読む 富士そば

立ち食いそばチェーン「名代 富士そば」で見つけた珍そばをご紹介。

富士そば同人誌 制作前夜③ つゆの味にカルチャーショックを受けた話

2023-09-14 11:27:45 | 日記

 BOOTHにて、富士そば同人誌「フジソバマニア」を出品しています。この記事では「フジソバマニア」を制作するに至った経緯をふりかえります。 

 富士そば同人誌 制作前夜②はこちら。


 富士そば全店制覇の道のりは、とてもゆるやかなものでした。東京・神奈川・埼玉・千葉の約110軒を巡ることに気後れしましたが、とくに焦りはありませんでした。べつに競争相手がいるわけでもなし、タイムリミットがあるわけでもなし。駅チカを攻めれば1日に4、5軒まわれるので、いざとなったら追い込みをかければいいだけのこと。まるで、ブルーオーシャンを独り占めしている気分でした。
 実際のところ、謎の優越感にも満たされていました。「自分だけが富士そばの魅力を知っている」「富士そばを食べ歩くヤツなんて自分だけだろう」と、愉悦に浸っていました。今にして思えば、とんだ勘違い野郎です。


▲いまはなき後楽園店 2014年5月

 ゆがんだ自己愛を育みながらも、私は富士そば巡りを素直に楽しんでいました。いなたい雰囲気というか、すがれた雰囲気というか。あの独特の空気に次第に惹かれるようになっていったのです。サラリーマン、酔っ払い、学生風、ホストの同伴、職業不詳……と、その場にいる誰もが何ごとも期待していない感じ。華やかさとは無縁の世界に妙な親近感を覚えました。


▲六本木店 2015年5月撮影

 一方で、受け入れられない部分もありました。それは富士そば、というより関東のそばの「味」です。沖縄出身の私にとって「そば」といえば「沖縄そば」。上京するまでの22年間、沖縄そば一筋で育ってきたため、いわゆる「日本そば」の味に慣れるまで時間がかかりました。
 とくに醤油の効いた関東特有のつゆが強敵で。塩で味つけする沖縄そばのつゆと比べて、あまりにも刺激が強すぎます。老舗といわず、立ち食いといわず、どこで食べてもしょっぺえ、しょっぺえ。ただの固定観念に縛られているだけなのですが、富士そば巡りをするまで、そば自体を疎んじていた節もあります。
 しかし、慣れとは恐ろしいもので、今では週4で富士そばに通うまでに。そう、人はいくつになっても変われるのです。

制作前夜④に続く


珍そばの記録はこちら▼
富士そば原理主義|深淵なる珍そば・奇そばの世界


富士そば同人誌 制作前夜② 富士そば全店制覇を決意した話

2023-09-07 01:29:49 | 日記

 BOOTHにて、富士そば同人誌「フジソバマニア」を出品しています。この記事では「フジソバマニア」を制作するに至った経緯をふりかえります。 

 富士そば同人誌 制作前夜①はこちら。


 富士そばファンブックの企画提案で爆死してから数年後、私は編プロを卒業し、フリーランスのライターとして独立することになりました。
 新たなスタートを切ったわけですが、順調な船出とはいきませんでした。とくに伝手もコネもなかったので、一から取引先を開拓しなくてはならなかったのです。出版不況の真っ只中ということもあり、出版社や編プロに営業をかけても、梨のつぶて。担当者との顔合わせに至るのは、5件に1件程度でした。仕事につながる確率となると、さらに低くなります。
 そこで、私は考えました。ライターとして何か得意分野を作ろう、と。「グルメ」や「スポーツ」「ライフスタイル」など、特定のジャンルに精通していれば、ほかのライターよりも優位に立てます。とはいえ、一般的なジャンルは競合ひしめくレッドオーシャン。付け焼き刃が通用する世界ではありません。ポっと出のフリーライターでも参入できる狭いジャンルでなくては。みんながなんとなく知っていて未開拓のジャンル、そこでトップを目指せばいい。それならば、格好の題材があるではないですか。そう、「名代 富士そば」です。突き詰めていけば、富士そばの第一人者になれるはず。地位を確立できれば、富士そばファンブックの制作も実現するかもしれません。淡い期に胸がふくらみました。

