私の感情三大理論で、度々登場する客観視あるいは客観という考え方だが、分かりやすく説明するので、この機会にマスターして頂きたい。
さて、客観の対語は、主観である。主観は、主体とも言いかえられるから、客観は、客体ということになる。つまり、主体の対語は、客体ということなのである。
ここでいう主体とは、能動的な自分を指す。また、客体とは、分かりやすく説明すると、主体とはまた別の、もう一人の自分のことを指す。それは、バッターボックスに立つバッターに例えられるバッター心理そのものであり、能動的ではない自分自身は、全て客体と言えることになる。
ここまで説明したところで、違和感を感じる方がいらっしゃるかもしれない。しかし、それは、私の理論が、如何に独創的なものであるかを指し示す所以となる事象であって、これら全てを出来る限り、通念上の概念に照らし合わせたものとしてご理解頂きたい。
ちなみに、広辞苑によると、主観とは、感覚・認識・行為の担い手として意識をもつ自我をいう。客観とは、1.主観の認識および行動の対象となるもの。2.主観の作用とは独立に存在すると考えられたもの。とある。客観視の理論は、この一文から来ていることは、既に述べた通りである。
ここから、私独自の理論を展開させていく。主体と客体の関係性は何かということである。皆様のご自分の身体の五感で判断して頂きたいのだが、例えば、スマホの画面を見ようとする自我は、明らかに主体である。また、画面そのもの、また、もしくは画面を見て、楽しむ自分自身は、客体である。
そして、私は、客体には、第1客体と、第2客体が存在して、主体→第1客体→第2客体→主体というようなトライアングルの形になると仮定した。客体の何を以て第1と第2を分ける指標になるかというと、例えを挙げて、スマホを見て楽しむ自分自身が、第1なら、スマホに夢中になって駅を降り損ねる君自身が、第2だと言えるだろう。くれぐれも粗相の無いようにしたまえ。最後に、君が吾に返って、元の状態に戻ったその時が、主体であるということになる。この理論を、トライアングルの法則と呼ぶ。
さて、ここまで説明したところで、客観視のススメなるものが何たるかを考えてみよう。皆様は、もちろん日常に役立つアイテムとしてこのブログを拝見しておられることと思う。その要望に応えられるよう配慮する。
客観視とは、自分自身が意識しないまたは、出来ないところを合理的に意識させて、普段は出来ない行動・姿勢・態度を瞬時にまたは、スムーズに行うことと言える。それはあたかもサッカー選手が、全て封じられたシュートコースを巧みに操ってゴールするのと良く似ている。日本のサッカーは、組織つまり全員で行う訳であるから、理論からしても進化していると言えるだろう。
今回は、客観視のススメについて論じて参りましたが、皆様いかがだったでしょうか?客観視の理論は机上の空論などと思わずに、是非、あれこれと訓練して下さい。そして、あなたの隠れた才能を披露して周りの方々を驚かして下さいね。
では、また次回お目にかかりましょう。
平成二十七年 十二月二十一日
安達 紀行