更年期の箱の中

更年期の毎日の中で思うことなどを書いています。

鏡よ鏡

2023-02-22 18:05:46 | 日記

書きながら考えてみたいことがいくつかあって、そのどれもなかなかまとまらないまま時間が経ってしまいました。このままだと、せっかく良いペースでアウトプットできていたのにもったいないなと思ったので、今日は何かしら書き切りたいと思います。

まず、このところ気になっているキーワードをいくつか並べてみて、書けそうなやつがあるか見てみます。この日記がただの下書きメモになりませんように。。。

罪悪感、今の自分が恥じている過去の自分、因果応報、自己肯定感、鏡。ちょっとダークサイド寄りで、まだまだあったような気もするけれど、おそらくこれらについて考えていくと、結局一つにまとまってくるような予感がします。

鏡から行ってみようかな。いつかの日記に書いた知人に関係する話です。

この知人が来月にまた家に1週間ほど滞在することになっています。前回の滞在後に色々考えることがあったり、夜中に胃痛で目が覚めるくらい胃腸にも来てしまって、なぜこんな風に彼女に反応してしまうのか、思うことをメモに書き出して自分の心理を掘り下げている最中です。彼女とは家族を介した関係があるので、これからもそれなりに上手く付き合えるようにしたいのです。

自分の心理を掬い出して文字にして確認する作業はまだまだ途中で、腹落するところへは辿り着けていません。ただ、このタイミングでなんとなくわかっているのは、彼女は今の自分が恥じている過去の自分を映し出している鏡なんだなということです。まだ、私自身もそれを素直に認められないでいます。だけど多分そうなのです。

彼女は私の娘であってもおかしくない年齢です。そんな彼女に対する私の感情をランダムに書き出しているメモを見ていて発見したことは、私たちには共通点があるなということ。これについて二人で話したことも今後話す予定も無いけれど、お互いに自己肯定感がとても低い。インスタグラムかなんかで「自己肯定感」という言葉をよく目にするようになった頃は、その意味が全くわかりませんでした。この自己肯定感があまりにも低いが故に、彼女の場合は他者に対してパッシブ-アグレッシブ(受け身の立場を取り、相手を間接的に攻撃するコミュニケーション方法)に出てしまっているのだろうという推論を立てています。

どういう仕組みかというと、自分の欲求や要求を素直に表現して相手に許容されて相手から与えらた経験が少なく、欲求や要求を否定されたこと(悲しい、悔しい、絶望感)が強く太く記憶に刻まれているので、自己防衛手段として相手の顔色を伺い、そこから相手が求めていることを推察し、相手に許容されるように振る舞うことに長けてしまった。その弊害として、自分自身の欲求や要求を素直に表現することができない以前に、それが何かを自分に問うこともしない。無駄だし、自分自身が否定されるような結果を招くのは嫌なので。だからいつも受け身の立場を取るものの、実際は心の奥に自身も上手く認識できていない欲求や要求はしっかりとあり、それを許容してもらえないことへの憤り(強い思い込み)もあるので、なんだか歪んだ表現となって振る舞いに出てしまう。

まさにこれを、若かりし頃の私自身が周りに対してやっていたのだと思っています。

この「若かりし頃の私自身」との折り合いがついていません。50歳を目の前にして人生の棚卸しをしようとしている49歳のおばさんにとって、今の自分が恥じている過去の自分と対話することは難儀です。それでも、知人との関係に持続可能な健全性を見出すためには、何よりもこの先の人生をもう少し明朗会計で少ない荷物で歩んでいくために、おそらくここがキーポイントになるだろうことがわかっているので、もう少し時間をかけて、心の準備をして、過去の自分と対話をしたいと思っています。


美容院を変えちゃったぞ

2023-02-12 10:13:00 | 更年期のお悩み

美容院を変えました!先日のマイナス我慢をやめる宣言を受けて、その第一弾として実行に移したのがこれです。

これまで何回も引っ越しをした話は以前書きましたが、引っ越しをするたびに結構困ったのが美容院探し。今の住処へ引っ越して来た時も、しばらく美容院を探して毎月ホットペッパービューティーのお世話になりました。その前に住んでいたところでお世話になっていたスタイリストさんとの相性がとても良かったことと、引っ越し前と引っ越し先の街の規模感というか繁盛感に大差がある(選択肢の数が激減する)ので、それを踏まえて私に合う美容院を見つけることは難しいかもしれないという諦めの準備をして挑みました。

美容院探しはすごく難しくて、まずは価格帯と、美容院という箱の雰囲気との相性みたいなものと、その中にいらっしゃるスタイリストさんの誰に当てがわれるか(運)の3大要素の絡み合いがあり、それらすべてが噛み合ったことがこれまでの人生の中で3回しかありません。母数は、母数はもう3桁になるんじゃないかな?

