ここのところ、ずっとあまりにも忙しくて、体力が持つのか?と思っていたが、
なかなか頑丈な身体で、かぜをひくこともなく、へたることもなく、どうにか山を越えた!
我ながら丈夫な身体だと思う・・・・
今朝、あさイチを見ていたら、親が認知症になった方のことを放送していたが、わたしも母の認知症と10年ほどつきあった。
姉が二人いるので、三人で協力できたことも心強かったかもしれない。
テレビのなかではあまりにも親の認知症を真面目に重く受け止める人が多いことにびっくりした!
「呆けちゃったら死にたい」と言っていたわたしの母は、しっかり人間の生命力をみせつけて見事だったので、
わたしもそれにしっかりつきあったと思う。
ただ、母は足が悪く、徘徊がなかったのでその大変さは経験していない。
朝、起こすと「今日はきのこを取りに山に行くよ」と言ったり、
「こんなに朝早くからおかあさんどこいっちゃったの?」と私と孫がごっちゃになったりしていた。
けれど、認知症の母に会話も合わせてしていたら何も苦ではなかったし、娘のふりもできたし・・・
おもしろい会話で笑えた。母は死ぬまで62才のままで時は止まっていた・・・
廊下に落ちていた母のウ○チを娘がふんじゃった時は、
「運がついてよかったじゃん!、絶対受験受かるよ」と笑えた。
人間はたぶん死ぬ前に生まれた時と同じ赤ちゃんのように戻っていくんだと思った。
だから母の認知症は自然なこととうまくつきあえたから、悩むことも何もなくすごせた。
おむつ交換や着替えは大変だったけれど、これもコツを教えてもらえば、うまくできるようになった。
尊厳とかは、死ぬときはどうでもいいと思えた。
生き恥さらして、みんなに迷惑かけて死んでしまうことも自然に思える。
親が認知症で介護に疲れてしまう人がたくさんいる、けれど、どこかで開き直ってくださいと思う。
呆けようが、どうしようが親は親、親はそんなにかっこいいものじゃないし、人間はそんなにかっこいいままではいられない。
ただ、父が亡くなった日、母にそれを話したら、母は涙をいっぱい流して、一日中デイサービスでも泣いていたと聞いた。
認知症でもきちんと感じる心はそのままだということにはっと気づいた。
人間ってすごいと思えた。
なかなか頑丈な身体で、かぜをひくこともなく、へたることもなく、どうにか山を越えた!
我ながら丈夫な身体だと思う・・・・
今朝、あさイチを見ていたら、親が認知症になった方のことを放送していたが、わたしも母の認知症と10年ほどつきあった。
姉が二人いるので、三人で協力できたことも心強かったかもしれない。
テレビのなかではあまりにも親の認知症を真面目に重く受け止める人が多いことにびっくりした!
「呆けちゃったら死にたい」と言っていたわたしの母は、しっかり人間の生命力をみせつけて見事だったので、
わたしもそれにしっかりつきあったと思う。
ただ、母は足が悪く、徘徊がなかったのでその大変さは経験していない。
朝、起こすと「今日はきのこを取りに山に行くよ」と言ったり、
「こんなに朝早くからおかあさんどこいっちゃったの?」と私と孫がごっちゃになったりしていた。
けれど、認知症の母に会話も合わせてしていたら何も苦ではなかったし、娘のふりもできたし・・・
おもしろい会話で笑えた。母は死ぬまで62才のままで時は止まっていた・・・
廊下に落ちていた母のウ○チを娘がふんじゃった時は、
「運がついてよかったじゃん!、絶対受験受かるよ」と笑えた。
人間はたぶん死ぬ前に生まれた時と同じ赤ちゃんのように戻っていくんだと思った。
だから母の認知症は自然なこととうまくつきあえたから、悩むことも何もなくすごせた。
おむつ交換や着替えは大変だったけれど、これもコツを教えてもらえば、うまくできるようになった。
尊厳とかは、死ぬときはどうでもいいと思えた。
生き恥さらして、みんなに迷惑かけて死んでしまうことも自然に思える。
親が認知症で介護に疲れてしまう人がたくさんいる、けれど、どこかで開き直ってくださいと思う。
呆けようが、どうしようが親は親、親はそんなにかっこいいものじゃないし、人間はそんなにかっこいいままではいられない。
ただ、父が亡くなった日、母にそれを話したら、母は涙をいっぱい流して、一日中デイサービスでも泣いていたと聞いた。
認知症でもきちんと感じる心はそのままだということにはっと気づいた。
人間ってすごいと思えた。