戦前の食糧事情が分かる資料を読んでいたら、
米1升につき栗1合~3合(特に多いときは5合)入れ炊いたご飯を常食としていたとあった。
鹿角の食事について聞き書した本には、当時のもっと悲惨な食が紹介されていたので、
栗は秋になればたくさん拾えるし、毎日栗ご飯が食べられるって良いじゃないかと思い込んだ。
それに対し「不味い」「ボソボソ」とか、食べていた人の不味かった思い出が紹介されていた。
???、なんか栗ご飯とは印象が違う。
そして次の行の太字でそれを理解した、栗ではなく粟であった。小さい字が見えづらくなった。
7分づきした米に、粟や稗・黍・大麦など雑穀を5%ほど加え粥を、作ってみた。
サロンエプロンをつけた健康志向のお姉さんが、ウンチクを語りながら食べていそうだ。