私は毎月美容院に行きます。私の頭部で極々まだらに市民権を取得中の白髪メンテナンスには時間とお金がかかります(これはまた別の機会に絶対に書きます)。カット+カラー+トリートメントのメニューには少なくとも2時間半はかかるので、毎月、仕事ではない日の少ない自由時間を一緒に過ごす相手選びには慎重にならざるを得ません。

ホットペッパービューティーで振り分けられるところは価格帯と箱の雰囲気。箱の雰囲気はそれでも画像と実際に行ってみての体感とのギャップはかなり大きいことは大前提として、どうにもならないロシアンルーレットがスタイリストさんとの相性です。

引っ越し後の1年間は毎月美容院を変えてみて、スタイリストさんと毎回やらなきゃいけない自己紹介的なトークに疲れ果ててもいて、他の選択肢もなくなりつつあったので、「今日ここのスタイリストさんがイマイチでも、しばらく通うことにしよう」と決めて入った美容院で当てがわれたスタイリストさんに、先月まで4年間ずっとお世話になっていました。

微かな記憶を辿ると、初回もしっくり来ていたわけでは無かったけれど、美容院を変えるという退路を断っていたことと、次回の予約時に初回とは違うスタイリストさんを指名することが小心者の私にはできなくて、そのままズルズルと4年間、思考停止状態のまま髪のメンテナンスをお任せして来ました。

思考停止状態だったとは言え、ロングからボブに、ボブからショートに、つまりカットの技術が問われるイメージチェンジのあとはクエスチョンマークが浮かぶことも。。。「これ、オシャレじゃなくない?」

4年間も毎月通うと、しかも毎回2時間半から3時間も話をすると、「飲みに行きましょう!」とはならないまでも、お互いの家族構成から始まって生い立ちや生き方論や考え方のことまで話すことにもなり、結構知り合ってしまうのです。そうするとなんか噛み合わないなと思っても、髪型がしっくり来ないなと感じても、惰性で通い続けてしまったというか、そう思ってしまうことをスタイリストさんに対して申し訳なく感じてしまうようになり、美容院を変えるなんていう発想は浮かんでこなくなったのです。

それと、これは自分の中に確実にあったのに気づいていないフリをずっとしていたこと。もう40代のいわゆるオバサンの髪型がオシャレかどうか、スタイリストさんとの相性どうのこうのなんて、気にすること自体いい加減にしたら?的なことを、小さな声で自分に言い聞かせ、「でもオシャレじゃないんだもん」と歯向かう自分をなだめすかしていたのです。オシャレかどうかは私より若いスタイリストさんの方がよく知っているはずとか、スタイリストさんも40代のオバサンのオシャレの完成度には手を抜いて当然なのかも、とか。

「40代のオバサン」偶像と自分自身との間に橋が掛かって無くて、「40代のオバサン」偶像の崖っぷちから靄に包まれた自分自身の陣地の方を眺めてはなんともせつない想いのやり場に困っていた、そんな感じです。

そこで、マイナス我慢の潮時を迎えた私は、いよいよ久しぶりにホットペッパービューティーを開き、4年ぶりに違う美容院を予約して、初めて会うスタイリストさんに「今の髪型はオシャレじゃないと感じているのでオシャレにしてほしいです」と伝えました。

結果にはとても満足しています。髪型も気に入っている上に少し高揚感もあって、これは自己肯定感が上がったということなのではないか?と自問しています。


マイナス我慢の潮時

2023-02-11 13:51:13 | 更年期のお悩み

最近胃痛がひどく、先週は胃が痛くて夜中に目が覚めることもあって流石に病院に行きました。診察の結果、いくつか薬を処方してもらってしばらく様子見です。

この胃痛と並行してイライラする日が続きました。特定できる事象に対してすごくイライラしているのではなく、なーんかイライラするわーというやつです。いつもだったら「もうすぐ生理かな?」くらいで片付けていたけれど、今回のイライラはちょっと粘度が強い気もして、胃が痛いっていうのに更にイライラもしていてまったくもってめんどくさいのでした。