 

いまはなき吉祥寺サンロード店。2014年5月撮影。▲いまはなき、吉祥寺サンロード店。2014年5月撮影。

 富士そばの第一人者を名乗るためには、なにはなくとも実績が必要です。私がまず目標に掲げたのは富士そばの全店制覇。その過程で食べたメニューを紹介するために、ブログ「富士そば原理主義」も開設しました。そして、2014年5月1日、ブログに最初の記事を投稿。この日から、私の“富士そばライターへの道”がはじまります。

制作前夜③に続く


珍そばの記録はこちら▼
富士そば原理主義|深淵なる珍そば・奇そばの世界

 


富士そば同人誌 制作前夜① 富士そば本の企画が爆死した話

2023-09-03 00:06:21 | 日記

 BOOTHにて、富士そば同人誌「フジソバマニア」を出品しています。この記事では「フジソバマニア」を制作するに至った経緯をふりかえります。 


 いまから11、12年前、私は神保町の編集プロダクションに在籍していました。出版社や広告代理店などの制作を請け負っている、昔ながらの編プロです。私はそこでライター兼編集者として活動していました。
 この編プロは自社出版も手がけているため、月に一度、書籍の企画会議を開いていました。社員が持ち寄ったアイデアを吟味して、売り上げが見込めそうなら書籍化の道が拓かれます。しかし、企画はそう簡単に通るものではありません。年に2、3冊程度の出版ペースだったので、当然といえば当然です。私の企画もご多分に漏れず、不発続き。在籍していた3年の間、手ごたえのあったためしがありませんでした。
 いろいろな企画を考えましたが、とりわけ印象に残っているのが「名代 富士そば クロニクル」です。イメージしたのは『謎のブラックサンダー』(PHP研究所)のような、富士そばのファンブックです。当時の世間的なイメージからすると、富士そばはよくあるチェーン店のひとつくらいにしか考えられていなかったように思います。
 かくいう私も企画を考えた時点では、富士そばをよく知りませんでした。知らないどころか、まともに食べたことすらありませんでした。そんな私がなぜ、富士そばファンブックの書籍化を思い立ったのか。きっかけとなったのは、東海林さだお氏の『偉いぞ! 立ち食いそば』(文春文庫)との出会いです。


 立ち食いそばをテーマにしたエッセイ集で、このなかで著者は前人未到の「富士そば 全メニュー制覇」にチャレンジします。そこから、富士そば創業者・丹道夫氏と著者の対談も実現。複数の子会社で店舗を運営している、変わった店舗限定メニューがある、創業者が作詞活動している……など、富士そばの知られざる一面が次々と明らかにされていきます。「これは掘り下げがいがありそうだ」。そう思った私は、エッセイのなかの情報をまとめ、そっくり企画書に落としこみました。
 今にして思えばかなり短絡的です。それを見透かしてのことでしょう、同僚のひとりが企画書を読んでこう言い放ちました。「これ、だれが書くの?」。そう、専門書には識者が付きもの。富士そばに造詣の深い人が制作に関わらないと、ファンブックとして「弱い」と指摘しているのです。たしかに、富士そばに特化したライターやマニアなんて聞いたことがない。これには反論の余地もありません。
 さらに、もうひとりの同僚が追撃します。「これ、だれが読むの?」。核心を突かれたような気がしました。できるだけ考えないようにしていましたが(それがもうダメ)、果たして富士そばのファンブックに需要があるのか。そもそもファンなんて存在するのか。もはや、ぐうの音も出ません。動揺しすぎたあまり「ほんと、だれが読むんですかね?」と訊き返しそうになったほどです。
 結局、富士そばファンブックの企画は惨敗。私は富士そばのことを記憶の隅に追いやり、それからしばらく思い出すことはありませんでした。


富士そば同人誌 制作前夜②に続く


珍そばの記録はこちら▼
富士そば原理主義|深淵なる珍そば・奇そばの世界