな転機が訪れました。「珍そば」との出会いです。「珍そば」とは、富士そばの店舗限定メニューのなかでもインパクトが振り切っている珍品のこと。言い換えるなら「めちゃくちゃ変なそば」「超珍しいそば」といったところです。

参考記事:富士そば・オブ・ザ・イヤー2022

▲富士そば市ヶ谷店(2014年撮影)

 市ヶ谷店を初訪問した際、店頭のショーケースに何気なく目をやると、ソレはありました。「冷し肉トマトそば」。品名からして、ただならぬ雰囲気が伝わってきます。メニューサンプルを見ると、そばの上に真っ赤なペースト状のものがドロリと乗っています。トマトペーストなのでしょうが、あまりにも変化球すぎる。理解が追いつかず「これ、お店で出して大丈夫なやつなのか?」と思ったほどです。

▲衝撃の「冷し肉トマトそば」

 洗礼を受けるつもりで注文。そしたら、実物はさらにすごかった。精巧につくられたメニューサンプルとはいえ、所詮は無機物。「リアル」のインパクトには到底及びません。
 混ぜて食べるのか、そのまま食べるのか。正解がわかりません。覚悟を決めてそのまま口に運ぶと……あれ? 思いのほか悪くない? というか、つゆとトマトの酸味が意外なほどマッチします。「そばも人間も見た目で判断してはいけない」。そんな教訓めいた気分にさせられます。
 見た目はヤバい。けれど味は悪くない――。普段の外食ではまず得られない体験。頭をハンマーでぶん殴られたような衝撃です。このときはじめて「珍そば」の破壊力とそれを平然と販売してしまう富士そばの恐ろしさを知ったのでした。
 しかし、初遭遇から間もなく「冷し肉トマトそば」は、終売してしまいました。あっけない別れです。あとになり、店舗限定メニューは提供期間が極端に短いことを知りました。
 それからというもの、私は憑りつかれたように「珍そば」を追い求めるようになりました。あの衝撃をもう一度味わいたい、誰よりも早く「珍そば」を発見したい……。券売機から消えてしまう前に……。これはいまでも私の行動原理になっています。

 衝撃の出会いからおよそ9年、今生の別れだと思っていた「冷し肉トマトそば」がまさかの復活を果たします。きっかけは、あるテレビ番組の企画でした。「各界のマニアの望みを叶える」というもので、マニアの一人として私に白羽の矢が立ったのでした。
 「冷し肉トマトそばをもう一度食べてみたい」。私のリクエストを受けて、制作会社が調査を開始。うれしいことに当時の店長はいまも現役で、いまは神谷町店を担当しているとのこと。収録当日に神谷町店を訪れると、店長みずからお出迎え。「冷し肉トマト」は数ヶ月続いたロングセラー商品だったこと、当日富士そば本部がトマト系メニューの開発を推奨していたことなど、貴重な裏話が聞けました。

▲令和の「冷し肉トマトそば」。美しい。

 そしてとうとう「冷し肉トマトそば」とご対面。思い出が美化されることは多々ありますが、このときは完全に逆パターンでした。店長自ら調理してくれたこともあり、令和版の「冷し肉トマトそば」は盛りつけも美しく、見るからに美味しそう。市ヶ谷店で食べたものとは、雲泥の差です。実際のところ完成度も高く、最後の一口まで美味しくいただけました。


 もしかしかしたら、私が市ヶ谷店で食べた「冷し肉トマトそば」は、アルバイトスタッフが調理していたのかもしれません。まさか、9年越しに“本物の味”に出会うとは……。この奥深さもまた「珍そば」の醍醐味です。

制作前夜⑤に続く


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富士そば同人誌 制作前夜③ つゆの味にカルチャーショックを受けた話

2023-09-14 11:27:45 | 日記

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 富士そば同人誌 制作前夜②はこちら。


 富士そば全店制覇の道のりは、とてもゆるやかなものでした。東京・神奈川・埼玉・千葉の約110軒を巡ることに気後れしましたが、とくに焦りはありませんでした。べつに競争相手がいるわけでもなし、タイムリミットがあるわけでもなし。駅チカを攻めれば1日に4、5軒まわれるので、いざとなったら追い込みをかければいいだけのこと。まるで、ブルーオーシャンを独り占めしている気分でした。
 実際のところ、謎の優越感にも満たされていました。「自分だけが富士そばの魅力を知っている」「富士そばを食べ歩くヤツなんて自分だけだろう」と、愉悦に浸っていました。今にして思えば、とんだ勘違い野郎です。


▲いまはなき後楽園店 2014年5月

 ゆがんだ自己愛を育みながらも、私は富士そば巡りを素直に楽しんでいました。いなたい雰囲気というか、すがれた雰囲気というか。あの独特の空気に次第に惹かれるようになっていったのです。サラリーマン、酔っ払い、学生風、ホストの同伴、職業不詳……と、その場にいる誰もが何ごとも期待していない感じ。華やかさとは無縁の世界に妙な親近感を覚えました。


▲六本木店 2015年5月撮影

 一方で、受け入れられない部分もありました。それは富士そば、というより関東のそばの「味」です。沖縄出身の私にとって「そば」といえば「沖縄そば」。上京するまでの22年間、沖縄そば一筋で育ってきたため、いわゆる「日本そば」の味に慣れるまで時間がかかりました。
 とくに醤油の効いた関東特有のつゆが強敵で。塩で味つけする沖縄そばのつゆと比べて、あまりにも刺激が強すぎます。老舗といわず、立ち食いといわず、どこで食べてもしょっぺえ、しょっぺえ。ただの固定観念に縛られているだけなのですが、富士そば巡りをするまで、そば自体を疎んじていた節もあります。
 しかし、慣れとは恐ろしいもので、今では週4で富士そばに通うまでに。そう、人はいくつになっても変われるのです。