そんな状態のピークがやってきました。ハンガーに掛けていた夫の上着が落ちていたので、それを拾って掛け直していた時に、「あー、落としたー」と放った夫の一言に反応してしまいました。普段だったら聞き流して次の瞬間忘れてしまうようなことも、その日はイライラの粘度がそれを逃さず捕まえて「私は落ちていたものを拾って掛け直してるんですけど、私が『落とした』とコメントすることで、あなたは良い気持ちになるんですか?」なんて、言ってしまいました。

夫と私はほとんど喧嘩をしません。言い争いはしたことがありません。夫に対して私が、私に対して夫が嫌味を言ったり声を荒げることなんてありません。なので些細なことで私が突っかかったことに夫はびっくりしているようでした。もれなく私もびっくりしました。

そもそも夫に突っかかるつもりもなく、突っかかるような大事な理由もなかったので、夫にはその後、なんかイライラしているのでいつもとは違う反応をしてしまったことを謝りました。

その後に考えてみました。なんでイライラしているんだろう?まず、朝目覚めてから夜寝るまで、意識のどこかに胃が痛いというのが入っていること、病院に行ったり、いつものルーティーンと違うことが入ったこと、病院に行ったことで仕事のスケジュールが少し押し気味になっていること、挙げればそれらしい理由は幾つでも出てきますが、なーんかしっくりと腹落しません。なので深掘りしていきました。

まず、夫との共同生活についてです。夫も私も「ちゃんとしている」ことを大切にする性質があります。家庭の中のことで言えば、料理以外の家事は役割分担をしていて、(お互い再婚同士なので)結婚する前は一人でやっていたことを、同じクオリティで半分だけすれば良くなったので楽チン三昧。特に洗濯物の干し方やたたみ方や扱い方(脱いだものを脱いだ所に脱ぎっぱなしにしない、たたんだものをたたんだ所に置きっぱなしにしない)が妥協や無理なく合っている事は、私たちの共同生活の幸せポイント=ストレス軽減ポイントが一番高い所です。

家庭の運用方法の中で夫と私に目立った違いがあるとすれば、夫は料理をしない代わりに「ちゃんとしてますか?パトロール」をしてしまいがち。あまりにも「ちゃんとしている」ことが当たり前過ぎて、「自分はちゃんとしてますけどあなたはどうですか?」的な圧が無いことも無く、私の場合は夫が「できない」と言い張る料理をしているので、「私は料理をしていますが何か!」という別の圧を返して均衡を保っています。

先日の件でも夫は「ちゃんとしてますか?パトロール」中に上着が落ちていたら気になるし、自分が落としたのでなければ私が落としたことになるので、「あー落としたー(落とした人が拾って元に戻すことは当たり前ですよね)」と言ってしまうのです。夫と私の共同生活の中では、このコメントに悪意はないのです。それでもやはり、その犯人探しみたいな視点と言い方、どうにかならないだろうか?ということを伝えてみました。

それまで夫がパトロール中に悪意なく放って来た言葉の数々にも、受け流す前に一旦我慢を挟んでいたのでしょう。せっかくそれが意識の表面に上がってきたので、これからの共同生活を少し良いかたちで継続していくために夫に改善を促した。この一連の流れが私を新境地へ誘い、この次の日に自分に対して「もう生産性のない我慢をすることをやめよう」という宣言をしました。

生きていく上で、必要な我慢もあるんだと思います。捉え方次第だとも言えますが例えば、何か欲しいものがあるからしばらくは節約をするというのは生産性のある我慢。ひとまわり大きな目標を達成するために、目の前のことを我慢するケース。生産性のない我慢というのは、自分が飲み込んでしまえば荒波立てずに済むケース。つまり「無かったこと」にする我慢。

私はこの狭小新境地で声高らかに「美容院を変えちゃうぞ!」ともう少し具体的な宣言をするのでした。


二重螺旋の心理 2

2023-02-03 17:55:46 | メンタルヘルス

前回の同タイトルのブログでは、カウンセリングを受けていること、カウンセリングを受け始めたきっかけ(人生の棚卸しと困った知人への対応策)、知人にはパーソナリティー障害の特性が見られてとても不安定な状態であること、知人のパッシブ-アグレッシブ(受動的攻撃性・行動)に振り回されて疲弊してしまうこと、そしてカウンセリングの2つの目的が連結し始めたことを書きました。

