一度、渡りかけたから渡り方を知ってたんよなぁ。だから向こう岸ではなくこっちの岸においでと声をかけてたつもりやったけど、その声かけが足りなかったみたい。あの人はどうしても向こう岸に行きたかったんやろうか?
今思うのは、無力さ。
繋ぎ止めることができなくて申し訳ない。
それがぐるぐるしてる。
あの人は大きな借金までしてたけど徳政令は出されなかった。それはつまり払えるだけの資力があったということ。手放したらよかったものも、資力があるがために残すかたちになって。実はこれがつらかったりしたかな?手放すようしたらよかったかなぁ。短くない年月をかけて接してきた財産に、思い入れがないなんてこと、ないのに。思い入れありすぎるよな。ごめんなぁつらかったんよなぁ。ほんまごめん。謝罪の言葉しか出てこん。
ほかの身内は関わらんようにしてた。
自分で作った借金や実情は本人の責任という。当事者が一対一の場合、悪いのはどちらも悪い。正義と正義がぶつかり合うだけで、どっちも正しいから逆にどちらも間違ってる。言葉遊びみたい。
そう割り切る周りはそれでいいと思う。ただ私はそうではなかっただけで。身内やし両親もすでに他界してて親戚は末端の北にいる。そしてあの人は末端の南にいてた。1人故郷をはなれて仕事がんばってた。それを想像すると、よく頑張ってきたなと思う。しばらく連絡をとってもなかったけど、幼少期に遊んでもらったり、長い休みのとき遊びにきてくれたときの記憶はまだ新しい。
過ごした時間は少ないけど濃い時間を過ごせたから、時間が経っても親しく思う気持ちは色褪せなかった。
そんな人が川を渡りかけ、身軽になり、借金を弁済していかなくてはならなくなった1人で。心配する以外になくない??
だからこうも借金て人の心を遠ざけるものなんやと痛感した。
周りの身内は私があの人に関わることをこれでもか?てくらい心配してきて。年賀状出したことも避難された。なんで出したん?て。
え?逆になんで出さんの?もっと心配してや?川渡ろうとしたんやで??なんで???
まあ、もうここはどう話し合っても変わらんとこやから仕方ないかと切り替えた。
そんな身内で唯一1人、連絡とってる人がいて、その人と私はあの人と関わり合ってた。ラインのグループ作ったりもした。同じ気持ちなのかはまだ話聞いてないからわからんけど、おそらく同じ無力を感じてると思う。
何もしてやれなかったことに、後悔してる。
だからそんな私らに、ほかの身内から大丈夫?と声かけられるのは、我慢ならんかってん。
うちの心配より、あの人の心配をしてほしかった。
そう叫んだしまってた。
そう言うたことに後悔はしてない。だって猫とのほほんと暮らして仕事くらいしかしがらみがないうちの心配より、川を渡りかけたあの人の方がもっと心配じゃね?て思ったから。
あの人と私の違いってなんなんやろ。身内という立場では一緒やのに。そうきっと借金やろうな。そう思う。
ああ、ほんま今日は酒がまずいなぁ。酔えねぇよまったく。
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