孫の響は、2月で3才になる。
LINEのビデオ電話をよくするんだけれど、未だに夏に死んだ我が家の猫のこだまのことを
「こだちゃんは?」と聞いてくる。
以前はビデオ電話にこだまをよく見せていたし、我が家に響がくるとこだまが大好きだったから。
お盆に来たとき、こだまの小さな骨を庭にみんなで埋めてあげたけれど、響にとってはその骨と生きていた
こだまが結びつかないらしい・・・
響にはまだ死ぬという概念が理解できていない。
舞ちゃんはこだまが死んだということ、もう二度と会えないということ、悲しみとが結びついている。
5才ぐらいにならないと、もう二度と会えないという悲しみを自分のものとして受け止めることは
難しいかもしれない。
だから1才や2才の子供は、ママと離れる時、大泣きするのは、もう会えない不安と戦っているのかもしれない。
もう会えない、会いたい・・・・・・それは哀しみの感情と表裏一体なんだろうな。
響はまたお正月に我が家にきても、「こだちゃんは?」とこだまを探し回るかもしれない。
成長するっていうことは、哀しみや孤独を自分のものとして受け止めるっていうことでもあるのかもしれないな。
あまり気温があたたかいので、11月にまだ庭で鈴虫が鳴く
LINEのビデオ電話をよくするんだけれど、未だに夏に死んだ我が家の猫のこだまのことを
「こだちゃんは?」と聞いてくる。
以前はビデオ電話にこだまをよく見せていたし、我が家に響がくるとこだまが大好きだったから。
お盆に来たとき、こだまの小さな骨を庭にみんなで埋めてあげたけれど、響にとってはその骨と生きていた
こだまが結びつかないらしい・・・
響にはまだ死ぬという概念が理解できていない。
舞ちゃんはこだまが死んだということ、もう二度と会えないということ、悲しみとが結びついている。
5才ぐらいにならないと、もう二度と会えないという悲しみを自分のものとして受け止めることは
難しいかもしれない。
だから1才や2才の子供は、ママと離れる時、大泣きするのは、もう会えない不安と戦っているのかもしれない。
もう会えない、会いたい・・・・・・それは哀しみの感情と表裏一体なんだろうな。
響はまたお正月に我が家にきても、「こだちゃんは?」とこだまを探し回るかもしれない。
成長するっていうことは、哀しみや孤独を自分のものとして受け止めるっていうことでもあるのかもしれないな。
あまり気温があたたかいので、11月にまだ庭で鈴虫が鳴く