つい最近、例の知人が我が家に数日間滞在して帰って行ったので、続きを書こうと思います。

まず、私のカウンセリングですが、やっぱり50年も生きると人生の棚卸しはとてもしんどいものです。日常のルーチンで蓋をして見向きもしなくなっていた若かりし頃の記憶に集中し、掘り起こし、その時の感情に想いを馳せる。この非移動型タイムマシーンの旅は脚力が要るものでした。どういう意味かというと、過去の記憶や感情に焦点を当てようとすると、自分の存在の足元が揺らぐ感覚に陥ってしまい、カウンセリングセッションの後は異様に疲れるということがありました。そしてなぜか顔が真っ赤になるという現象も起きました。カウンセリングの時間内に自分で言葉にできなかったことは、その後も引きずって考えていたので、通常の更年期障害の目眩に更に高速スピンをかけたような感じでした。また自分の意識の奥にある感情の領域に接続した心理状態はとても無防備で、メランコリックというのか、刺激に弱くて傷つきやすい心を抱え、身体がまたまたフラフラするのでした。こういった反応は全て想定の範囲内ではあったものの、10代の頃の実家での生活や、当時の感受性と同期して両親を思ったりすることは、まぁ痛々しい作業でした。

というのも、私は父との関係性が上手く築けないまま大人になってしまって、今でも父と二人きりで語らうことができません。父は厳格な人で、その厳しさは躾の範囲を超えていて、幼少期のかなり早い段階から父には何を言っても一言目に否定されると感じるようになり、直接話し掛けた記憶はほぼありません。ただやはり親娘は複雑で、私は父を心から尊敬し愛しています。父に認められたい思いは人一倍強かったと思います。私には兄弟がいますが、父との関係が拗れているのは私だけです。

そんな家庭の中で、いつも父とのコミュニケーションの橋渡しをしてくれていたのが母です。私は父に直接話しかけることができなかったので、父への相談事はいつも事前に母に話し、夕飯の時間に母が口火を切って話を振ってくれて、父の反応次第で私が話し出すという段取りになっていました。母は、父が仕事から帰宅した瞬間にその日のご機嫌を察知し、父のその日のお臍がどこにあるか、ジェスチャーで報告してくれました。お腹の真ん中にある時は機嫌が良い(今日は話をするのに良いタイミング)、お腹の横にある時は不機嫌・職場で何かあったらしい(なので、父への相談事やお願い事は別の機会にした方がいい)、お臍が背中まで回っている時はお怒りモード(なので、夕飯の時間は静かにしていた方がいい)という風に。

それで上手く行っていたかというとそうでもなくて、母が話を振ってくれても父の顔を見るのも怖くて話せないこともあり、そうすると、父に相談をせずに決断や物事を進めてしまって、後日、事後報告を受けた父に烈火の如く怒られるというパターンが多かった気がします。当時は、父はやっぱり私の一挙手一投足が気に入らないんだと、この世の終わりのような被害者モードに入って心を痛めていましたが、今思えば、父はただ単に相談してもらえなかったことが寂しかったのではないか?と、自分も親になり、そういう視点も持てるようになりました。

カウンセリングの中でこういったエピソードを丁寧に掘り起こし、成長期の自分自身の物事の捉え方が、今の私の自己イメージと自尊感情、それらをもっての社会性にどう影響しているのかという分析を行ってきました。

このワークを続けて行くと、時々知人の姿がチラつくようになりました。彼女の「何もできない」アピールとパッシブ-アグレッシブ(受動的攻撃性・行動)が、昔々に私が母を通してやっていたことと重なって見えてきたのです。彼女の目線に立って、彼女の今の状態に思いを寄せることができなくもないことに気づきました。

知人が育った家庭環境は複雑で、様々な事情から、彼女の父親の絶対的な支配のもとに家庭がやっと回っていたと聞いています。子供らしく振る舞ったりわがままを言ったりということも難しいと感じることが多かったそうです。一方で、彼女が結婚する前には「私はお父さんみたいな人と結婚する」と言って憚らない一面もありました。彼女がメンタル不調を見せ始めたのは、就職のために実家を出た頃からだそうです。

これは、私の想像の中だけの解釈ですが、彼女が私に対して執拗に「何もできない」アピールとパッシブ-アグレッシブ(受動的攻撃性・行動)をするのは、自分を認めて欲しい、注目してほしい、助けて欲しいという愛情を求める心の叫びなのではないか?両親からの安定的な愛情を受けて健全な自己イメージを形成することができずに大人になってしまい、実家から離れて生活し始めた途端、それまでは物事の判断の絶対的な指標であった父親の存在がない中で、自己イメージをどこへ投影すれば良いかわからなくなってしまったのではないか?つまり、だいぶ飛躍しますが、自己認識の評価の軸が完全に父親依存になっているのではないか?

