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シャンパンブレイク

30年以上JAL国際線客室乗務員としてフライトし現在癌の治療中。お酒大好き旅が大好き趣味はランニング~

血天井を見た夜

2022年09月01日 | 反日活動は禁止

今日から9月です。

一昨日京都の養源院へ行ってきました。京都にある養源院は、血天井で知られる浅井三姉妹ゆかりの寺院です。

浅井三姉妹(あざいさんしまい)は、戦国時代武将浅井長政と正室との間に生まれた3人の娘、茶々を指します。それぞれ豊臣秀吉京極高次徳川秀忠の妻(正室・側室)となりました。天下統一を進めた織田信長の姪という血筋に生まれ、2度の戦国大名家の没落や落城、両親の死を経験し、その後天下をめぐる豊臣家(羽柴家)徳川家の天下の覇権争いに深く関わったことから、母・市と並んで戦国の女性の代名詞として語られることが多いのです。

養源院は関が原の戦いの前哨戦である伏見城の戦いで、城を死守したあと鳥居元忠をはじめとした数百名が自刃した床板を、供養の為に天井にしているものです。

自害したとき城の床に飛び散った血で染まった床板はその後取り外され、供養のためお寺の天井板として設置されたといいます。これが血天井です。この血天井、今でもその血痕をはっきり見ることができます
どす黒い血痕で染まった生々しい血の天井を見に、京都のいくつかのお寺を訪ねました。

それを供養するための杉戸絵である麒麟や獅子の杉戸絵や襖絵は、俵屋宗達(たわらやそうたつ)の作品で、どれも重要文化財に指定されてます。血糊が染み込んだ床板とは、慶長5年(1600年)夏。関ヶ原の戦いの前哨戦となる伏見城の戦いで、徳川家康の忠臣 鳥居元忠以下の将士が城を死守し最後に自刃した際の床板です。
遺体が関ケ原の戦いが終わるまで真夏1ヵ月以上放置されていたために、血糊が染み込み洗っても削っても取れなかったと伝わります。今でも大雨や湿気の多い時は血が滴るそうです。

血天井を見ているときに2度ほどめまいを感じ、熱中症かもしれないから気を付けようと思い水分を多くとりました。そして土曜日から宿泊しているホテルでずっと毎日気持ちよく熟睡できていたのですが、その夜は寝苦しく奇妙な夢を何度も見て、左肩をとんとんとたたかれて目を覚ましました。隣では夫が眠っていたので、なんだかぞっとして起きました。夫もうなされていたので起こしました。ネットで血天井を検索してみたら霊感の強い人は見学しないほうが良いとあり、いろんな体験談が掲載されていました。

国際線のCAの時から厄除けのための塩は必需品でしたが、今回はゆで卵の塩が残っていましたので、部屋の四隅に巻きました、ほんの少しです。それから熟睡出来ています。

400年以上過ぎても血天井で自害した侍の無念が残っているのですね。

 

 

 

 



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