制作前夜④に続く


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富士そば同人誌 制作前夜② 富士そば全店制覇を決意した話

2023-09-07 01:29:49 | 日記

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 富士そば同人誌 制作前夜①はこちら。


 富士そばファンブックの企画提案で爆死してから数年後、私は編プロを卒業し、フリーランスのライターとして独立することになりました。
 新たなスタートを切ったわけですが、順調な船出とはいきませんでした。とくに伝手もコネもなかったので、一から取引先を開拓しなくてはならなかったのです。出版不況の真っ只中ということもあり、出版社や編プロに営業をかけても、梨のつぶて。担当者との顔合わせに至るのは、5件に1件程度でした。仕事につながる確率となると、さらに低くなります。
 そこで、私は考えました。ライターとして何か得意分野を作ろう、と。「グルメ」や「スポーツ」「ライフスタイル」など、特定のジャンルに精通していれば、ほかのライターよりも優位に立てます。とはいえ、一般的なジャンルは競合ひしめくレッドオーシャン。付け焼き刃が通用する世界ではありません。ポっと出のフリーライターでも参入できる狭いジャンルでなくては。みんながなんとなく知っていて未開拓のジャンル、そこでトップを目指せばいい。それならば、格好の題材があるではないですか。そう、「名代 富士そば」です。突き詰めていけば、富士そばの第一人者になれるはず。地位を確立できれば、富士そばファンブックの制作も実現するかもしれません。淡い期に胸がふくらみました。

 

いまはなき吉祥寺サンロード店。2014年5月撮影。▲いまはなき、吉祥寺サンロード店。2014年5月撮影。

 富士そばの第一人者を名乗るためには、なにはなくとも実績が必要です。私がまず目標に掲げたのは富士そばの全店制覇。その過程で食べたメニューを紹介するために、ブログ「富士そば原理主義」も開設しました。そして、2014年5月1日、ブログに最初の記事を投稿。この日から、私の“富士そばライターへの道”がはじまります。

制作前夜③に続く


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富士そば同人誌 制作前夜① 富士そば本の企画が爆死した話

2023-09-03 00:06:21 | 日記

 BOOTHにて、富士そば同人誌「フジソバマニア」を出品しています。この記事では「フジソバマニア」を制作するに至った経緯をふりかえります。 


 いまから11、12年前、私は神保町の編集プロダクションに在籍していました。出版社や広告代理店などの制作を請け負っている、昔ながらの編プロです。私はそこでライター兼編集者として活動していました。
 この編プロは自社出版も手がけているため、月に一度、書籍の企画会議を開いていました。社員が持ち寄ったアイデアを吟味して、売り上げが見込めそうなら書籍化の道が拓かれます。しかし、企画はそう簡単に通るものではありません。年に2、3冊程度の出版ペースだったので、当然といえば当然です。私の企画もご多分に漏れず、不発続き。在籍していた3年の間、手ごたえのあったためしがありませんでした。
 いろいろな企画を考えましたが、とりわけ印象に残っているのが「名代 富士そば クロニクル」です。イメージしたのは『謎のブラックサンダー』(PHP研究所)のような、富士そばのファンブックです。当時の世間的なイメージからすると、富士そばはよくあるチェーン店のひとつくらいにしか考えられていなかったように思います。
 かくいう私も企画を考えた時点では、富士そばをよく知りませんでした。知らないどころか、まともに食べたことすらありませんでした。そんな私がなぜ、富士そばファンブックの書籍化を思い立ったのか。きっかけとなったのは、東海林さだお氏の『偉いぞ! 立ち食いそば』(文春文庫)との出会いです。


 立ち食いそばをテーマにしたエッセイ集で、このなかで著者は前人未到の「富士そば 全メニュー制覇」にチャレンジします。そこから、富士そば創業者・丹道夫氏と著者の対談も実現。複数の子会社で店舗を運営している、変わった店舗限定メニューがある、創業者が作詞活動している……など、富士そばの知られざる一面が次々と明らかにされていきます。「これは掘り下げがいがありそうだ」。そう思った私は、エッセイのなかの情報をまとめ、そっくり企画書に落としこみました。
 今にして思えばかなり短絡的です。それを見透かしてのことでしょう、同僚のひとりが企画書を読んでこう言い放ちました。「これ、だれが書くの?」。そう、専門書には識者が付きもの。富士そばに造詣の深い人が制作に関わらないと、ファンブックとして「弱い」と指摘しているのです。たしかに、富士そばに特化したライターやマニアなんて聞いたことがない。これには反論の余地もありません。
 さらに、もうひとりの同僚が追撃します。「これ、だれが読むの?」。核心を突かれたような気がしました。できるだけ考えないようにしていましたが(それがもうダメ)、果たして富士そばのファンブックに需要があるのか。そもそもファンなんて存在するのか。もはや、ぐうの音も出ません。動揺しすぎたあまり「ほんと、だれが読むんですかね?」と訊き返しそうになったほどです。
 結局、富士そばファンブックの企画は惨敗。私は富士そばのことを記憶の隅に追いやり、それからしばらく思い出すことはありませんでした。


富士そば同人誌 制作前夜②に続く


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