私にとって非常に面倒なのは、彼女が愛情を求める対象は彼女の両親であり、決して私個人ではないにも関わらず、代替案として私にパッシブ-アグレッシブをして要求を満たしていることです。彼女の人間関係の中で、私が親っぽい存在に一番近い機能を持っていると狙いが定まり、ターゲットになったのだと思っています。

彼女の私への意思伝達方法であるパッシブ-アグレッシブについて、ものすごく簡単な例を挙げておきます。例えば、外がめちゃくちゃ寒いので彼女は出かける前に私のコートを借りたいと思っているとします。その時に彼女は「あー、外寒そうだな、こんな薄着で大丈夫かな?」「心配だな、大丈夫かな?」「ねえ?外すっごく寒そうだよね?大丈夫だと思う?」と、私の後をチョロチョロついてきてずっと喋り倒します。「厚手のコートを持ってきていないから、コートを貸して欲しい」と言えないのです。いつもこの方法で要求を執拗に伝えてくるので、いつからか癪に触るようになってしまいました。以前の私は、彼女の体調のこともあるので、外が予想外に寒いと感じたら「コートを貸してあげようか?」って自ら提案したりしていましたが、最近では、彼女がコートを借りようとしてパッシブ-アグレッシブを始めると、それをスルーしようという意地悪も混ざった考え方をするようになりました。

それから、距離の取り方にも問題があります。彼女は私と二人きりの時はずーっと、私にピッタリとくっついて自分のことを喋り続けます。例えば、私が仕事から帰宅してお風呂掃除をするとします。すると、お風呂場の入口に立ってずーっと喋り倒します。こちらが何をしているかとか、家の中の動線には全く無頓着なのです。もう一つの例として、私がリビングでソファに座っているとします。そうすると私の目の前にオットマンを引っ張ってきて、目の前1メートル以内の位置にラッチオンして私の視界を完全に独占して喋り倒します。これが家族だったとしてもかなりの圧迫感で不快になる距離です。

これらのエピソードはあくまでも他愛のないものです。実際には、もっとおどろおどろしい展開が満載なのですが、そこは割愛します。こんな彼女が数日間家にいると、それはそれは疲れました。これまでは、彼女が帰った翌日は確実に仕事を休んで一日中放心することが必要でした。頭の中はモヤモヤして、彼女とのやり取りを反芻しては、一人でイライラしてそれをどうにもこうにも処理できなかったのです。

今回、カウンセリングを受け始めて初めての知人対応を終えて、様々な改善が見られました。まず、彼女のメンタルの状態は彼女自身が気づいて自分で解決しなければいけない問題であり、私には関係ないという線引きを、心の中でできるようになったこと。「線引き」は難しいです。でも、この宣言文を頭の中に刻んでおくだけでも、心の乱れがだいぶ落ち着くことが実感できました。それから、彼女の実際の言動の中で、私の心に特に引っ掛かりを残した事実、その事実を私がどう解釈したか、私が取った対応、所感、それを細かなエピソード毎に表に書き出して整理しました。それから、パーソナリティ障害の分類の中から、彼女の言動に当てはまるものを私個人の解釈で紐づけました。境界性、自己愛性、依存性、強迫性、それからパーソナリティ障害の分類の枠外ですが、受動的攻撃・行動。主にこの5点の特性の中に当てはまるものが多いので、整理をしました。

それには時間とかなりの労力を費やしました。書き出したものを読み返すと、頭の中のモヤモヤが晴れて行って、翌日には彼女のことを悶々と考えることをしませんでした。なんということでしょう!もちろん、仕事を休む必要もありませんでした。驚異的です!

