nonokoのその日暮らし

母の頭の中の腫瘍

母の頭の中には
腫瘍がある。



2011年の母の日。

姉妹三人でお祝いしようと
名古屋駅で食事会をした。

初めて見る色付きの眼鏡をしている母。

すると
「目が見えなくなって眼科へ行ったら…」

え?!

目が見えなくなった?!


病院嫌いな母。

流石にこの時は病院へ行ったらしい。


目に刺激を受けないよう
光やテレビは見ない方がいい。

と病院で言われ
それでサングラスをしてるのだと言う。


鍼治療もして
少し良くなったらしいが
眼球もロンパリになっていて
「二重に見える」と言っていた。


その後
いつ頃だかはちょっと覚えてないが
眼球も元に戻り
相変わらずテレビは見ていないが
特に目がどうこう言うこともなく。



2015年 9月。

母から
「また目が見えなくなって病院へ行ったら、脳の検査をした方がいいって言われ、紹介状もらった」
と電話があった。


自宅近くの花火大会へ行った翌朝
見えなくなってたそうだ。

「花火見たのがいけなかったな。今は見える」
だから
脳の検査には行かない」
と言う。


え、いやいや
ちょっと待って!!!

単純に“目”の問題ではなく
もしかしたら脳の問題があるんじゃないの?!


検査するよう説得するが
行かない
の一点張り。

妹に話し
妹からも説得してもらったが
逆ギレされたようだった。




昔から病院嫌いで
病院に行ったことがない人。

それくらい 大した病気も
それまでなかったとも言えるが
風邪をひこうが熱が出ようが
膝が痛かろうが
絶対に行かないのだ。

そのくせ私がちょっと咳でもしたり
歯や頭が痛いとなると
「病院行ってらっしゃい!」
と言ってくる。



10月に入って
妹のところに
「検査に行く」
と母から電話が入った。

なぜ行く気になったのかは分からない。



眼科で紹介された病院でCT検査。

やはり脳に何やらあるそうで
MRIでもっと詳しく調べたほうがいいが
その病院にMRIはなく
また別の病院を紹介され
後日MRI検査。

腫瘍らしきものがあるので
「大きい病院で調べたほうがいい」と
また紹介状をもらった。



大きい病院の脳神経外科。


今日はこの検査。

次はこの検査。

色々と検査をした。

名古屋の私の家から母の家(今 私も住んでる家)まで
片道1時間半〜2時間の道のり。

病院はそこからプラス30分先。

何度も行き来した。


検査結果の日はもう12月になっていた。



脳ではなく
頭蓋骨に腫瘍ができていて
視神経を圧迫している。

もしかしたら聴覚神経にも及んでいるかも。

放置して
腫瘍が大きくなれば
失明や失聴の可能性も出てくる。


早く手術した方が良い。


母は基本
外ではおすまし屋さん。

静かに先生の話を聞いている。

私達姉妹の方が動揺。



腫瘍がありそうと分かってから
検査結果が出るまでの間
妹達と
最悪の結果や
最悪でなくても寝たきりになったら…。


私は名古屋。

上の妹も母の家まで車で2時間。

下の妹は車で1時間。


通院や入院で付き添うにも
離れていると大変。

同居するなら独り身の私。

でも母の所は不便だから
母を名古屋に呼び寄せる?

などなど
色々と姉妹で相談する日々。


先生に
名古屋だったらどの病院がいいかも聞いた。

二つ名前が上がり
そのうちのひとつの病院の方では
父方の親戚が脳神経外科医をしている。


ただもう父は亡くなっているし
母も世話になりたくないようだったのと
先生に「また一から検査になりますよ」と言われ
これまで付き添って見てて
もう負担かけるのは可哀想で
結果
転院せずにそこで手術をすることに。



2016年 1月に手術。

腫瘍があるのは頭の真ん中。

経鼻内視鏡で10時間の手術。


術前から言われてた通り
全摘はできなかった。


ただ
複視はなくなったようだった。



腫瘍は進行は遅く
病理的には良性だが
臨床的には悪性と言われるタイプ

100万人に一人の希少な腫瘍。


術後から三年くらいは
半年毎にMRIとCT検査。

その後は年一度の検査。

母一人で検査は行っていたけれど
もう膝がどんどん悪くなってて
昨年は妹が来てくれ
車で私も一緒に付き添い。


MRI画像を見て主治医が
「ここが気になる」と
三年前の画像とを比べ
「大きくなってるでしょう」と。

前回は右側の方に腫瘍があって
取れるところは取ったわけだけれど
今度は左側の方にあるようで
「前回と同じ腫瘍なのかは生検しないと分からない」そうで

もう年齢的にも手術は厳しい
でも放置すれば10年持たない
重粒子線治療とか放射線治療になる
また半年毎に検査しましょう
次回も娘さんと来てください

と。



先日 その半年後の検査。

私は仕事だったので
妹が付き添ってくれた。


5年前は5mmだった腫瘍が
1cmになってるという。

前回の手術で癒着があるだろうから
生検すること自体が厳しい。

あとはガンマナイフか放射線治療
それも早くした方が良い
そうだ。



母は
「病気のことは心配してない。早く死にたい」
と言う。

妹が
「目が見えん、耳が聞こえん、うちらが困るんだよ!」

キツいけど
本音だ。

自身も
そんな身体になったら
辛いだろう。



コロナ禍前までは
膝は痛いものの
社交ダンスをやっていた母。




ちょくちょくパーティがあって
私は全くやらないけど
見るのが好きで
付いて行ってた。


あら
こんな真っ赤なのも持ってるのね
と 普段の母からはちょっと意外だった衣装。

でも母は地味な方で
周りのおばあちゃま方は
もっとハデハデ



先生とツーショット。


元々は巨人ファンだったのに
谷繁さんが監督になってから
急にドラゴンズファンに。


それからドーム観戦するようになり。

観戦後は私の家に泊まり
翌日帰るパターンだったのが
コロナ禍で私が今の家に来てから
一度観戦に行ったけれど
観戦後 その日に家まで帰るのが
「遠くてもう嫌だ」(私もそう思った)
と言って
それ以来 私も行けていない


友達とモーニングや
カラオケにもよく行っていたのに
コロナ禍もあったから
全く行かなくなり。

この半年は
膝が痛いと言って
ほとんど家に籠っている。


もう気力もなくなっているのかな


物忘れも加速してると思うので
来月は物忘れ外来にも行きます。


去年の夏の母(白い服)と母の姉。

この二人は双子。


ヨボヨボと歩く姿は
30年後の自分を見るようだ。



次の検査まで半年。

放射線かガンマナイフか
それともなにもしないのか…。

本人・姉妹でじっくり話し合おうと思います。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「母・介護」カテゴリーもっと見る