パーソナリティ障害について調べると、どの記事や資料にも、治療には本人の自覚と主体的な取り組みが大前提ということが書かれています。今の彼女には、自分を客観視することは難しそうです。かと言って私から何かを示唆することは考えていません。あくまでも私の中で、彼女の特性についての情報と自分なりの対応方法を持っておくことが必要だと考えています。私が自分の心の健康を守るための手段です。

私のカウンセリングはまだまだ続きます。これはもう、自分のメンテナンスのために、美容院に行くのと同じ感覚で続けたいと思っています。とても相性の良いカウンセラーさんに出会えたことにも感謝です。50歳にもなる今だからこそできる贅沢なのかもしれません。

いつか私の知人も、人生の中で難しいと感じることにパターンを見出して、自ら専門家のサポートを求めて行って欲しいなと思います。それまでは、周囲の人を巻き込んで依存しながら生きていくのかもしれません。それで彼女が困っても、それは彼女自身の問題であり、私みたいな人が薄っい母性で反応して、彼女の屈折した要求に応え続けることでは、決して彼女の状態を改善することはできないのだと、今は割と冷静に理解することができています。

今回で調子に乗ってしまわないように、ガードを高く頑張っていこうと思ってはいます。

 


幸運を祈り歩く人 - the best of luck! man -

2023-01-26 16:52:12 | 日記

どんな些細な不具合やら失敗やら落ち込むことなど、私から少しでも元気を奪う何かは全て更年期障害のせいにしている今日この頃。なんか嫌なことを考え始めてしまったら、記憶の中からちょっといい話を引っ張り出してきて、今の今から現実逃避をしています。

出勤前の犬の散歩中にふと思い出した昔のちょっといい話を書いておきます。

20年前くらいの昔々、元夫と結婚したばかりの頃にロンドンのカムデンタウンに住んでいたことがあります。元夫はロンドンから少し南にある郊外の出身で、ロンドンと言えばカムデンだと言い張り、カムデンに住んでいると友達に言いたいがために、やたらに狭くて間取りも良くない、しかも夜中はクラブになるバーが入っている建物の最上階に部屋を借りました。窓からカムデンタウンの駅が見えましたが、窓辺は鳩のフンだらけで、週末は積もり積もった鳩のフン越しに賑わう街を眺めていました。

このカムデンの駅から北へ向かうバス停の近くに、セインズベリーズというスーパーマーケットがあって、当時の我が家の食料品と生活用品はほぼここで調達していました。このカムデンのセインズベリーズ、今もあるのかどうか最近の事情はわからないけれど、突然記憶の表面に浮かび上がって来ました。

このカムデンのセインズベリーズには、「THE BEST OF LUCK!」(幸運がありますように、と訳しておきます)と大きな声を張り上げながら買い物をする大きな黒人の男性が出没しました。イメージに一番近いのは、ゴースト・ドッグに出ていた頃のフォレスト・ウィテカーです。彼はゆったりとしたペースで店内を歩きながら、店内にいる間中ずっと同じ言葉を同じピッチで繰り返し発声していたのです。叫ぶのとも違うし、唱えるのとも違うし、動詞に迷った挙句、「発声する」が一番近い感じになりました。誰かが彼に話しかけたとしたら、普通に会話ができた人だったと記憶しています。最初は「なんだあのキチガイ」的な意地悪な反応をしていた元夫が、からかうつもりで話し掛けたことがあったような無かったような。私も最初は「なんだあのキチガイ」って思っていたと思います。

結構な頻度であの声を聞いていたので、彼は当時の私と同じように、毎日その日のものをこまめに買い物するタイプの人だったようです。彼の姿が見えなくても、「THE BEST OF LUCK!」(幸運がありますように)が店内に響き渡ると、店内の空気が少し優しくなるような感じさえしました。いつの日か、「THE BEST OF LUCK!」(幸運がありますように)に対して、心の中だけで「あなたにも!」と自分でも唱えるようになりました。

そんな私たちも娘が生まれてカムデンからもう少し北の方へ引っ越し、あのセインズベリーズには行かなくなってしまってしまいました。その後はと言えば、誰も気づかないくらい毎日ほんの少しずつ家庭が崩壊して行って、しばらくは家庭の瓦礫の下に埋もれもがいていたので、あの黒人のことを思い出すことは何年も何年もありませんでした。

早朝の朝日が昇る気配の中で、てけてけ歩く犬の隣を歩く幸せを噛み締めていた時に、あんなに淡々と他人の幸運を祈り歩いていたあの人を思い出し、彼が祈った他人の幸運が巡り巡って彼のところへ届いているといいなと思いました。